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☆幸運の女神
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    斎藤一人さんの言葉に、
    「私には福の神がついている」というのがある。
    今朝、ふとその言葉を思い出していた。いまでは、斎藤一人さんと言えば、日本でトップクラスの大金持ちで、成功者ということになっている。この言葉、なかなか言えないよな…と思った。
    一見、難なく成功したかのように見えるひとりさんだが、この言葉が、ひとりさんの口を突いて出てくるまでには、大変な厳しい時代もあったのだろうと勝手に思っている。あまり苦労話をしているのを聞いたことがないが、著作で知ったのか、講演CDの話の何かだったのか…。若い時に、雪の中を、長距離トラックの運転手をしていたようなことを述べていたように思う。正確ではない。間違っているかもしれない。ただ、そのときに、「ふ〜ん。そうなんだ。」と思ったものだ。
    だが、いまの大成功までの道のりが、そう単純なものでは、決してなかったろう。
    何か、厳しい場面で、「私には福の神がついている」と思うことにした姿が見える。
    ご本人が語っていない、あくまでも私の勝手な憶測で言っている。

    なぜ、私は、この言葉について考えてみたか。

    ふと、いま私の置かれている状況を思ったとき、笑うしかないような。そうまでしないまでも、
    逆に愉しいという感じが、フツフツとしてきたからだ。

    その理由を考えてみた。思い返すと、
    ここ数カ月というか。1−2年というか…。
    毎月1ヶ月のうちのどこかのタイミングで、どうしようもなく文無しになることがあった。
    いまどき、大の大人のポケットに、わずか二百円程度しか、持ち合わせがないのだ。
    あるいは数十円しかないときもあった。
    そんなことが、
    報酬の支払い日の直前までに数日間続いた日もあった。金がないからといって、
    アルバイトを休むこともできない。むしろ金欠の悪循環にさえなる。
    ともかく乱雑な机の上のどこかに埋没した小銭がないかを探して、
    アルバイトに出かけ、なんとか凌いできたこともある。

    今日までを振り返り、
    よく凌いできたな…という実感さえある。また良くしたもので、
    公共の人の行き交うところを歩いていると、時に、100円が落ちていたりする。
    「ラッキー!」
    わずか100に満たないとき小銭しかないとき、
    たまたま10円を拾って、それで、コンビニでパンを買い空腹を一時的に癒したこともある。
    毎日ではないが、そんな浄財が、ごくたまに落ちていたりするのだ。
    バイト先で、職場の同僚が、なぜか、拾ったからといって、「やるよ」といって、
    100円くれたこともある。
    正直ありがたかった。ちょっとした苦笑いを浮かべた。
    わずか数回のことだが、拾ったお金で助けてもらえるなんて、
    お金に苦労することがなかった今よりずっとマシな頃には、考えてもみなかったことだった。

    その頃は、仮にお金が落ちていても、気づかなかった振りをして、拾わなかった。
    金を拾うこと自体が恥ずかしかったのだ。その報いが今きているのかもしれない。

    今月、切羽詰ったときのいろんなアイデアで、なんとか、今日までやってきた。
    まもなく、ささやかな収入があるが、その日までに、また行き詰まってしまった。

    ご近所さんに、ちょっと度々の工面してもらうこともできるだろう。他にも、ちょっとしたアイデアがあり、迷惑ついでに、わずかばかりの入金も期待できるかもしれない。
    だが…ふと、思いを馳せた。

    開きなおりというのか。

    「きっと、なんとかなる…」そんな思いが支配した。どこか、妙に、愉しくさえあるのだ。
    これまでにも
    苦しい場面は、何度もあって、今回がはじめてではないのだから。
    多分、もう数ヶ月先には、また違う悩みを抱えているはずだろうなと思えて。

    いままでもそうだったじゃないか。何度、今回は、厳しいと思ったことか。
    そのくせ、今はその時のことが思い出せない。人間は、都合よくできているのだ。

    来週、午後にちょっとした用事で、出かける。
    しかも文無しで。そこへ行くまでの片道の電車賃しかないのだ。
    帰りは、2時間かけて、ゆっくり帰ればいいと思っている。

    きっと、
    何らかの方法は、あるだろう…。

    私は、数年前に読んだ「成功の掟」(マーク・フィッシャー[著] 近藤純夫[監] 上牧弥生[訳] 日本能率協会マネジメントセンター)の全3巻を、押入れから出して、パラパラとめくった。
    その第1巻に、フリーハンドの線引きがしてあった。もちろん、私が引いたものだ。

    この本は、小説仕立ての成功法則物語だ。どこか、「マスターの教え」(ジョン・マクドナルド[著] 山川紘矢+亜希子[訳] 飛鳥新社)のような大金持ちの老人が出てきて、若者がその教えを受け成功するという内容だ。内容ばかりでなく、設定の詳細も、もちろん違うが、この手のものは、マスターから教えを乞うというストーリー展開という意味ではどことなく似ている。

    この第1巻の線引きしたあたりに、注意が向いた。

       「幸運の女神を信じること。心の中でいつも女神を思い、自分の望みを
        伝えるのじゃ。そうすればきっと応えてくれる。成功した人間はみな、
        幸運の女神を信じているのだよ。たとえ迷信だと笑われようと、
        気にすることはない。」
               (「成功の掟」:p79より)

    この言葉が、いま、ふたたび私を勇気づけてくれた。
    私の人生の定義にしようと思った。

    私が、愚かにも、
    どこまでも強く引き止めている
    「お金がないという貧乏グセの神様」を手放す勇気が、
    ふと湧いてきたからだ。

    開き直る。そして、なんとかなる。

    拘わって、手放せないものを、真に手放せたとき、
    幸運の女神が現れるとそう思っているから。
    苦しいのは、あと一息だ。私にとっての春が、今そこに来ているらしい。

    私は、こんな恥ずかしいことをあえて書いた。

    なぜだか言っておこう。
    私は、必ず大成功することを確信しているからだ。
    大見栄で言ってるんじゃない。

    単なる宣言!

