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☆思わずクスッとしてしまう話2012.05.16 Wednesday
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日頃、当ブログではいつもやや堅めの理屈っぽい記述ばかりしているので、
今日の配信は、少し砕けたいと思う。
斎藤一人さんの講演の話をさせていただきたい。
思わず笑ってしまう話があるので。紹介したい。
私は、クスッとというより、大笑いしてしまった。
多くの方は、ご存知かもしれないが、
ひとりさんは、話術が実にうまい。飽きさせない。間の取り方が絶妙だ。
冗談のこなし方も優れている。
ついつい、独特の調子に呑み込まれてしまう。
といって、
ひとりさんの口からついて語られる成功法則を軽く見てはいけない。
実に、道理に適っているのだから。ひとりさんの笑わせながら、楽しませる、
その講演のスタイルこそ成功法則の哲学そのものが貫かれていると思っている。
以下に紹介するのは、ほんの一節だが、笑ってそのまま聞き流さないでいただきたい。
私は、大まじめにこの話の意義を感じている。
私が大笑いさせていただいたその一節とは、
絶好調(斎藤一人[著] KKロングセラーズ [CD2枚付き])の本に付いている
CD-ROMの中の次のくだりだ。
nicozonの動画にもそのアップがあるの視聴してみるといいだろう。
斎藤一人 絶好調
http://www.nicozon.net/watch/sm10373423
話としては、
健康になる話から、幸せのなり方についての話の乗り換えの頃合だ。
健康でいるためには、日々「絶好調」と口にすることが良いと勧めている。
「だから、絶好調だって言いな。
それだけでぜんぜん違ってくるよ。
…それから幸せになりたかったらね。
幸せだっていいなって。先にだよ。幸せになってから言うんじゃないんですか?
違うよっ…!幸せになりたかったら、いま幸せだって言いなよ。
…
蕎麦屋へ行って、天ぷらうどんだって、おまえ…。
出てくる前に天ぷらうどんって言うだろ?!って。ハハハッ(会場:笑い)。
出てきてから言いますったって。ずっと出てこねえぞぉ…。ォホホッ。(会場:大笑い)」
(「絶好調」 斎藤一人さんの講演CDより:前出)
絶好調だって言って人がいれば、ヤレ、身体のどこそこが痛いだの。腰が痛いだの。
足が痛いだの。だるいだの何だって、身体の不調を訴えられ、それを聞かされるより、
はるかに周りは気持ちがいい。
不満を嘆きたい、不調も事実であろう。だが言う方も、聞かされる方も、
決して、気分はよくならないというものだ。
絶好調だって本気で、
信じるに足るまで言えるようになれば、必ずそのあたりから、身体に効果がある。
健康を引き寄せてくるはずだ。
この話に、不都合があるだろうか。道理であることに、異論はあるだろうか。
とするなら、そもそも「引き寄せの法則」など信じることはできないはずだ。
なぜなら、目に見えないからということになる。だが、なぜ「言霊」という言葉があり、
そして「祈り」や「迷信」などの概念が昔からあるのだろう…ということにも行き着く。
そこに、今日はこれ以上、立ち入らないが、非科学的ではあっても、それが一定の力を何らかの機会に持つことを本能的に私たちは知っているからだと思う。
話は戻るが、
一人さんのこの話に私が、もっとも注目をするのは、
次の文言だ。
「…それから幸せになりたかったらね。
幸せだって言いなって。先にだよ。」(「絶好調」 斎藤一人さんの講演CDより:前出)
特に、”先にだよ。”というところが、「原因」と「結果」の法則そのものであり、
「引き寄せの法則」に原理・原則に合致しているのだ。
”先に”幸せだと口にし、幸せだというイメージを抱くようになれば、
すでに幸せを所有しているように念じられるようになれば、
私たちの潜在意識が、幸せなことを探して出して与えてくれるというものだ。
この幸せのなり方について共通するマスターたちは、大勢いる。
すでに、
当ブログでは、近い例で言えば、5月10日アップした
”ただ幸せ” http://succes-fou.jugem.jp/?eid=249
でも扱わせていただいている。
その中の
「潜在意識が答えを知っている!」(マクスウェル・マルツ[著]/ダン・S・ケネディ[編] 田中孝顕[訳] きこ書房)の中である。
「『何々だから』幸せというのではなく、理由など持ち出さず、
ただ幸せでなければならない。」 (「潜在意識が答えを知っている!」: 前出)
「『私はできる!』黄金の法則」(B.スイートランド[著] 桑名一央[訳] 知的生きかた文庫)で、≪幸せになりたいなら、いつも幸せな状況を考える≫の項目の中にある。
「あなたが意識の中にもつ考えは、潜在意識に指示として受け取られ、
潜在意識はその指示にしたがって行動する。」 (B.スイートランド[著]:前出)
などの例も挙げさせていただいているほどだ。
探せばいくらでも、出てくる。
つまり、
ひとりさんの
「…それから幸せになりたかったらね。
幸せだって言いなって。先にだよ。」(「絶好調」 斎藤一人さんの講演CDより:前出)
は、冗談めいた話の中に、重要な示唆が含まれているのだ。
そして、ひとりさんは、講演などよく
「信じても、信じなくてもいい話ですよ。信じられる人にだけ言うからね。」と、口癖のように言う。
「信じられない人は、それはごく普通の人だからね。」 と。
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☆意識して行う2012.05.15 Tuesday
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私たちが認識しなければならないのは、私たちが望む状況、状態、あるいは豊かさや物は、
結果として外部から受け取ることはあるとしても、当初から他力本願的に、
外の世界からもたらされることを期待しても十分な結果を得ることは少ないだろう。
というのも、
外部からもたらされる前に、私たちは、お金や健康、良好な人間関係など、