    ありがたいことに。
    そこそこ、どん底を楽しませていただのだから、あとは成功するしかないでしょ。

    物理的現実は、そのようにできている。


     





    posted by: fukugakuru358 | 010/マスターの教え | 12:14 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
    ☆心を支えるもの
    0

      今日の。朝からの雨の天気に言ってしまおう!「バカヤロウーぉ!」って。
      昨日の夜は、比較的、暖かかったので、「もしや…」と思ったら。やはり雨だ。
      もう一度、言うぞ。「3.2.1、バカヤロウーぉ!」
      それに引き換え、
      雪国の人々は、ほんとに大変だろう…。ニュースで見るあの雪掻きの映像。
      私は、単に映像として観ている罰当たりな都会人の一人だが。
      (あー都会人といっても、カッコイイという意味じゃない。たまたま、ほんとにたまたま都内に住んでいるというだけのその程度の者の戯言だ。)
      我々からしたら、「あー、雪掻き…か、なるほど。」と他人ごとのように思うが。
      何といっても、ご当地の方たちは、本当に大変だろうと思う。
      雨ぐらいで、文句言っていたら、怒られてしまう。申し訳ございません。

      とはいえ、
      こんな日は、無理にでも明るいことを考えるしかない。
      無理にでも、明るい方へ考えるようにしようじゃないか。せめて。

      トランサーフィン的に言うなら、第3巻的にという意味で言うなら、
      こんな言い方ができるだろう。

        「どこへも行きたくなくなるような絶望的で悲観的な雨が降っているが、
         それが返って普通じゃあり得ないほど私の歓喜を呼び覚ましてくれる!
         なぜか、これまでに経験したことのないワクワク感で、
         いま、いっぱいだー!!バカヤロウぉー!」

      そう思い始めたら、やや雨の勢いが落ちてきたように思う。雨の音も静かになってきた。
      これで晴れて、お天道さまが、顔でも覗かせたら、笑ってしまう。

      でも、やってみる価値はある。

      こんなたわいのない馬鹿げたことが、実は、ほんとうに必要なのだ。
      そう思えることが、人生のいつも分かれ道に立つことになるからだ。
      「マスターの教え」(ジョン・マクドナルド[著] 山川紘矢+亜希子[訳] 飛鳥新社)の成功法則を開く。
      そこには、次の書き出しがある。

        「もし私がお金持ちになりたいと望んだとします。私は、富がもたらすと
         思われるもの、自分がほしいあらゆる状況や物を思い描いて、
         自分の周りを取り囲みます。必要があれば、成功した人の実例を参考にする
         こともあります。そして、日々しなければならないことは、通常通り
         やり続けます。」
                (「マスターの教え」p99より)

      さらに、次のメッセージが意外に重要な意味を含んでいるので、紹介させていただく。

         「私がこの世で外見上、何をやっていてもそれはあまり重要ではありません。
          私が心の中で何をしているかが、大いに重要なことなのです。」
             (「マスターの教え」p99より)

      この話を少し、解説すると、まず、

         「私がこの世で外見上、何をやっていてもそれはあまり重要ではありません。」

      とは、
      何の本で読んだか、忘れてしまったが。こんなようなことだった。
      こんな例だ。実話だという触書だったように思うが、いま定かではない。
      それは、どちらかと言えば、どうでもいい。
      あるお金持ちで家政婦をして働いている黒人の貧しい女性がいた。その女性が、そのお金持ちの大変なお気に入りで、よく気が付いて、よく働いてくれているというのだ。もともと身寄りがなかったそのお金持ちが、やがて病死した。で、その財産を、すべてその女性に譲るというような遺言を残していたということだ。
      当然、その家政婦は、ある日突然に、莫大なお金を手にすることになって、
      大富豪になったというそんな話だった。

      繰り返すが、
      この話が、事実だったのか、どうか、それは、ほんとうに、どうでもいい話だ。
      ただ、私たちが、いまの置かれている最悪な自分の状況に、ただ打ちのめされて、
      その制限のある理性で、モノを見据えてはいけないということの示唆の一つと受け止めるべきだ。つまり、人間に訪れるチャンスは、全く意外な想像もつかないところに用意されているということが、理解できれば、それで、この話には充分な意味がある。

      私は、チャンスと前述したが、それは正しくない。チャンスではなく、その黒人の家政婦は、
      思いがけない幸運に恵まれた人生ラインにシフトしたということを意味している。

      その人生ラインにシフトする――正確には同調するという言葉が適切だと思うが。
      方法がある。実に、簡単な方法だ。
      それについて、先の引用の2番目にヒントがある。

          「私が心の中で何をしているかが、大いに重要なことなのです。」

      と。
      私たちの「心が何をしているか」が問題だと言っているのだ。
      その答えは、極めて単純なことなのだ。

      いつでもハッピーな心を持っているかどうかに掛かっているということだ。
      そのハッピーな心を構築するために、
      望む人生のイメージング(スライド)は、一番の近道なのだ。
      なぜなら、
      イメージングしているその世界に、相似した人生ラインと同調するからだ。
      音叉が同調するように。

      そのイメージング方法について、「マスターの教え」には、続きがあって、
      次のように書いている。

         「もし私が初心者で、たとえば新しい車か家がほしいとしたら、
          私は雑誌から自分のほしいものに一番似ている写真か絵を選んで、いつも
          すぐ見える場所に貼っておきます。こうすると、『外なる心(意識・理性)』
          の準備が整い。希望の実現化を早めるのです。」
             (「マスターの教え」p99より)

      とあり、実に分かりやすい。




      posted by: fukugakuru358 | 010/マスターの教え | 12:22 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
      ☆いにしえの真理をマスターする
      0

        この本を最初に手にしたとき、なんと私は、ドキドキしたことだろう。
        いまもそのときのことを、ふと思い出す。
        100ページを少し上回る程度の新書本のような小さく薄い本だ。
        表紙は全体が黄色でシンプル。安ぽくさえある。だが、それが却って、蠱惑的なワクワクさせるものを感じさせた。
        成功法則の本だが、どのようなことが、何が書かれているのか。
        「秘密」をそのままタイトルにした本より、期待感に満ちて、当時、この本を開いたものだった

        「マスターの教え」(ジョン・マクドナルド[著] 山川紘矢+亜希子[訳] 飛鳥新社)
        がそれで、私は、この本に深く感謝している。

        だから、このブログの副タイトルにも著者のジョン・マクドナルド氏への賛辞を贈っている。

        成功法則本の真の入門書だと言っていい。そして入門書として存在を超えていると私は、思っている。それ自体で、すでに、ある意味完成された本だ。

        この本には、独特の高貴なムードがある。ちょっとした小説のようなニュアンスと、後半の成功するための概念について、まさにそこに重きを置いた哲学が述べられている。

        著者のジョン・マクドナルドという名前も本名なのかどうか、分からない。
        およそ90年ほど前に生きた人で、当時の出版社(カリフォルニア出版)のその存在すら既になく分からないという。そうしたことが、すべて、この本の魅力と評価が独り歩きしてもなお余りある舞台装置
        にもなっているようだ。

        もっとも単なる評判だけでは、長い時間の淘汰を乗り切れるものではない。

        この本の存在感は、さり気なく、取り上げられている哲学の重みによるところなくしては、
        誰をも惹きつけることはなかっただろう。

        この本には、「宇宙の法則」という言葉が、比較的多く出てくる。

        著者が言う、「偉大でかつ不変な宇宙の法則」とは、

           「意識はどんな形のものであれ、あるイメージと心象というべきものを
            持っています。意識の中にどんな形であろうと、しっかり保たれた心象は、
                必ず実現します。」
               (「マスターの教え」:第8章 p65より)

        ここで言う、意識とは、「(顕在)意識」のことだけではない。
        「潜在意識」だけのことでもない。
        (顕在)意識と潜在意識が一致した状態と捉えるべきだろう。

        トランサーフィンで言うところの、「理性」と「魂」が一致した状態のことで、そのとき外的意図(内的意図の自分で何かをすることに対して、望ましいと思う何かが、ひとりでにそうなる力)を生むという。

        ジョン・マクドナルド氏は、この「偉大でかつ不変な宇宙の法則」について、
        次のように述べている。

           「この法則と賢く協力し合うことによって、私たちは人生のいかなる状況、
            いかなる問題においても、人生を完全にマスターすることができます。」

        しかし、
        マクドナルド氏の洞察は深い。

           「ほとんどの人は、その『法則』を破壊的に使っている。全てがすべて
                 というわけではないが、少なくとも部分的にはそうしている。そして
                 その割合は、破壊的な方がまさっているいるのだ。」
             (「マスターの教え」:第3章 p30)

        と、私たちは、法則の恩恵を知らずに、ネガティブな思いにシフトし、
        それを意識の中に種を蒔いて培って、結果、
        思い通りにいかないどころか、あらたな問題を自ら創り出してしまう悪循環をくり返しているという事の示唆だ。

        この法則を正しく用いることこそは、

            「あなたは、あなたの思いどおりにせいこうするであろう。」
             (「マスターの教え」:第4章 p39)

        という。

         



        posted by: fukugakuru358 | 010/マスターの教え | 13:08 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        ☆マスターの教えの魅力
        0

          今日のブログは、いつもと赴きの異なる記述をしてみたい。
          「マスターの教え」(ジョン・マクドナルド[著] 山川紘矢+亜希子[訳] 飛鳥新社)が持つ
          何かしらのある霊力について考えてみた。

          というより、私がこの本に惹かれる最大の理由は、そこにもある。
          それが何なのかは、ずっと拘っている部分でもあるが。

          そして、本文のある記述にそれを紐解く理由がありそうだと感じ始めている。

          この本「マスターの教え」には、
          著者:ジョン・マクドナルド氏自身による「読者の皆さんへ」と題する短い文がある。
          その中の記述がとても奇妙なのだ。

            「ページの中に、説明のできない『何か』が確実にあります。そして、
             それが素晴らしい霊力を持ち、読者にダイナミックな確信と気づきを与えてくれます。」
                          (「マスターの教え」:前出)

          本来、著者、自らが言うことでもないようなメッセージを、まるで人ごとのように書いている
          ところが、とてもユニークだ。

          だが、確かに、
          独特のムードを持った本であることは、私も認めたい。

          その証が顕著となっている露な箇所を見出したので一つだけピックアップしてみた。
          第11章 ≪確固とした目標を打ちたてればいい≫ の章の中の記述だ。

          マスターの話を聞く、主人公たちの場面でのことだ。

            「あなたが質問を言葉にして発する前に私が即座にそれに答えることができるのは、
             このためなのです。実は、あなたが口に出す前に、あなたの考えを私は受け取っている
             のです。これは何年も訓練して、発達させることができる能力です。
             この能力は私の中にも、また、あなたの中にもあります。」
                          (「マスターの教え」:前出)

          とある。

          私たちが「願い、そして”思い”」を持つということは、一つの放送局のようなもので、
          波動を発信しているようなものだということに由来している。

          と同時、発信だけでなく、受信も行っているということ。
          そして、  

             「私たちをとりまく大気中には、何千万、何億という思想がいつも飛び交っています。」
                     (「マスターの教え」:前出)