あらゆる欲しいものを手に入れることのできる「魔法のランプ」をすでに手にしている。
それを活用すればいい。
ただ私たちは、
この「魔法のランプ」の効力については、活用の仕方についてもそうだが、
多数ある「引き寄せの法則」などを読み、誰もが一度は、しばらくやってみるが、
それでなかなか結果が伴わないことで、理性が疑っている部分もある。
しかも、望むものが実現しないどころか、むしろますます状況が悪くなり、
全く望んでいなかったことが起きたりさえすることもある。
物語のアラジンの「魔法のランプ」は擦ることで、大魔神が現れて、
「お望みをかなえます。」と言い。依頼の窓口業務を行ってくれる。
それで、すべて願いが適うということになっている。
しかし私たちの持っている「魔法のランプ」は、直接、目にすることができないし。
直接、手にすることもできない。
したがって願望実現のために”擦るだけ”ということにはならない。
”あの手続き簡単な物理的なアラジンの「魔法のランプ」があれば簡単なんだがなあ…。”
と、つい思ってしまう。
ほんとは、私たちの心の内に持つ「魔法のランプ」の方が、
もっと偉大な効力があるようだ。ただし、莫大な力を持っているため、
その取り扱いの心構えも含めて、
実現までの手続きでかなり”遊び”が多いようだ。
これにひとつの示唆を与えてくれているのが、
ボブ・プロクター氏の「宇宙を味方にしてお金に愛される法則」(ボブ・プロクター[著] 岩元貴久[監訳] きこ書房)だ。
まず、
「あなたには、自分が望むだけの富を築くために必要な心のツールがあります。」(前出)
と述べ、前述した”その取り扱いの心構えも含めて”に対し、
次のように示唆している。
「不足感や限界は、あなたの心にそれを抱くことで起こります。」 (前出)
と、思考が、文字通り、現実化することを。
言い換えれば、不足感も限界も、私たち自身が自ら創り出していることを指摘していること
であり、これを避けるための方法として、
さらに
ボブ氏は、述べる。
「豊かさマインドは、元来そういう不足や限界を持ちません。すべての制限を取り除き、
あなたの本来の稼ぐ力を認め、あなたが富を求めるならば、富もあなたを求めるもの
だということを理解してください。」 (前出)
不足感や限界などのネガティブな感情は、豊かさマインドを選択し、そちらにフォーカスすることで回避できることを示唆している。
私が、今日このブログでテーマとしたいのは、
「意識する」ということ。「意識して行う」必要があるということだ。
ボブ氏は、物事を実現するためには、
3つのポテンシャルがあると言う。ポテンシャルの高い順に言うと、
思考の世界=精神界 > 概念の世界=知性界 > 結果の世界=物質界
(前出書より)
この図式を、
具体的なプロセスで言うと、次のようになる。
「お金がほしい」と思うこと。これが、「思考」で、
「生活に豊かさをもたらす富」が、「概念」
そして、
物質化(現実化)が行われて、それが、「結果」だという。
思考と概念は、切り離せない昇華のプロセスを経ると言えるだろう。
ボブ氏は、次のように「概念」についてこう説明する。
「概念は、意識して思考することではじめて生まれるものです。
これこそが、人をして創造的な存在たる所以(ゆえん)です。
経済的に成功するという概念を心に抱けば、やがてその概念はあなたの
人生に現実(結果)のこととして現れます。」 (前出)
私が、もっとも注目したのは、
ここの
”意識して思考すること”の大切さにある。
そこを理解した上でみると、
ボブ氏が指摘する、理想的な願望実現の方法は、
(以下思考パターンは、前出書より、参照・参考して記述している。)
そのポテンシャルの高い順の思考パターンは、
【 思考 → 概念 → 結果 】 (前出書より)
だと述べる。
結果とは、望んでいるものの現実化を意味する。
思考をコントロールし、望むものを手に入れる方法だ。
だが、ボブ氏は、
多くの人の思考パターンは、この順番になっておらず、
【 結果 → 思考 → 概念 】 (前出書より)
となっている点に問題があるのだという。
ネガティブな現状の結果を先に体験し経験することで、
私たちの思考は、貧しくなる。概念も、悲観的になり、その悪い循環をくり返す。
詳細は、前出書によって確認してほしい。
ボブ氏は
「今、起こっている状況・結果に自分の思考を従属させるのではなく、
自ら思考を選択し概念を形成するようにしてください。」 (前出)
と述べている。
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☆法則は、「記録」されているという視点2012.05.14 Monday
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私たちは、自然の、否、宇宙の原理原則や法則の中で生きている。
たとえそうであっても、
普通の私たち生活の中で、それをあまり意識することも認識することもない。
発明、発見というような言葉があるが、
例えば一例で、電気の原理は、発明されたのではなく、固より宇宙の中に存在し「在った」ものだ。人類史の原始古代の昔よりも、そのはるか以前から厳然として宇宙の中に「在った」。
それを過去の優れた科学者や研究者などの叡智が見出し、私たちの生活の中に活用できるようにしたというものだ。
例としてあげた電気に限らない、すべてのものは、
固より、ただ、在る。これからも、在るものを、いづれ見出し、活用できるように考えられるであろう。
その意味で私たちは、
私たちの今の時点での社会的発展と人間の生産力という制約の中で、
生活をし暮らしているが。
さらに想定を越えた思いがけない「発明・発見」を宇宙の宝庫の中から見出すことは、
人間の知識力が深まるにつれ、これからも無限数にあると言えるだろう。
目に見えない法則というものについて、人間の行動様式、思考様式、つまり人生そのものなどに関わる法則を考えてみた時、ふと気づかされた。
こうしたこともすべて宇宙の法則に従っており、法則という見方は、人間が勝手に意味づけしているのであって、元々「在る」ものだということ。
私が気づかされたのは、元々「在る」ということは、どういうことなのだろう?