          という表現にあるように、私たちは、そうした思考の波動の渦中にあることを示唆している。

          私は、著者のジョン・マクドナルド氏は、ちょっとした勢いで、
          前述した(「あなたが口に出す前に、あなたの考えを私は受け取っているのです。」)ような、
          一見、超能力者まがいな記述を書いたようには思っていない。

          作中人物を通して、
          記述しているマクドナルド氏の、実はリアルな体験なのではないかという
          気さえしている。

          少なくとも、興に乗って絵空事めいたことを書いているとは、
          まったく思っていない。
          もし、そうだとすれば、この本自体がバランスを失い、
          すべてが嘘臭くなるはずだ。だが、そうしたことはなく、本の内容は、きわめて真摯であり、
          実に示唆に富んで素晴らしい。

          私は、「あなたが口に出す前に、あなたの考えを私は受け取っているのです。」
          というその能力のことを考えたとき、あり得ることだと思ったのだ。本気で思っている。
          なぜなら、まず、それが信じられなければ、引き寄せの法則は、前提からして崩れる。
          思いが現実化することなどあり得ないと言っているのと同じだからだ。
          私は、その立場は執らない。

          つまり、
          「思考の法則」が、厳然たる真実だと思っているからだ。
          その「思考の法則」とは、

          ジェームズ・アレン氏の著作「あなたの願いがかなうとき」(ジェームズ・アレン[著] 葉月イオ[訳] PHP文庫)に、次の記述にある。

             「心と現実の間に、『原因と結果の関係』を成り立たせる『思考の法則』の存在」

          するというメッセージに基づく。

          物理現象としてある「原因と結果の法則」は、他方で、目に見えない心の世界にも作用として働くのだということをアレン氏は、示唆している。

          その前提で、

            「あなたが口に出す前に、あなたの考えを私は受け取っているのです。」
               (「マスターの教え」:前出)

          を可能にする方法が、相手に同調することだと思っている。
          その同調する能力が磨かれれば、当然できるのだろうと思う。

            「私はその能力を発達させ、利用しています。あなた方の能力はほとんど完全に
             眠っています。」
           (「マスターの教え」:前出)

          こうした超能力的なちょっとワクワクするような記述が、数箇所かある。
          今回は、たまたまその一箇所のみ取り上げたが。妙に、霊的なムードをもりたてつつ、
          そして、リアリティを持って伝えられるところに、この作品の魅力となっているように思う。

           



          posted by: fukugakuru358 | 010/マスターの教え | 14:12 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
          ☆権利
          0

            私たちが、まず一番に気づかなければならないことがある。
            それは、私たちの誰もが、幸せになり、豊かになる権利があるということだ。

            そのためには、一方で、誰かが幸せになる権利をあきらめ、もう一方で、豊かになる者は、あきらめた人の分の権利を手に入れて、その分が多ければ多いほど、より幸せになり、より豊かになれるというな低次元なレベルの話ではない。

            だとしたら、
            それは、間違った思い込みに基づいている。

            私たちの生きるこの世界は、一見、物質的資源や富に制限があるのだという
            誤った認識を植えつけられたことによるのだ。

            そうした見方には、
            人間や人間が恩恵を被るはずの技術、物質的所産や富がさらなる進化・発展するということは、
            端から度外視されており、
            富を持つ者、持たぬ者との間で、いわゆる”有限”の富を、略奪、強奪、合法、非合法など、
            考えられるありとあらゆるを問わず、水は高いところから低いところへ流れるように再配分をくり返してきたという、良くも悪くも、これまでの過去の歴史的必然に囚われているだけだ。

            これまでの歴史は、そうであっても、
            いま私たちは、大いなる可能性を秘めた宇宙的存在だという認識を
            強く持たなければならない。

            周知のとおり、ジョセフ・マーフィー博士前後以降で語られる成功法則の圧倒的な多くは、
            私たちの誰もが、”有限”の富の再配分によってでなく、誰もが容易に豊かさを享受できるのだということを私たちがもともと持っている潜在的能力によって可能なのだと示唆してきている。

            私たちの得られる権利について、
            「マスターの教え」(ジョン・マクドナルド[著] 山川紘矢+亜希子[訳] 飛鳥新社)では、
            次のように述べられている。


               「幸福を追求することは、人間の正しい本性である。
                それは、人間の希望の一番大切なものだ。」 
            (前出:p31)

               「欲するものすべて、しかも限りなく手に入れることは、あなたが天から受けついだ
                運命であり、生まれつき持っている権利です。あながほしいと思うものは、
                あなたが用い、あなたが楽しむためにここにあります。」
            (前出:p95)

            こうしたメッセージは、「マスターの教え」に限らず、他の成功法則の本においても、似たような表現のメッセージを、いくらでも拾い出すことはできる。(ここでは、省略するが。)

            そのために、私たちは、ほしいものを手にいれるためには、
            どのようにすればいいのか。
            それについて、「マスターの教え」は次にように言う。

               「あなたの中に存在する力に同調することを学べば、あなたが得たいと思うものは、
                何であっても、潤沢に得られる」
            (前出)

            としている。

            「あなたの中に存在する力に同調すること」とは、何か。
            それは、私たちの偉大なるパワーの源である”内なる心(潜在意識)に同調する”ことを
            意味している。

            私たちは、必要に応じて、時に24時間、まったく意識せずにこの潜在能力の力を
            使ってはいるが、
            意図的に利用することについては馴れていないか、知らないか。知っていても、
            すぐに、結果が出ずにあきらめてしまうなどがある。

            そのことについて、「マスターの教え」では

               「普通の人は人生を表層的な部分だけで生きており、自分の中に存在する偉大な力に
                気がついていません。彼らは自分のささやかな信頼を『外なる心』によせてしまい、
                そこからの誤った情報に支配されています。」
             (前出)