という点にある。
言い方を変えれば、宇宙に何らかの方法で「記録」されているという見方もできるという
”気づかされ”だ。
大雑把な喩えで言うが、無限宇宙というOSの入ったハードディスク内に、多種多様な様々なアプリが入っている。
多種多様の様々なアプリとは、法則であったり、原理・原則だったり。
私たちの運命だったり、いや「運命は変えられる」であったりの哲学を前提にした人生観さえも含む。
無限宇宙のOSは、法則や原理原則に基づいて、何らかの現実化を果たす役割を担っている。
私たち人間は、その中で、宇宙の単なる構成要素の一つとして暮らしているのだ。
こんな考え方をしてみたのは、ヴァジム・ゼランド氏の「[振り子の法則]リアリティ・トランサーフィン」(ヴァジム・ゼランド[著] ほおじろえいいち[監修] 須貝正浩[訳] 徳間書店)
を、一部読み返してそう思ったのだ。
「ものごとが現実化する際には、あらゆる多様性が生じる源がなくてはならない。
まず、このことから考えてみよう。
私たちの世界のすべての法則はどこかに『記録』されているのだろうか。
ものごとが現実化するとき、それは時空における物質の運動として現われる。
その運動は、一定の法則に従う。」 (前出)
この文章の引用が何を意味しているのかは、この抜き出しでは、
本を読んでいない方には、
まったくわからないかもしれない。
平たく言えば、
いや、何が何でも、逐一、わかる必要もないと思う。
もちろん、分かる方がいいには決まっているが。それはそれとして割り切ってもいいと思う。
今日、この部分を説明するのは、目的ではないし、
ただ引用に念のために尾ひれを足しているが無視してもらいたい。
その尾ひれの部分が、却って、わかりにくくしているかもしれないが。
ともかく無視してほしい。
大切なのは、
「ものごとが現実化する際には、
あらゆる多様性が生じる源がなくてはならない。」 (前出)
と、
「私たちの世界のすべての法則はどこかに『記録』されているのだろうか。」(前出)
という2点の示唆だけに、注目すればいいと思っている。
ここが、ぼんやりでも、何となくでも分かればいい。
正直、この文章は、難しい。
この本は、こう言う言い回しが非常に多い本だ。読むのにかなり苦労する。
ただ、この本を分からないなりにぼんやり読み進んだ先には、
かならず得るものが大きいと確信する。
話を元に戻すが。
私は、本をめくり、部分的に読み返しをしながら「私たちの世界のすべての法則はどこかに『記録』されている」という言葉に、
良い意味で引っかったのだ。
宇宙に「元より、在る」のならば、「記録」されているという考え方をしてもいいのでは。
と思ったのだ。
同じように、
”あらゆる多様性が生じる源”も、それも「記録されている」という部分に含めることができると思ったのだ。
「『記録』されているのだろうか。」とあっても、これは、
否定を含む意味での疑問系ではないということ、
著者ゼランド氏としては、
それを肯定し、認識していることを確認しようと読者とともに自問しているのだと。
私は、解釈している。
難しい訳の分からないことをダラダラと書いてしまったが。
何を言いたいのかを、明確したい。
ゼランド氏の示唆は、
私たちの潜在意識によりコンタクトがとれる”ある空間(バリアントの空間と呼んでいる)”には、無限数の人生のシナリオと舞台装置が「在る」ということ。それは、その空間の中に、「記録」されてあるということ。
そのすでに用意され出来上がっているシナリオと舞台装置が選択されたとき、
現実化された人生ラインとして、私たちはそれに沿って生活することになる。
その人生ラインが、私たちにとって、望ましいものか、望ましくないものかは、
私たち一人一人の選択によるのだ。
選択ができるということは、望ましくない人生ラインであれば、
乗り換えもまたできるという意味でもある。
その乗り換えの方法は、前出した本を読むことをお薦めするが、
ポイントは、
「私たちの潜在意識によりコンタクトがとれる」ということは、
潜在意識に私たちの望ましい種を植え付けることで、
その結果を得るという多くの成功法則本の考え方をそのまま踏襲しつつ、
前向きな考え方をすることが、望ましい人生ラインの乗り換えの前提になる。
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☆物理的現実への隷属2012.05.13 Sunday
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子どもの頃の冒険は、どこかスリリングで楽しかった。
そこは、ほとんどの場合、子どもたちの勝手な想像力のシナリオと成り行きの都合で、
知識として実際の存在価値や理由を知らないため、
不思議空間としてでっち上げた世界である場合が多いのだが。
ちょっとした非常に大きな下水溝などの入り口で、その穴ぐらのような空間をたまたま見つけると、そこは、子どもたちの世界観からすると、今まで見たこともないような何か空恐ろしい生き物の棲む穴ぐらであったり、あるいは、どこか不思議な世界へ通じる穴だったりする。
そうでなければ、いけなかったのだ。
子どもたちにとっては、それで十分な冒険するための刹那的な時間と空間の世界なのだ。
そんなちょっとした穴ぐらや空間の入り口に立って、
恐々覗いてみるとみると、声を発したくなる。
すると、思っても見なかった反響がある。
理科の実験は、こうした機会に偶発的に、自然に検証されてくるのだ。
それがおもしろくて、「アッー!アッー!アッー!」などと、
どんどん声を発して、
それに呼応して、エコーがやや遅れて、「アッー!アッー!アッー!」と返って来る。
すると、ほかの子たちも同じように、始める。
そのエコーが、なぜか楽しい。
そのうちに「ヤッホー!」と誰か言うと、やはりエコーが「ヤッホー」と返る。
「お前は、バカだー!」と言うと、「お前は、バカだ!」と忠実に返す。
これに類するようなことは、多くの子どもたちが経験しているだろう。
エコー(反響)は、やや遅れてくるのだ。それを私たちは、よく知っている。
いうまでもなく、どんな時も、
少なくとも私たちの棲んでいる3次元(高さ、よこ、たて)+時間の4次元世界では、
エコーは、発する声と同時に返ってくることはない。
あえて言うが、私たちが声を発する前にも、エコーは返らない。
返ってきたら、それは、別なものだ。多分、すぐその場から逃げなければならない。
これが分かりきっているのに、私たちは、物理的現実の反映に、焦燥感を持つ。
YouTubeの動画、
バシャール〜『現実は鏡に映ったリフレクション』