            と述べている。

            この本では、さらに
            この偉大なるパワーを活用するための方法の基本的な一例 = 重要な一例が述べられている。

               「ビジョンを描く」

            ことだ。

               「もし私がお金持ちになりたいと望んだとします。富がもたらすと思われるもの、
                自分がほしいあらゆる状況や物を思い描いて、自分の周りを取り囲みます。」

            と述べている。いまは、
            どのような成功法則にでも、語られている方法の一つで、目新しさはないが。
            だとして、
            その分かっていることを実践し続けること、そこに努力を惜しまない人は、案外少ない。
            ならば、
            もう一度、私たちの権利について、思い出す必要があるだろう。

               「あなたはお金持ちになり、地位も得て、しかも健康で、幸せになることができます。
                それは、あなたが自分の存在の法則を知り、それと協力しさえすればいいのです。」
                    (前出:p96)



            posted by: fukugakuru358 | 010/マスターの教え | 12:45 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
            ☆同調
            0

              「マスターの教え」(ジョン・マクドナルド[著] 山川紘矢・亜希子[訳] 飛鳥新社)
              の前半部分に次の一節がある。

                「多くの人々はどうして、いろんな欠乏や苦痛や不幸に苦しむのだろうか?
                 人生のどんな場面にいるにせよ、多くの人々が自分の幸福や家族の幸福にとって、
                 何かが欠けていると信じていることは、まったく馬鹿げている。」
              (前出)

              私たちの思い込みによる不足感や限界、自ら設けた制限についての批判だ。
              この箇所は、主人公の友人が、絶望の淵を彷徨っているときに、マスターと出会い、その時の”教え”を伝え聞いたものを独白している場面からのマスターのメッセージだ。
              なぜ、マスターはこのように言える根拠を持つのか、
              この一節の少し先の部分で次のように言う。

                「というのは、あなたの中に存在する力に同調することを学べば、
                 あなたが得たいと思うものは、何であっても、潤沢に得られるからだ。」
              (前出)

              私たちが学ぶべき価値が高いものは、「意識」と「潜在意識」、「外なる心」と「内なる心」あるいは、「理性」と「魂」の一致、つまり2者の関係が「同調すること」が必要なのだ。
              それが願望実現のための根幹をなしている。

              「外なる心」と「内なる心」をどう同調させればいいのか。
              そのことを
              「マスターの教え」で、それを見い出してみようと思う。

              この本の第八章は、≪意識に保たれた心象は必ず実現します。≫というタイトルになっている。
              ここでは、思考の現実化にというものについて、基本的な概念を分かりやすく説明している。
              私たちの身体を例にあげ、私たちの取るに足りないほど小さな細胞の一つ一つに、こうなるのだという設計図をいうべき「意識のひらめき」があり、それらによって、私たちの髪の毛、身体の手足、私たち全体が創造されていくという説明がある。
              その「意識のひらめき」について、次のように語られる。

                「意識はどんな形のものであれ、あるイメージと心象とも言うべきものを持っています。
                 意識の中にどんな形であろうと、しっかりと保たれた心象は必ず実現します。」
              (前出)

              物質の現実化には、イメージまたは心象が必要であることが説かれている。

              そして、これが偉大なる「宇宙の法則」であるとも。

              ただしこの「宇宙の法則」を十分に使うことができない。
              私たちの内に問題がある。

              ここで言う、意識とは、「意識」と「潜在意識」、「外なる心」と「内なる心」あるいは、「理性」と「魂」その両方をさしているが。

              その問題というのは、

              「外なる心」(「意識」または「理性」」)が常にふらふら揺れ動きやすいということだ。
              物理的な現実世界において、私たちの「外なる心」は、望むましいあり方や願望を作り出すが。
              一方で、
              常に五官を通じて外部とのやりとりにさらされため、そこから得たネガティブな情報などで悩まされる。
              自ら制限や不足感、できないという思い込み、あらゆる障害をもっともらしく創り出してしまうという厄介さを兼ね備えている。

              「内なる心」は、
              無限なる力を持つ一方で、意思を持たない。
              ただひたすら、
              「外なる心」からもたらされた思いを指示として実行するという役回りを持っている。

              「外なる心」の投影、現実化が、「内なる心」によってなされるのだ。
              したがって、
              願望を抱きながらその期待感に反するように、
              矛盾し願望の実現を阻む否定的な感情を抱く限りは「内なる心」が常に
              惑わされることになる。

              決して定まることができない「心の状態」が続く限り、結果は、願望を実現しないばかりか、
              むしろネガティブな状況さえ現実化してしまうと説いている。

              マスターは、「外なる心」と「内なる心」が一致をみるためには、
              重要なポイントがあるとしている。

              それは、明確な目標を持つべきだと。

              なぜなら、明確な目標を持つことによって、
              「外なる心」を律する必要があり、それができる最大の方法でもあるからだ。

              また、その明確な目標を維持し実行していくためには、

                 「私たちは望ましい絵をまず心の中に画き」 (前出)

              続けるべきだとしている。

               

              posted by: fukugakuru358 | 010/マスターの教え | 12:41 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
              ☆私たちに与えられた能力
              0

                 「正しい態度でいれば、すべての状況をコントロールできる」 これは、
                私の好きな「マスターの教え」(ジョン・マクドナルド著 山川紘矢・亜希子[訳] 飛鳥新社)
                の中の一説だ。
                このメッセージは、この成功物語の登場人物で、不思議な魅力を持つマスター自身の教えの言葉の一つだ。
                私は、この言葉のつよい印象に惹かれいつまで心に残っている。
                そして、この言葉の意味を、特に”正しい態度とは”のその奥義について、
                よく考えているもいる。
                この正しい態度については、
                まだこれだと言い切れるほどの十分な理解を、まだ私自身は得たと思っていない。
                非常に深い言葉だと思っている。
                だが、この本の中に、この文章全体の意味に相応するメッセージがあるので、
                それを紹介しよう。