http://www.youtube.com/watch?v=ZR7tS93u9X8
「何度も言いましたが、あなた方の言うところの物理的な現実は、
あなた方の状態、あなた方の意識が映し出されたものです。」
とバシャールは、物理的現実について、私たちに解釈のツールを供与してくれている。
この示唆には、重要な視点も含まれている。
鏡に映った現実は、リアルタイムではないということ。
つまり、
声の反響(エコー)と同じように、物理的現実が、私たちの意識のやや遅れたエコー(反映)であると指摘していることだ。
そのやや遅れた度合いは、一定ではないという点も注意を向けないといけない。
そもそも私たちは、錯覚をしているが、リアルタイムに、何でもすべてを体験し認識していることなどあり得ないのだ。気づかぬうちに、同時に、微妙なズレを体験しているのだ。
その例を挙げれば、夜の星たちは、現在の星の光でないことは、
星の詳細までは知らなくても、誰でも知っていることだ。
もっと身近な例で言えば、
太陽の光だ。ある瞬間の光が地球に届くまでに、8分ほど掛かっているという。
私たちは、その光に照らされて現実世界を見ているのだ。
程度の差はあれ、リアルタイムを私たちは経験してはいないという事実を、思い出す必要がある。ある意味では、私たちは、幻想の世界の中で生きているようなものだ。
バシャールの話に戻るが。
「何度も言いましたが、あなた方の言うところの物理的な現実は、
あなた方の状態、あなた方の意識が映し出されたものです。」
(バシャール:前出)
というメッセージだが、私たちが、その鏡に映し出された現実に、私たちの望んでいる姿で、映し出されていれば、幸せでそれはそれでいいだろう。
だが、もし望まない姿で映し出されているとすれば、私たちは、どう反応するのだろうか。
その映し出された現実というのは、私たちの意識のやや遅れた反映だという前提である。
その「やや遅れた」は、数秒の意味ではない。もっと大きな時間の単位であるかもしれないし、
数分や数秒かもしれない。
その映し出された世界は、多くの場合、お金に困っていたり、健康で悩んだり、人間関係で躓いたり、仕事で悩んだり。私たちが生きていく上で出会う、多くの障害となるネガティブな状況や状態、環境である。
私たちは、こうした状況と出会うと、不平や不満、怒り、妬み、イライラを生じる。
こうした反応をする続ける限りにおいては、
私たちは、鏡に映った現実に振り回されていることになり、
まさに状況、状態に隷属していることになる。
なぜ隷属なのかというと、
その自ら反応した不平や不満、怒り、妬み、イライラが、また再び、自らの発信で、
物理的現実に、それを映し出し、終わることのない、その悪循環を生みだしているからだ。
その悪循環の中に組みされることこそが隷属なのだ。
バシャールは次のように言う。「物理的な現実というものは、鏡の部屋と同じようなものなのです。
外の現実に映し出されるものを変えたいのであれば、そのどんな変化も、
自分の中から変え始めなくてはならないのです。
まずはあなた方の内なる現実、あなた方の意識、バイブレーション、
あなた方の在り方を変えなくてはならないのです。」 (バシャール:前出)
と。
ただし、
バシャールの指摘は、
私たちが見ている物理的現実は、私たちの意識を投影はしているが、
やや遅れて投影されるものだという指摘もしている。
その上で、次のよう示唆がある、
「そのエコーに、今までと同じように応えてはいけないのです。
みなさんは、エコーに過ぎないことを知って、
新しい対応を、古いままの状況に送り出さなければなりません。
それは、望むあり方の波動を定着させ、新しい波動から状況が変わることを
許し、そのゴーサインを出すのです。」
(望むリアリティを創り出すマントラ 2/2 バシャール Powerful Mantra, Bashar
http://www.youtube.com/watch?v=CX41zOQ6nE0 より)
「古いままの状況」とは、物理的現実に映し出されている以前の私たちの状況のことである。
幸い私たちは、こうした認識を持つことで、
物理的な現実への隷属を辞め、自ら望む現実を作り出してコントロールすることができるのだ。
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☆もしも、〜していたら…2012.05.12 Saturday
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「思考は現実化する」ということを肯定できるのであれば、
(ナポレオン・ヒル[著] 田中孝顕[訳] きこ書房)
また
「人は、自分の思う通りのものになる」という言葉を素直に受け入られる時、
(「ザ・ストレンジスト・シークレット」アール・ナイチンゲール[著]
林 陽[訳] 徳間書店)
私は、そこに思考の空間のへ認識、
そして、私たちが抱く思考によって、
人生は大きく左右されているのだなと実感せざるを得ない。
ならば、
思考がある膨大な思考のための無限空間の中で、思い巡らし、活動し、
そこを自由に飛び回っていてもなんら不思議ではないと思う。
”もしも、〜していたら…”とは、
過去の出来事に対しての人生の分岐点を、あるいは未来の自分へのシュミレーションとして、
私たちが、意識の深い部分で、別次元の自分のあり方がリアルに存在し
感じているということだ。
そんな考えの示唆を与えてくれるているのが、
ヴァジム・ゼランド氏の著作「[振り子の法則]リアリティ・トランサーフィン」(ほおじろえいいち[監修] 須貝正浩[訳] 徳間書店)
である。
この本の比較的前段の部分には、
ゼランド氏が概念として打ち出したトランサーフィンについての考え方を
分かりやすく述べた一文がある。
「頭の中を駆け巡っている唯一の考えは、自分の世界を自分で整える必要はなく、
すべては自分あずかり知らないところで自分の幸福のためにずっと以前に
できあがっている。」 (ヴァジム・ゼランド[著]: 前出)
と述べている。
この一文の
「頭の中を駆け巡っている唯一の考え」 ――その空間こそが、
ゼランド氏が言うところのバリアントな空間ということになる。
このバリアントな空間を説明するのは、私自身の力不足もあり、
とても容易なことではないので、このブログでは、詳細を避けさせていただく。
ただし言葉だけでを、唐突に「ポンッ」!繰り出されても何のことかわからないと思うので、
非常に、非常に大雑把だが、しかも私なりの解釈を言わせていただく。