                       「正しい態度でいれば、すべての状況をコントロールできる」

                呼応するメッセージとは、

                P78
                    「私たちは望ましい絵をまず心の中に画き(えがき)、
                     それを自動的にまわりの外の世界に焼きつける力と能力を持っています。」
                (前出)

                この部分だ。正確に言えば、この本の「意識」についての評価の中にも意味が含まれており、
                呼応する部分が分散し、丹念に語られ呼応する部分が横溢していると思う。
                直接的な意味において、P78の以下の部分だ。

                   「私たちは望ましい絵をまず心の中に画き(えがき)、
                    それを自動的にまわりの外の世界に焼きつける力と能力を持っています。」
                 (前出)

                このメッセージの意味するところは、文字通り、イメージ法だ。願うものをイメージすれば、現実化できるということであり、ジョセフ・マーフィー博士の数々の著作の中で、同じように言われていることだ。

                ただ、「このマスターの教え」の中では、この能力は、いくらでも開発できることを唱えている。 

                     「まだ開発はされていないけれど、これから開発され、
                    利用されるのを待っている能力がある」
                (前出)と、

                この能力は、つまりイメージによる思いの現実化は、使えば使うほどに、その能力が高まるということである。私は、確実にそのとおりだと思う。訓練できるものだ。つまり、基本的には、未開発なので、やってみて、すぐに良い結果が出るとは、必ずしも言えない。あるときには、思い通りにいかないだろう。それであきらめるのではなく、何度でも挑戦する必要がある。
                卑近な例で言えば、自転車乗りだ。乗れるまでにおよそ3日程度は、必要だ。個人差はあるが。
                それまでは、何度でもコケルはずだ。私自身もそうだった。自転車乗りでコケルのは、許せるが、潜在意識の能力を使う時、すぐに思うとおりにいかないと言って、「やっぱりダメだ」なんていうのは、あまり理不尽な話だ。ご都合主義というものだ。うまくできるようになるまで、我慢強く、信じることだろう。

                こうした、ちょっとした挫折も含めて、あるいは、自分の中の秘めた能力について
                その疑いを持たないよう、次のように示唆もしている。
                「マスターの教え」の中に

                    「普通の人は、人生を表層的な部分だけで生きており、自分の中に存在する
                    偉大な力に気がついていません。
                    彼らは自分のささやかな信頼を『外なる心』(顕在意識)によせてしまい、
                    そこからの誤った情報に左右されています。」
                (前出)

                と述べている。
                私たちが常に心がけるべきは、私たちの内に秘めた優れた能力に絶対の信をおくことだ。
                それは、実は聖書の時代から言われ続けてきていることでもある。



                posted by: fukugakuru358 | 010/マスターの教え | 12:01 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                ☆昨日の続き:深すぎてやや難解な12章(マスターの教え)
                0

                   (昨日からの続き)

                  「マスターの教え」(ジョン・マクドナルド著 山川紘矢・亜希子[訳] 飛鳥新社)の
                  12章は≪個人を越えた無限の宇宙の力≫だ。
                  その中に難解な

                      「宇宙全体には、『一』というただ一つの数しかないのと同じように、
                       この宇宙に、ただ一つの『私』しか存在しません。」
                    (前出)

                  というメッセージがあるとお伝えした。
                  この言葉の意味は、誰にでもすぐに分かるだろう。言葉自体は、やさしい単語で構成されており
                  それ自体は、何も難解ではないと思う。
                  しかし、数学的に理解しようと考えるとやや辛くなってくる。
                  だがこの言葉には、考えれば、考えるほどに秘められた思想が、
                  奥深く込められていると私は感じている。

                  私が、この「マスターの教え」12章のこの前後の文章を読んだ時は、
                  なんとなく分かった気になっただけである。
                  だが、心の深いところで、何かが燻っていた。…どうしようもなく。
                  そして、この本の中のマスターも「いま、すべてが分からなくても良いとしている。」
                  また、「無理に分かろうとする必要もない」と言っているのだが…。

                  著者が思いが込めたこの12章について、私が、ようやく理解を深め始めてきたのは、
                  R.W.トラインの著書「人生の扉をひらく『万能の鍵』」
                  (吉田 利子[訳] サンマーク出版)の導きによるところが大きい。

                     「宇宙の中心にある偉大な事実――それは、すべての背後には、
                     『無限の生命と力のスピリット』が働いていてすべてを動かし、
                     すべてを通じて、すべての中に現れているということである」
                  (前出)

                  さらに、

                     「わたしたちは、神から生命を授けられたのだし、いまも授けられている。
                     私たちは、神の一部なのだ。わたしたちと神は違うが、それはわたしたちが
                     個々のスピリットであるのに対し、神はわたしたちすべてもわたしたち以外の
                     すべても包み込む「無限のスピリット」であるからで、本質的には、
                     神の生命と人間の生命は同じひとつのものなのである。」
                  (前出)

                  と説いている。
                  私は、この偉大なR.W.トラインの導きで、心の深い部分の燻りが大きく溶解していくのを感じた。
                  「宇宙全体には、『一』というただ一つの数しかない」というのは、
                  R.W.トラインの指摘する意味において、
                  共通の”神と私たちは、ひとつである”という概念を示唆していると言える。

                  そして、
                     「この宇宙に、ただ一つの『私』しか存在しません。」と言うのも、
                  私 =(イコール) >> 神(私のその向こうに神があると言う意で)であるという概念を持ち込んだものだ。