著者が示唆して言うのは、このバリアントの空間こそ、
私たちの人生を現実化するあらゆる可能性のシナリオとそれに伴う舞台装置を備えた空間を言うようだ。
そのバリアントの空間には、無限の人生ライン(シナリオ)が含まれている。
そして、その空間に私たちの意識(特に潜在意識が深い関わりを持つ)が、そこにどっぷり浸かっているという意味だ。
人生ラインのそれぞれのシナリオが、私たちが言うところの結果「運命」ということになる。
ゼランド氏の前出書には、冒頭に、
次の文言を述べられている。
「トランサーフィンは、まるでスーパーマーケットで商品を選ぶように、
文字通り運命を選ぶ方法である。」 (ヴァジム・ゼランド[著]: 前出)
と。
この言葉は、実に象徴的で、この本の真髄をなしている言葉だと思う。
私たちは、人生を難しく考えすぎているのだ。だが、ヴァジム氏著書を読むと、
「望むことは単に受け取ればよいということを、人は知らない。」
(ヴァジム・ゼランド[著]: 前出)
と、指摘する。
私は、ある本の中から次の文言を見出した時、
これこそは、前述した部分を説明する内容だと感じたので、紹介したい。
ある本とは、
「『私はできる!』黄金の法則」(B.スイートランド[著] 桑名一央[訳] 知的生きかた文庫)のことである。≪一年で収入を三倍にしたセールスマンが実行したこと≫の項目の中で、
サラリーマンのA氏のことが語られている。簡単に概略を述べると。
「自分の運命をすっかり悲観した」セールスマンのA氏は、同僚のやり手のB氏を町のレストランで見かける。A氏は、収入も少なく、カウンターでサンドイッチを食べていた。
ところへB氏が商談のために顧客と食事をしている。分厚いヒレ肉を注文して食べている。
その差をA氏が自分に問うという内容だ。
そして、スイートランド氏は、次のように記述する。
「いろいろ考えた末A氏は、自分がこれまでたいしたことができなかったのは、
たいしたことのできない自分しか心にイメージしたことがなかったからだという、
結論に達した。」 (B.スイートランド[著]: 前出)
と述べている。
このA氏こそ、いま「自分の運命をすっかり悲観する」人生ラインから、自分の人生ラインを乗り換えられることに気づいて、その入り口に立った瞬間だと私は、受け止めた。
これは、内容は違うにしても、似たような思いを持つことがある。その時こそは、
人生ラインの乗り換えをしようとしている決意した瞬間なのだ。
その人生ラインの乗り換えは、実に、簡単なことなのだ。
ただあまりに簡単すぎて、受け入れるのはなかなか難しい。理性が邪魔をするからだ。
それは、私が上に、誰もが人生を難しく考えすぎているからだと記述した。
だが、ゼランド氏の言うように、
「トランサーフィンは、まるでスーパーマーケットで商品を選ぶように、
文字通り運命を選ぶ方法である。」 (ヴァジム・ゼランド[著]: 前出)
人生のライン = 私たちのためのシナリオを選びなおせば言いのだ。
どのように?
「いろいろ考えた末A氏」が答えに気づいている。
それは、「自分がこれまでたいしたことができなかったのは、
たいしたことのできない自分しか心にイメージしたことがなかったからだ。」
(B.スイートランド[著]: 前出)
というように、
その反対の真逆の新しい自分を心にイメージし自分の生き方をポジティブに
選択することだ。「スーパーマーケットで商品を選ぶように」 (ヴァジム・ゼランド[著]: 前出)
ということになる。
私たちが人生を難しく考えるのは、私たちの世界の層にある現実化された環境や状況、状態など、また社会的レベルでのネガティブな通年や概念から押し付けられた思い込みなのだ。まさしく理性が従順に受け入れた結果である。
人生ラインの乗り換えは、思考の方向性に常に左右される。ネガティブに考えれば、考えるほど、それに見合った人生ラインをドンドン移動することになる。ポジティブになれば、なるほど望ましい人生ラインを乗り越えていくことになるようだ。
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☆幸せは、どこにあるのだろう…2012.05.11 Friday
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まるでコントみたいな話なのだが。誰が言ったのか、正確に覚えていないが。
情景を私なりのニュアンスで以下に記述させていただこうと思う。
めったに家を空けることもないある主婦が、何泊かの外泊をともなう家族旅行などで、
自宅に戻ってこう呟く。
「あー、楽しかった!いい旅行させてもらったわぁ〜。でも、やっぱり家が一番ね。」
「何だよ!それッ!」と言いたくなる思わず笑える話だ。
そんな同じ光景は、つい先だってのゴールデンウィーク中も、
起きていたであろう。
「でも、やっぱり家が一番ね。」
混雑や渋滞は十分過ぎるほど分かりきっているのに、
それでもなお、マイカーなどで出掛け、自ら高速道路の渋滞を創りながら、
そして
「でも、やっぱり家が一番!」
と誰かが呟いたに違いない。
この話には、ある象徴的なニュアンスを含んでいると私は思う。
もう一つ。
あくまでも仮定の話だが。
地球のどこかの地点から、まっすぐ、ともかく、
どこまでも、まっすぐ幸せを求めてある人が旅をしたとしよう。
「♪〜 幸せって、何だっけ?何だっけ?」 と追い求めながら…。
ただ、”しょう油”があるだけでは、なぜか我慢できない。
納得できない人物だったとしよう。
その旅の終わりに、ふと気づくと、この道は、
いつか来た道。かつて、いた道。
自分のいた場所に必ず戻ってくるだろう。
言うまでもなく、地球は丸いから。幸せが見つからなければ、そこに戻る。
なぜなら、その人の幸せはどこか遠くにあるわけではない。
どこまでも幸せを求めて歩みを進めても、絶対に見つけることはない。
自ら、円周を描いて、
そのうち自分のいた場所に戻ってくる。起点が同時に終点でもあるということだ。
これも、ある象徴を含んでいる。
それは、幸せはどこにあるのかを象徴しているのだ。
自宅に帰って一言の主婦の実感は、
たしかに旅行に出て、それなりに楽しかっただろう。と同時に。
幸せは、”いまここにある”ということが象徴されていることに気づいた呟きだ。
幸せを求めて旅をする人も、結局、もといた場所に戻る。
幸せは、世界のどこかにあるわけではないという明示だ。
斎藤一人さんの著作本に「幸せの道」(KKロングセラーズ)がある。
講演のCDが2枚付いている。
「幸せの道」の講演(書き起こしの本)の中で、
次のように述べている。