                  この考え方は、宗教的な世界観の違いで、私たち日本人にとって、
                  やや理解しずらい点があるのかもしれない。
                  西欧には、旧約聖書、新約聖書とあり(それ以外の宗教思想もあるだろうが)、歴史的に西洋人は、細胞の一つ一つまでが、その西欧的な宗教観に慣れ親しんでいる。だが、私たち日本人は、東アジアの端くれの一員として仏教的な世界観の影響下にあるかもしれないが、敬虔なという意味では、歴史的に全体的にみれば無宗教、無信仰の傾向が比率として高い。宗教益な行事なら、何でも有りのところさえある。そうして、私たち日本人が風土的に体に沁み込んでいるものの世界観から、12章や、R.W.トラインの世界は、「なるほどね。」と、簡単には腑に落ちにくいのかもしれない。これは、単なる直感的な私見であるが。

                  日向敏史の音楽に「ひとつぶの海」という曲があるが、
                  余談で言うと、私は、この幻想的な曲が好きだ。

                  この「ひとつぶの海」に前述した「マスターの教え」12章やR.W.トラインの世界観を
                  当てはめると、とてもわかりやすくなると思う。

                  もちろん、「ひとつぶの海」はそれぞれの一粒一粒が私たちそのものだ。
                  そして、海は、神である「海」なのだ。
                  たとえ一粒の水滴でも、海と同じ成分で出来ている。
                  「ひとつぶの海」の「海」を「心」や「精神」に置き換えてみて欲しい。
                  大きな「心」または「精神」つまり、概念としての「心」や「精神」それが、
                  まさしく「神」として。

                  この神と私たちがひとつだという概念が、なぜ重要なのか。

                  私は、心の内に無限の力を持っているというすべての考えの基本になるからである。

                  「マスターの教え」は本としては、実に読みやすく平易に書かれている。
                  だが、その奥に深いものが横溢しているので、何度、読んでも飽きない。
                  そればかりか、むしろ霊的な作用を受けている気にさえなる。もちろん、それは、個人差がある話だが。
                  R.W.トラインの著書なども併せて、読むとさらに深い理解ができるだろうと思う。

                   



                  posted by: fukugakuru358 | 010/マスターの教え | 12:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                  ☆深すぎてやや難解な12章(マスターの教え)
                  0

                    「マスターの教え」(ジョン・マクドナルド著 山川紘矢・亜希子[訳] 飛鳥新社)の12章は、
                    深すぎてやや難解だ。
                    「マスターの教え」は、全体として、難しいことを、きわめて分かりやすく、そして、
                    深く深く私たちの内なる心の力の無限のパワーについて、説いてくれるありがたい本だ。
                    どこか霊的な雰囲気をもたらしている本だ。
                    しかし、やさしく真理を説いている中で、
                    唯一、12章だけが、難しい。私だけかもしれないが、難解だな…と思った。
                    12章のタイトルは、≪個人を越えた無限の宇宙の力≫だ。
                    この「マスターの教え」を読んだことのない方も含めて、以下に記述していく上で、
                    どのように進めて書いたものか、不安もある。だが、引き寄せの法則を理解する上にも、
                    また宇宙の法則を理解する上にも、きわめて重要なので、
                    早晩、書いてみたいと思っていた。
                    正直言えば、私自身、まだまだ未消化だ。12章が言わんとしているところは、
                    言葉として理解できるし、理屈としても一応、理解しているつもりだ。
                    だが、「ストンッ!」と心に落ち切れないものをいつも残す。
                    疑問に感じているのではなく、あまりに深すぎるからだ。

                    としても、

                    自分にとって、いまやっと深い世界の入り口に立つ事ができた程度であり、
                    その意味においてやっと理解できただけの能力であるが、
                    私自身のいま、できるだけの力を使って、今回は、何とか書いてみようと思う。
                    今後、何回になるか分からないが、機会あるごとに、理解を深めた度合いに応じて、
                    さらに記述していこうとも思っている。その際、私自身の理解と成長の度合いで、
                    今回や初期の私の説明が、その後、何らかの形で変わっていくとしても、
                    いま、まだまだ理解が浅いとしても、未熟さの故と、ぜひお許しを願いたい。

                    少し寄り道をさせて欲しい。
                    元格闘家の須藤元気氏は、不思議な人だ。格闘家で活躍していた頃は、さほど興味がなかったが、彼の格闘家だった部分以外のところで、
                    彼のある一面の深さについて、関心を抱くようになった。
                    正直、彼の著作を読んだ訳でもないし、十分な情報を持っている訳ではないが。彼のスピリチュアルな一面を知ったとき、彼の発言に耳を傾けるようになった。
                    そのひとつが、WE ARE ALL ONE だ。
                    彼が言う「WE ARE ALL ONE」のメッセージは、宇宙の根源を成す意味で言っている。
                    よく演歌歌手などが興が載ってきたところで、舞台と客席の一体感を増すための効果で口にする、
                    あの「さあ、みなさん、ひとつの輪(和)になって!」的な、レベルで言っているのではない。
                    あれも、興行的で俗っぽいがある意味、真理をついて正しいのかもしれないが。
                    須藤氏のは、それとは、まったく一線を画しており、スピリチュアルで哲学的な生き方に根ざして語っているようだ。
                    そうしたものの延長線に、バシャールとの対談の本「バシャール スドウゲンキ 」も出している。意識や無意識の世界にも世界観を持っているようだ。

                    私が、いま須藤氏の「WE ARE ALL ONE」を取り上げたのには、当然意味がある。
                    「マスターの教え」の第12章も、著者がどうしても避けて通れなかった。
                    「WE ARE ALL ONE」の概念があるからだ。

                    12章が難解に感じるのは、著者の説明が圧倒的に足りないからだと思う。
                    これは、推察だが、「マスターの教え」の全体が、とても分かりやすい簡易な表記とトーンでなりたっていただけに、著者は、ここ(12章)の記述で、大きな迷いとためらいがあったのだと思う。ここだけ、とてつもなく高度で、複雑になりすぎ、多くのページを割くことは、全体のバランスが悪くなるので、それを避けたのではないかと…。
                    そこで、
                    極端にエッセンスだけの内容で、核となる要素だけを示唆するカタチで終わらせてしまったためによるのだろうと思う。それが、難解さを残したのだと。
                    その推測はともかく、
                    しかし、著者が述べたかった、重要な点は、以下のとおりだ。