「ところでね、『幸せの道』っていう話なんだけど、
『幸せの道』ってどこにあるんですか?って聞く人がいるんですけど、
そんなもんないんです。
非常に残念です。(笑)」 (「幸せの道」:前出より)
という。
さらに、続けて
「今日の朝、目が覚めて幸せ、ご飯が食べられて幸せ、みんなといられて幸せ。
幸せだ、幸せだと言いながら、歩いた人の後ろに幸せの道ができます。」
(「幸せの道」:前出より)
という。
これに対比して、
「不平とか、不満とか、愚痴とか、泣き言とか言いながら、歩いた人の後ろに、
不幸の道ができてます。」 (「幸せの道」:前出より)
その上で、
「遠くに幸せを求めないでください。遠くに幸せを求めると、ほとんどの人が
行き着きません。苦しくなるだけです。それより、
今の自分の幸せに気がついてください。」 (「幸せの道」:前出より)
という。
冒頭の主婦の呟きは、どこよりも
「今の自分の幸せに気がついた。」
ということではないのだろうか。
幸せを求めて旅する人は、起点が終点で、結局、自分の内に幸せを見出さなければ
ならないということを暗示しているのではないだろうか。
地球は、丸い。ただ丸いのではなく、地球規模において暗示的で、
私たちは、その一点に過ぎない。
我が1点は、我が一点であるが、
すべてがそこに含まれているという意味だと思わざるを得ない。
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☆ただ幸せ2012.05.10 Thursday
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私は、個人的なささやかな諸事情から、いま抱えている問題に対して、
「幸せだなあ」と思うべきだなと、改めて気持ちを入れ替えはじめつつある。
というのも今朝、目覚めて、ふと不安がかすめた。
目覚めの直後、すぐに起き上がれず、スルッと寝返りを打ったが、
ごまかし切れない自分の心の中の懸案の雲を思いつつ、やや心が重くなった。
…自分の問題が片付くのだろうか…と、ネガティブになってしまったのだ。
今日のブログのテーマである
この「ただ幸せ」ということについては、
いまこんな時だからこそ、自分に課せられた困惑する状況を、前向きに捉えるようにすることだなと感じている。
「『振り子の法則』リアリティ・トランサーフィン」
(ヴァジム・ゼランド[著] ほおじろえいいち[監修] 須貝正浩[訳] 徳間書店)的に
言えば、
この私の懸案の雲は、
いわば「振り子」のひとつでもあり、この「振り子」とは闘うべきではないらしい。
なだめるか、無視するのが有効な方策だという。
私も、まず、そうしようと思う。
この「ただ幸せ」の文言を見出したのは、
「潜在意識が答えを知っている!」(マクスウェル・マルツ[著]/ダン・S・ケネディ[編] 田中孝顕[訳] きこ書房)の中である。
「『何々だから』幸せというのではなく、理由など持ち出さず、
ただ幸せでなければならない。」 (前出)
という。その言葉に、私は惹かれた。特に、
「私たちは、ちょっと困ったことがあったり挫折したりすると、ただもう習慣として
機嫌を損ねたり、不満を抱いたり、憤慨したり、いらだったりする。このような
反応を長く実践してきたせいで、習慣になってしまっているのだ。」 (前出)
と、上述の指摘が、私たちの心の働きを鋭く指摘していると思わされた。
私たちは、
とかく目の前の状況に振り回されやすい性質を持っているし、
その度にネガティブな反応を繰り返すことをよく体験し知っている。
この本は、そうした不幸な出来事などに対する私たちの反応を、
「心の習慣」だと位置づけている。
それを踏まえた上で、理解を改めてしておくことがある。
「ある問題を解決したからといって幸せになるともかぎらない。
ひとつの問題を解決しても、次の問題が生じる。
人生とは問題の連続だ。」 (前出)
ということだ。
幸福を手に入れるためには、この本は、以下の指摘をしている。
「幸福は、心の習慣であり、心の態度である。」 (前出)
と。
といっても、「心の習慣」「心の態度」というのが、言葉としては簡単だが、
実践は、案外難しい。
そこで著者は、
「現在の人生を楽しんだりすることができず、将来の出来事を待ち望んでいる。」 (前出)
という態度を慎むべきだと。
未来に幸せを望むのではなく、
つまり、未来は、”今の幸せ”の延長上にあるわけであり、今を耐え、
今がネガティブなもの考え方の犠牲になって、
その結果、未来が明るくなるはずがないということだ。
未来をよくするためにも、今をしっかり生き、いまの人生を楽しむべきだと述べている。
この「ただ幸せ」と思うことについては、
別の本にも同じような指摘がある。
「『私はできる!』黄金の法則」(B.スイートランド[著] 桑名一央[訳] 知的生きかた文庫)で、≪幸せになりたいなら、いつも幸せな状況を考える≫の項目の中にある。
「あなたが意識の中にもつ考えは、潜在意識に指示として受け取られ、
潜在意識はその指示にしたがって行動する。」 (B.スイートランド[著]:前出)
この「ただ幸せ」と思うことそのものが、潜在意識に指示となるということだ。
潜在意識に、幸福の種を植えるということである。
そうすれば、何らかの幸せな状態を潜在意識が創造してくれるということである。
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☆ネガティブな相手を避ける2012.05.09 Wednesday
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昨日、”☆ポジティブな考えになる習慣”というブログを記述したが、その少し前に、
様々な意味で、世話になっている知人からメールが来た。
その人のメールから、ポジティブさとその習慣づくりがどれほど大事かを、
また改めて知ることになった。
その方は、私より年上で、映像業界の先輩でもあるが。
私は、この人の事が好きではない。大いに世話になった事があっても、それでも付き合いたくない相手だ。
理由は、ちょっとしたことに、すぐに機嫌を損ね、ひがむ、拗ねるのだ。いわゆるケツをまくるような投げやりになるところがあり、その発火点がよく分からない。
おそらく、自分の扱われ方を問題にしているようで、勝手な思い込みと想像力の貧しさから拗ねるらしい。
相手(こちらの)の事情も汲めずに、自分の世界で勝手に発火する。考え方が、総じてネガティブなのだ。ともかくこちらが妙に気を遣わされるだけで、扱いにくいところがある。
よく言えば江戸っ子気質と言ういい方もあるだろう。
ただ江戸っ子として、さっぱりしていない。そこが、はっきり言えば、面倒くさい相手なのだ。
根は悪くない人だと思うが。とにかく面倒くさい。
以前、その方にほんとに世話になったことで、深く感謝もしているし。よくもしてくれた。
ほんとに感謝している。だが…。
過去に何度か、特に年末などには、呑みに誘われたりしたが。会社に遊びに来いという。
それで、付き合ってみると、気疲れする。ちっとも変わってない。やはりダメだな…と、
酒の席に付き合ったことに後悔した。説教調の相手に、気を遣うばかりで、まったく楽しくない。
こちらの気分までが、ネガティブな相手の毒に犯される感じだ。
呑んで不快になる珍しい相手だ。
それ以後、誘われても、理由を付けて断っている。申し訳ないので、顔を出そうかと思うが、
いま一つその気になれず、やはり、
断ると、
また、嫌味を含めて、拗ねたメールが来る。
いまも若干の理由があって、多少、世話になっている。その件で、メールが来た。
詳細は、書きたくないが。
メールを読んで、もしかしたら、少しは変わったのかと思ってみたが、
やはり誤解だったようだ。
昨日のメールで私は、今も世話になっていることへの感謝の気持ちを伝え、さらに、
懇切丁寧に、こちらの事情や様子などをメールレスポンスして知らせたが。
今朝、人のあげ足を取るような不快なメールが来た。
おそらく、相手に悪気がないのだろうと思うが、自分の扱われ方が気に入らないという部分
から発していると推測できるような嫌味な部分の指摘があった。
メールを読んで、私は、不快になった。
不快になっては、損だと思い、どこかいい点を探そうと考えた。
とりあえず、これ以上の先方の返信メールのレスポンスは避けようと…。
当面、無視しようと結論した。
いまもその不快な感情をやや引きずっている。その気持ちを追い払わないとと、
その気持ちを切り替えるのに、やや苦労している。
こんなことをなぜ書いたか。
ネガティブな相手とは、付き合わない方がいいということを書きたかった。
人は、自分が本気で変わる必要を感じなければ、変わる事などできない。
ネガティブな人間は、自らが変わろうと思わなければ、変わる事ができないのだ。
人のアドバイスで、変わることなど、まずない。
もし相手がネガティブな人だと思ったら、その相手と付き合うのは損得以前に、
とても有害だと言っておきたい。
プラス思考するものにとって何も得るものがないからだ。
プラス思考を築くのに、時間は、とても掛かるが、不快にされるのは、一瞬だ。
ネガティブな毒の破壊力は、すさまじいと思ったほうがいい。
ジェフ・ケラー氏も著作「いつもうまくいく人の成功法則」(ジェフ・ケラー[著] 弓場隆[訳] ソフトバンク文庫)
の中で、
次のように述べている。
ネガティブな人とは、「あなたの気分を滅入らせることを面と向かって平気で口にする。
さらにご丁寧なことに、自分の体調がよくないこともつけ加えるかも
しれない。」 (前出)
とある。対してポジティブな人は、
「いつもポジティブで相手の成長を促してくれる人のことだ。
気分を盛り上げてくれるから、いっしょにいてとても楽しい。」 (前出)
と述べている。
私は、ここまで書いて、実は本音を記述していない。以下にその部分を書こうと思う。
私が、最もその人を好きになれない最大の理由は、
相手の成長を促せない。喜べないところにある。
つまり、私が、数年前、それまでの映像業界での仕事にある程度の限界を感じ、今後も見据えて、さらに一歩踏み出して、事業を決意したときのことだ。この方は、「やめた方がいい」という言葉に集約できる意見を、
相談したわけでもないし望んでもいないのに、終始、ネガティブに私を説得し否定した。
もし、その方が、
「そうか。まっ、大変だと思うけど、頑張ってみな。まず、やってみることだよ。
お前の思っているようにやってみたらいい。きっと成功するよ。
それで失敗しても、何があっても勉強になるよ。一度や二度、失敗してもくじけるなよ。
何度でも立ち上がればいい。チャンスはいつもあるよ。
お前が困ったときには、俺にできることがあったら何でも応援してやるよ。
もしお前が全世界を敵に回しても、俺だけは何があってもお前の味方だからな。」
と、仮に、そう言ってくれたら、
実際に応援してくれなかったとしても、そんな言葉を投げかけてくれたら、
どれほどその人に男気を感じ、感謝し、勇気づけられ、その人を尊敬をできただろうか。
その方は、そのすべてにおいて真逆な対応で私を否定をした。
求めてもいないのに、私にネガティブな言葉だけを投げかけた。
それでも、この人に感謝している。
ただ私は、この人と距離を置くことにした。極力、会う機会を避けている。
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☆ポジティブな考えになる習慣2012.05.08 Tuesday
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昨日のブログにも引用したが、
ジョー・ビタリー博士の「ザ・キー」(ジョー・ビタリー[著] 鈴木 彩子/今泉 敦子[訳] イースト・プレス)のメッセージは、インパクトがあると思っている。
「あなたが人生で経験することは、すべてあなたが『引き寄せ』たのです。
悪いことが起こるのは、あなたが無意識で引き寄せたからです。」 (前出)
私たちの状況や状態が、十分に恵まれないのは、
私たち自身の内部の問題というより、どちらかといえば、
外部に原因があるという誤った思い込みと、責任を外部に見出すことで、
どこか自分に甘えたい部分を、
このメッセージは、ピシャリと押さえ込んでくれている。
ビタリー博士のこの言葉は、さらに、
私たちは、私たち自身の責任において自らの状態、状況、環境を受け入れるべきで、
その必要があるという自覚をきっちり促すメッセージを伝えている。
同様なことは、
ジェフ・ケラー氏の著作「いつもうまくいく人の成功法則」(ジェフ・ケラー[著] 弓場隆
[訳] =SoftBank)
の中にも、次の指摘がある。
「あなたの過去の思考は、あなたを今日いるところに導いてきた。そして、
あなたの現在の思考があなたを将来の地点へ導いていく。」
(ジェフ・ケラー[著]:前出)
とそう述べた上で、
もっと具体的で分かりやすい記述をしている。
「人生のすべての領域における結果は、
あなたが自分について深く抱いている思考を反映する。
自分の経済状態を考えてみるといい。
あなたはその分野でどういう思考を抱いているか?
お金が足りないといつも考えているのではないか?その思考(お金の不足)に
固執すると、あなたは自分へのお金の流れをくい止めることになる。」
(ジェフ・ケラー[著]:前出)
と。
私たちは、私たち自身がいま仮に自分をどう思うことがあっても、
気づかないうちに、私たちは、見事なほどに、自分のなりたいものになっているということだ。
「こんな状態は、望んでいなかった」といっても、
私たちはそうなるべく思考し、行動の制限を受けてきた。
たとえば、毎日の生活の中で、これといった野心を抱くこともなく、
努力は嫌いだ。面倒なことも困る。
ただ何となく…。惰性で毎日を過ごしていれば、
それは、それでアリで、それで良し。
となれば、その結果になる。
単にそれだけのことだ。惰性を好んでいる自分の姿に。
それは、誰の責任でもない。
その惰性を自ら好んで選択した自分に責任がある。
それを意図して”選択”したのだから。
DVD映画「ザ・シークレット」(ロンダ・バーン、ボブ・プロクター他(出演)、
ロンダ・バーン(監督) 販売元: アウルズ・エージェンシー)の中に
登場してくる大魔神のジニーにしても、
ご主人さまである私たちの態度が「ただ何となくの生き方」なら、
それを知って私たちの心を汲んだときに言える言葉は、
「お望みを叶えます。」だ。
”私たちのなりたい”感情や思いは、気づかないうちに、
いつしか潜在意識を支配し、そうなるように手なづけている。
ならば、
ジェフ氏は、私たちに心の姿勢を変えるべきだと主張する。
そのためには、ポジティブな考えを持つ習慣づくりを目指すべきだという。
「私たちは、自分が考えているような人間になる。この考え方は、
『優勢な思考法則』と呼ばれてきた。つまり、私たちを現在の優勢な思考
の方向へと駆り立てる力が自分の中に存在するということだ。」
(ジェフ・ケラー[著]:前出)
だからこそ、
「ポジティブに考えることが習慣になるまで自分の心をコントロールし、
毎日ずっとポジティブに考えなければならない。」 (ジェフ・ケラー[著]:前出)
という。
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☆願望実現を阻むもの2012.05.07 Monday
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映画「ザ・シークレット」にも登場し、「宇宙スイッチ」(ジョー・ヴィタレー[著] 住友 進[訳] サンマーク出版)の著作者でもあるジョー・ビタリー博士が、隠れた思考(思い込み)について触れている。その隠れた思考の弊害こそが、成功のための引き寄せの法則を阻んでいるという。ビタリー博士の著書「ザ・キー」(ジョー・ビタリー[著] 鈴木 彩子/今泉 敦子[訳] イースト・プレス)には、そのことを中心に記述がある。この本は、≪はじめに≫で、ボブ・プロクター氏が指摘しているようにクリアリング・メッソドだ。
この「ザ・キー」のタイトルには、すでに十分な意味が込められており、
ここで言う
「『キー』」とはつまり『クリア』」すること」 (前出)
だという。そのクリアにする対象こそが、
「キーとは、つまり、ほしくないものを引き寄せている隠れた思考や思い込みを
『クリアにする』ことです。」 (前出)
という。
「ザ・シークレット」などのブームを機に、さまざまな”引き寄せの法則本”などが
書店の店頭に出て、その影響を受けた読者の中には、実践した人も当然多くいる。
だが、本で読むように「引き寄せの法則は、試したがうまくいかない」「効果がなかった」などの不満を漏らす人も多いのは、事実だ。
しかし、結果が出ないというのは、それなりの理由がある。
引き寄せの法則は、働かなかったのではなく、むしろ働いていていたのだ。
であるなら、
なぜ引き寄せの法則がうまくいかないのか。
それは、私たちの心の奥深いところにある隠れた思考に、理由があり、
文字通り、引き寄せの法則は、私たちの心に忠実に働き、
正しく機能さえしていたのだ。
その引き寄せの法則が望むように機能しなかった理由と
正しく機能させるためにどうすべきかに注目した本が、
「ザ・キー」だ。
ビタリー博士の指摘によれば、
「あなたが引き寄せているのは、潜在意識があなたにとって
正しいと感じたことなのです。」 (前出)
という。その上で、
「自分が望むことをきちんと引き寄せるには
顕在意識と潜在意識の意見を合わせる必要があります。」 (前出)
と強調している。
私たちは、表面的には、望んでいると思っているが。それで、実際に引き寄せの法則を試してみる。ところが、固より、半信半疑で、十全たる気持ちもなかったり、あるいは、
ビタリー博士も最も注目しているが、深刻なのは、望んでいると思っているつもりのその気持ちと真逆にあるような場合だ。つまり、
「目標を求めていても、それを望まない部分がどこかにある。」 (前出)
自分の気づかない部分で、表面的に望んでいる気持ちをまるで裏切るような複雑な心理が働いている場合などが、それである。潜在意識は、その本音を感知しているのだ。
それゆえに、望む意識と望まない潜在意識との間に矛盾が生じる。
ビタリー博士が指摘しているのは、この顕在意識と潜在意識の不一致を一致させるべきだという点にある。
「『クリアにする』というのは、自分の欲求に対する心のなかの障害物を
始末するという意味です」 (前出)
という。
この本の中には、私たちの心の中で複雑に矛盾する思いをクリアするメッソドが、
多種多様にわたって紹介されている。一読をお勧めする。
「あなたが人生で経験することは、すべてあなたが『引き寄せ』たのです。
悪いことが起こるのは、あなたが無意識で引き寄せたからです。」 (前出)
私たちは、今一度、自分に問いかける必要があるだろう。
「私は、それを本当に望んでいるのだろうか?」と。
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