                    12章の凝縮は、この冒頭を構成する箇所の次の点にある。

                        「『私は……である。』『私は……になる。』『私は……をした。』と宣言する時、
                         あなたは、非常に重要で強力な主張をしています。」
                    (前出)

                        「『私は私である』(I am that I am)という偉大な言葉を思い出してください。
                         この言葉は、時代を越えて生き、語られています。この言葉の意味が本当に
                         理解された時、私たちは個人を越えて、宇宙の力に結びつけられるのです。
                         あなたの体は、あなた個人のものですが、あなたが発する『私は』という言葉は
                         宇宙的なもです。」
                    (前出)

                    という。

                    そしてこの後に、難解な「一つ」ということと「私」について概念が語られる。

                        「宇宙全体には、『一』というただ一つの数しかないのと同じように、
                         この宇宙に、ただ一つの『私』しか存在しません。」
                    (前出)

                    という記述だ。

                    ここが、宇宙を考えるきわめて重要なポイントで、さらにブログが長くなるので、
                    私なりの整理も含めて、一端、明日に持ち越しさせていただきたい。

                    (明日へ続く)


                    posted by: fukugakuru358 | 010/マスターの教え | 12:03 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                    ☆「外なる心」のゆらぎ
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                       昨日は、☆願いを妨害するネガティブな感情(http://succes-fou.jugem.jp/?eid=19)というテーマで記述した。「ザ・シークレット」(ロンダ・バーン著 角川書店)の本文より貴重な言葉を引用させていただき、そこから願いの妨害となる思考のプロセスにおいて”期待する願いだけ”にフォーカス(焦点をあてる)する重要さ大切さを強調した。
                      私が、もっとも手放せない本の一つ。またブログの立ち上げの動機にもなった「マスターの教え」(ジョン・マクドナルド著 山川紘矢・亜希子訳:飛鳥新社)で、さらに、その願いの阻害となる要因をさらに紹介してみたい。

                      今朝、あることが、ふいに思い出された。以前、YouTubeで見た”グレッグ・ブレイデン〜「思考と感情がひとつになった時」 ”
                      http://www.youtube.com/watch?v=Jx2b2nWHK0c&feature=related

                      の動画を探してみたくなった。タイトルにあるように、”思考と感情がひとつになったとき”という状態について、何がどうでという説明はできないのだが、直感めいたもの(思いつき程度のもの)があり、
                      改めて確認の意味でその動画を見た。やはり、その直感に従ったことは間違いではなかった。
                      この動画を思い出すキッカケは、「マスターの教え」の本の前半部にあった。
                      ”マスターの教えを伝授された”長年の友人の独白の部分だ(前出 p23)。

                         「ロンドンでのその夜のことを振り返ってみると、
                          私の絶望感と何か救いが欲しいという強烈な気持ちが、
                          私をその人物に引き合わせたのではないかという気がします。」

                      と、”マスター”との出会いを述べている部分が、”グレッグ・ブレイデン〜「思考と感情がひとつになった時」 ”を観たいと思わせた。
                      詳細は、その動画をご覧になることをお薦めする。

                      その動画のメッセージを一言でまとめれば、
                      ”思い(願い)を実現するためには、感情がともなう必要がある”と言っている。

                      その言葉の意味どおりに、
                      この「マスターの教え」の独白部分で”長年の友人”の言葉は、”激しい感情”をともなう表現になっている。
                      前半部は、ストーリーとして描かれた部分で、当然の描写かもしれないが、
                      読み物として向き合って見たとき、そうした”打ちひしがれた激しい感情”があって、”マスター”に出会えたということは、その後の話の展開として当然の説得力を持つ。
                      実のところ、ストーリーは、フィクションだとしても、

                      私たち現実の世界においても、
                      ”ホント!いい加減に願っていたら、何でも願い通りになった”なんてと言うより、

                      心の叫びのように願った結果、
                      思いが実現したと言うほうが、共感を得て納得しやすいし、受け入れやすい。
                      そのことからも、
                      思いに感情を込めることは、やはり重要なんだということを、再認識させられる。
                      そして、
                      思いに感情を込めるというのは、一時的な意味ではなく、永続性も求められているのだ。


                      「マスターの教え」(ジョン・マクドナルド著 山川紘矢・亜希子訳:飛鳥新社)の後半には、≪マスターの教え≫が、”あなた”つまり”わたしたち”に向けられ語られる。
                      ≪第10章 「内なる心」は、あなたを動かす最大の力です≫には、
                      「外なる心」と「内なる心」について述べられている。


                      ”外なる心”は顕在意識を、
                      ”内なる心”は、潜在意識をそれぞれほぼ指している。

                      その中で、

                         「五官という媒体を通じて外部とつながている『外なる心』の役割は、
                          その希望を『内なる心に』伝えることです。」
                       (前出 p75)

                      と語り、
                      「内なる心」は、常に、「外なる心」の願いのために偉大な力を発揮しようと活動するが、
                      それに矛盾して、
                      「内なる心」の力を大きく削ぐように、
                      「外の心」が”ゆらぎ”を生じやすいことを示唆している。

                         「次々と『外なる心』が、新しい欲望を見つけたり、
                          ありもしない障害を作り出したりするからです。」
                       (前出 p76)


                      と、制御の効かない「外なる心」がフラついて、思い(願い)が叶わない原因をつくりだしているという。そのために、どうしたら良いかは、本文を読まれることをお薦めする。

                      ただ、今回のブログの前半に、記述した「思いと感情をひとつ」にすることは、当然重要だ。



                      posted by: fukugakuru358 | 010/マスターの教え | 12:28 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |