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    ☆イケ〜!
    0

      今日書こうと思っていた内容を急遽変更した。今日書こうとしたことは、あす以降に持ち越そうと思う。なぜ、内容を変える気になったか。変えたか。
      一昨日から、阿部敏郎氏の話を書いるが、
      今朝、阿部氏のブログ(いまここ/本当は時間なんてなくて、本当は「いま」があるだけで・・・http://abetoshiro.ti-da.net/)をちょっと覗いてみたら、1月3日のままだった。
      原則、ほぼ毎日書かれているようなので、本日は、どんな内容かと気になったのだが。
      特に、まだ記述はなかった。
      そして、3日の日のブログを、なんとなくスクロールして下降してみると、

         「イケ〜!
          大丈夫!何とかなる!」
        (阿部 敏郎氏のブログ /いまここ[さて、夢でも見てみるか 1月3日]より)

      と大文字で書かれていたのに気がつく。
      これが、私の今の心境に、後押しをしてくれている。

      これもいま私が迷っているときに、表れる心の内なる声なのだなと思った。

      以下に、一度、それなりの時間を割いて詳細を書いたが、
      読み返してみて、削除することにした。
      思い直したからだ。

      あまりにプライベートなことなので
      いかがなものかと…。
      特に、「恥ずかしながらなことだな…」という思いがしてきたからだ。

      私は、いま選択の二叉路に差し掛かって、迷っている。
      その迷っている気持ちに対して、ここ数日、いろんなサインが出てくる。

      それは、今の生活上の不安から思い切れないでいる態度に対して、
      怖がらずに、踏み出せというサインばかりなのだ。そちらへ行けば、
      すぐにでも生活費上のリスクが見えているのに、そちらへ行けというのだ。

      上述した

         「イケ〜!
          大丈夫!何とかなる!」
       (前述)

      も、そうだ。
      一昨日の、”2013.1.3☆どっちでも一緒”の当ブログも、
      私の中で起きているサインだった。
      一々、例にあげないが。小さなサインが、ここのところよく目に付く。
      そのどれもが、
      どうリアルに考えても、選べという方のリスクが高いということが、
      理性的な判断をすれば明らかに見えているだけに踏み切れないでいる。

      そのもやもやで決断のできない私に対しては、
      手を変え、品を変えして。
      私の内なる心の声が、いよいよ騒がしくなっているのだなと思っている。

      私の意識の上では、目先のことが心配で、迷っているが。
      それでも、自分の心の深い部分では、
      答えは、すでに決まっているような気がしている。

      このまま、選択を先延ばしせずに。
      あえて、心の内なる声が勧めるリスクの高そうなほうを、あえて選択するだろうと思っている。

      曖昧な話を書いて申し訳ない。

      明日の内容は、もう少しマシなことを書けると思っている。
      本日のブログは、グダグダになってしまった。
      どうぞ、お許し願いたい。

      ただ、何においても、注意深く観ていると、
      心のサインが出ているものだな…ということを伝えたかったのだ。





      posted by: fukugakuru358 | 007/選択 | 12:24 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
      ☆望むこと 2012.10.21
      0

        ブログのタイトルでは、少々悩む。このテーマでと思いながら、私の思考は、時にあらぬ方向へ走ることがある。その意味で、タイトルと書き上げた中味が若干、合わないものもあるかもしれない。そう感じたこともある。どちらかと言えば、面倒くさがりの私は、タイトルとの違和感では、「ま、いいか」で済ましたこともある。
        今日は、「望むこと」というタイトルで、ブログを書かせていただくが。以前にも、似たようなタイトルで書いているので、今後のことを含め、日付をプラスすることにした。
        それでタイトルの重複を避け、差別化を図ろうと思った。お許しを願いたい。
        私の頭の中では、いろんなことへのそれぞれの思いが、自己主張したくて、すでに勝手に暴走しようと揉み手しながら、自分の順番を待っている。
        私は、それを制しながら、次に何を書こうかと、筆記しているそんな感じだ。
        と、言いつつも、ブログを書くまでに、今日のネタをどうしようかと、もちろん悩んでいる。
        おかしなものだ。でも、一端、書き始まると暴走が始まるのだ。これも不思議だ。

        私は、いま「ザ・シークレット」(ロンダ・バンーン著 山川紘矢+亜希子・佐野美代子[訳] 角川書店)のなかに登場している。量子物理学者のフレッド・アラン・ウォルフ博士の言葉に注目している。DVDの動画版では、吹き替えの声のキャラクター・イメージが加わってしまい。
        そのせいで、実際の本人の雰囲気とは、かなり異なるイメージが漂っているのではとないかとそう思っている。それは、確かだろう。DVD版を観た私の感想で言えば、気はいいがどこか頑固なお爺ちゃんというイメージと憎めないお茶目な博士という風貌に感じてしまう博士だ。
        確認しておこう。
        画面で出来上がってしまったイメージとは、相違して、本人は、あくまでも量子物理学者だ。

        YouTubeの動画に
        フレッドアランウルフ博士と量子力学の霊性 1/3
        http://www.youtube.com/watch?v=5WTOmQuhyVs
        の肉声もある。

        実際は、かなりインテリジェンスを感じる声と風貌の方だ。
        声のキャラクターのイメージに惑わされず、ウォルフ博士が、量子物理学者だということを
        きちん理解し、その上で、メッセージを受け取らなくてはいけないと思う。
        ウォルフ博士の履歴は、本の巻末にも紹介されているので、
        ここでは、省略させていただく。
        この「ザ・シークレット」には、もうひとりの量子物理学者も登場している。ジョン・ハガリン博士だ。通常、一般人としての生活をする私たちは、彼らがどういう人たちかは、馴染みもなく知らない。ましてや、外国人ということもあり、どのような権威を持つかも情報としては、ほとんどわからない。だが、肩書きの持つ意味は大きいと思う。

        今日のブログでは、ウォルフ博士の方にスポットを当てる。

        「ザ・シークレット」の本の中では、次のようにメッセージしている。

          「私は馬鹿げた空想や希望的観測を言っているのではありません。基本的なことを
           深く理解した上で話しています。マインド(創造的思考力)なくしては宇宙は存在しない
           事が、量子物理学によって発見されています。さらに、マインドが、実際に知覚する
           すべてのものを形作っているのです。」
        (前出:p43)

        マインド(思考)が、この世界を創造していると示唆しているということだ。
        それは、思うことの重要性を述べていることでもある。

        このウォルフ博士の登場の少し前に、著者のロンダ・バーン氏が、自らの筆記の中(p43)で、次のように述べる。

           「あなたの人生は、あなたが考えていることを映し出す鏡なのです。
                この地球上に棲む生き物はすべからく、『引き寄せの法則』のもとにいます。
            人間の素晴らしいところはそれを認識することができるという点です。
                人間は自由な意思で自分の思考を選ぶことができます。私たちは意識的に
                思考して、自分の人生のすべてを創造する力を持っているのです。」
        (前出:p43)

        ロンダ・バーン氏のメッセージは、「望むことを選択」することの意味とその創造力を説いている。

        ウォルフ博士などの量子物理学者の立場からのメッセージなどを、真摯に受け止めつつ、
        私たちは、望むことをしっかり「選択する」ということにおいて意識性を高める必要があるようだ。





        posted by: fukugakuru358 | 007/選択 | 13:55 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
        ☆選択の道理
        0

          このブログで、数度、取り上げたトランサーフィンのメッセージがある。
          私は、このメッセージが大変お気に入りだ。なぜなら、
          きわめて日常的なことで表現しているが、
          実は、かなりシュールな世界観がそこに見え隠れしているように感じるからだ。

          そのメッセージは、

             「トランサーフィンは、まるでスーパーマーケットで商品を選ぶように、
              文字通り運命を選ぶ方法である。」
              (「[振り子の法則] リアリティ・トランサーフィン」ヴァジム・ゼランド[著]
                   ほおじろえいいち[監修] 須貝 正浩[訳] 徳間書店 p31)

          というメッセージだ。
          これは第1巻の第1章《バリアント・モデル》の冒頭部分に出てくる言葉で。
          何ともさり気ないメッセージの中に、私たちの人生の本質がそのものズバリで込められている。
          トランサーフィンの概念と方法そのものが凝縮されているのだ。

          少し乱暴な言い方を敢えてしよう。もちろん、私の捉え方、見方だが、
          トランサーフィンによれば、
          人生は、恐ろしく、しかも、バカバカしいほどシンプルだということ。

          それが実感だ。

          そう感じたとき、私は、斎藤一人さんの講演(著作本の付録CDなど)の話を想い出す。
          頭の中で、一人さんの言葉が、あの独特のダミ声と一緒にリフレインする感じだ。

             「え…、幸せのなり方(会場の盛大な拍手)…。光の玉にね。
                  幸せのなり方、聞いたの。
              だって、死ぬの怖くなりたくなかったら、幸せになりたいよね。人生でね。
              『幸せってどうやってなるの?』って聞いたの。そしたら…、
              実に、す、ごーいバカバカしいの。
              だけど、その通りにやるとうまくいくの。ただ、みんなが思ってるほど、
                   この話は、簡単な話じゃないんです。すごーい深いです。
                   深さ50cmです。(会場大笑い)」
              ((「斎藤一人 千年たってもいい話」斎藤一人[著] マキノ出版)の付録CDより)

          このメッセージは、私の頭の中で、これまでにも、何度か繰り返し、想起されることがある。
          いまも、そうだった。

          アンチ宗教観の強い方が、このメッセージを斎藤一人さんの背景も知らず読めば、
          訝る方もいるだろう。
          私は、そう思う方のために、ことごとく詳細を述べないこととしたいと思う。
          理由は、私の話が、どんどん別の方に逸れるので。
          また、このことについては、過去のブログに何度か触れているので、興味があれば、
          そちらをご覧いただきたい。ということにし、ここでは、取り上げないこととしたい思う。

          で、話を戻すと、
          この先、一人さんのメッセージは、幸せのなり方として、
          結論から言えば、

             「いま幸せだと思うこと」 が、大切だと述べている。

          幸せだと思うこととは、そう「選択」するということだと。
          そう言っておきたい。

          「そんなことで、幸せになるわけがないだろう。」と、思う方には、
          それも「一理です。あなたは、正しい。」と答え、

          そう思うことは、ただ、自分で、
          「そんなことでは、幸せになれないという自分を選択をしたのですね」と申し上げておく。

          私は、斎藤一人さんのこの話の部分のメッセージの中で、
          重視しているのは、

             「『幸せってどうやってなるの?』って聞いたの。そしたら…、
               実に、す、ごーいバカバカしいの。」

          と、言っている部分だ。このメッセージの中でも
          特に、「実に、す、ごーいバカバカしいの。」と強調している部分だ。

          一人さんの言いたかったことは、
          そんなバカバカしいことが、「人生の法則」だということだ。

          冒頭にあげた
          トランサーフィンの概念を通して、私なりに理解したことは、一人さんが言うがごとく
          だということを実感している。

          つまり、

             「実に、す、ごーいバカバカしいの。」

          というくらいの「人生は、シンプルだ」ということだ。

          だが、そう思えなくして、人生を謎めいた、何かしら途方もなく困難で、複雑なものにしてしまっているものがある。それが、理性だ。

          常識に制約を受ける私たちの理性(顕在意識)が、それを素直に認めることを
          全く許してくれないのだ。

          ヴァジム・ゼランド氏は、第2巻の中で、常識に制約を受ける理性について、
          こう表現している。

             「常識とは、私たちを一生閉じ込めておく籠であり、そこからの脱出は
              一筋縄ではいかない。」
          (第2巻 p104)

          と。理性とは、良くも、悪くもそういう性格のものなのだ。

          その制約だらけの理性の理解を超えたところに、人生の真実がある。

          トランサーフィンは、次のように言う。

            「選択の自由は不可解なほど単純な事実の中にある。
                目的達成のために闘う必要はない。
             あなたに必要とされるのは、所有する決意だ。」
                (第2巻 引用先のメモが不明。もしかすると3巻かもしれない。)

          これは、私たちの人生は、「ただ選択」すれば良いのだと言っている。
          選択をし、そちらに注意を向け、望んでいることが、ひとりでにそうなるのだと委ねるように、
          ただ選択する。その場合の判断として、より良いポジティブな選択をすべきだと述べている。

           




          posted by: fukugakuru358 | 007/選択 | 13:13 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
          ☆選択する権利を有しているということ
          0

            今朝、私の住んでいる集合住宅の150世帯の全戸で、台所の下水管の清掃が行われた。
            下水管の根詰まり解消のためのわずか5分程度の吸引が主な作業だが。
            自治会で毎年、業者に委託しているものだ。
            その清掃は、明日(3日)だと思っていたら、今日だったのだ。

            廊下で何やらバタバタやっているので、すぐに理解した。

            ドアを開けると、やはり、予感の通りだった。
            「え、今日なの?」

            「後、10分ほどで…来ます。」という。

            何も準備が出来ていなかったので、慌てた。

            私自身の誤認によるにしても、非がこちらにあっても、
            「なんだよ、今日か…。」

            いささか不愉快になる自分を感じていた。
            そういう意識になる自分をとても「まずい!」と思いつつも、
            状況に振り回される。

            思ってる間に、すでにとなり3軒の向こうで、始まっている。
            うかうかして居れず、まず準備をした。

            何度も、不快になる自分を諌めた。はっきりわかっているからだ。
            この不快な気持ちで、どれほどそこにフォーカスしたか。そのネガティブな感情が、
            後で違う形で、戻ってくることが、分かるからだ。

            それでも、やはり6:4の割で、やや不快な気分の方に押し切られた。

            その反省を込めて、このブログを書き始めた。

            なぜ、こんなことを書いたか。

            昨日(1日)、あるヒラメキを感じていたからだ。
            それは、
            朝、目覚めて、すぐに起き上がることができないでいたときのことだ。
            寝返りを打って、少しばかりウトウトする中でのことで。

            半睡の中で、自然にだったが、ちょっとした幸せ感を意識して感じた。
            その後、5分ほどで、ようやく起きた。

            しかし、その成果はあったのだ。
            ほとんど、気づかないほど、日常の中に溶け込んだ、ほんのささいなことに、
            結果が現れていたと分かった。
            当初、意識していなかったので、細かいことは、ほとんど覚えていないのだが。
            そのくらいにどうでもいいような出来事の中で。何かしら、すべてが順調だったのだな…と。
            そう気づかされたのだ。もちろん、ちょっとしたここで。
            敢えて言うほどではない問題が発生しても、
            その質が、まったく不快ではなく、トーンがやさしいのだ。

            唯一覚えているのは、帰りの電車だった。

            私は、混む電車がどうにも嫌なので、どうしても先頭車両か、最後尾の車両に乗る。
            いつものように先頭車両を待っていたが。
            なんと、かなり空いていたのだ。
            全体的に2割程度か。
            いつもなら月曜日なので、途中駅で、それなりに6割ぐらいにはなるはずなのだが、
            全体として4割弱ぐらいの、スカスカな状態で、
            苦なく帰宅した。

            その時に、実感として、総じてその日、一日が、何となく順調だったという感想を持った。
            1日の朝、半睡で、幸せ感を抱くよう意図したのが、
            結果、反映されたのだなと、はっきり自覚した。

            ほんとにとるに足りない出来事の中に、
            さりげなく好感を抱けるようなポジティな印象が紛れるのだなと思ったのだ。

            今朝(2日)もその事実を意識して、目覚めるようにした。
            実は、
            それから小一時間もしないうちに、冒頭、前述した台所の下水管の清掃が入ったという
            事情がある。
            だけに、
            不快な気分が醸成されたときに、その気分になるべく振り回されないようにと抑制が働いていた。結果、清掃が終わってしまえば、やはり今日で良かったといまは思っている。
            今日のブログを書くときに、時間が押していて、すこし困惑していた。
            だが、携帯のメモ帳に記述していたジョセフ・マーフィー博士などの言葉を読み返しているうちに、ふと、この清掃のことを含めて題材に書こうという気になった。

            マーフィー博士のメモしていた言葉は、
            次のものだ。

              「悪いことを考えれば、悪いことが起きます。よいことを考えれば、
               よいことが起きるのです。水は容器と同じ形になりますが、心もそうです。
               つまり考え方やイメージの仕方が「容器」であり、この「容器」を通じて、
               想像力が身の回りのできごとを引き起こすというわけです。」
                   (「マーフィー 世界一かんたんな自己実現法―驚異のイメージング」
                         ジョセフ・マーフィー [著]  富永 佐知子[訳]きこ書房)

            ここで言う、水というのは、現実の状態であり反映のされ方のことだ。
            このメッセージは、
            私たちのいまの状況に対して、私たちがどう臨むのかは、私たちの態度の如何、
            つまり選択に任されている。
            この世の中に起きることはすべてそうだ。

            私たちの態度の如何とは、私たちの人生をどのように刻んでいくか。
            デザインしていくかということでもある。

            神は、私たちにいつも寛大なのだ。

            もう一つ、ジョセフ・マーフィー博士の言葉を引用しておきたい。

              「たとえ困難な時でも、いつも神の絶え間ない供給と富が与えられる。
               意識的に神なる存在と心を通わせましょう。
               問題や困難を経験することなく、内なる力を発見することはできません。」
                (「マーフィー 貧しさと富の法則 宇宙はあなたの祈りに従う」
                  ジョセフ・マーフィー [著], 奥野 節子 [訳] ダイアモンド社 p67)

            私が、この言葉に惹かれるのは、
            特に、

              「たとえ困難な時でも、いつも神の絶え間ない供給と富が与えられる。」

            の部分だ。
            私たちの選択には、いつも、神の配慮がなされているという認識に気づかされることだ。

            ここで言う、神とは、何かの特別な宗教的な意味合いで言っているのではない。
            私は、どこにもそうした宗教的なものに政治的なものも含め一切の関わりは持っていない。
            その意味でいうのだが、
            宇宙的な力だ。トランサーフィン的に言えば、私たち個人個人の世界の層だ。

            私も、神というとき、この世界の層という意味で言っている。

            その世界の層について、ゼランド氏は、
            「トランサーフィン『鏡の法則』」(ヴァジム・ゼランド[著] ほおじろえいいち[監修] 須貝 正浩[訳] 徳間書店)次のように、メッセージする。

               「世界を信じてあげるだけでよい。」 (前出:p216)

            私たちの「選択」を支える言葉だ。




            posted by: fukugakuru358 | 007/選択 | 13:33 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
            ☆あきらめない勇気
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              かなり以前のこと、ある女優のカメラマンの旦那さんの言葉だったと記憶しているが、
              あまりに記憶が曖昧なので名は伏せておきたい。
              当時、何かの雑誌の記事に「あきらめない勇気」という言葉を投げかけていた。
              なぜ、あきらめない勇気なのか。
              その女優さんは、才女でクイズ番組にもよく出ていた。しかも、男性からは、
              お嫁さんにしたい候補でもNO.1だった。そのカメラマンの男性は、どちらかと言えば、
              強面で、背も高くなく、イケメンタイプではなかった。そんな中、
              そのライバルの多い女優さんを射止めるためには、
              あきらめない勇気で望む必要があったのだというような記述だったように思う。
              決して、正確ではない。間違っているかもしれない。

              ともかく、それはそれとして、
              私は、この「あきらめない勇気」という言い方が、その頃、
              どこか新鮮で、「いいな…」と思った。
              いまもそう思っている。
              ちょっと心が折れそうな時に、この言葉を噛みしめてみると、やや元気が出たものだ。

              人の心は、よく揺れ動くもので、2−3日前だ。
              私は、寝床について、ウトウトしかけたころだろうか。私は、私自身に「ありがたい」と思った。
              なぜなら、
              私は、刹那的にネガティブな生き方を選択せずに、むしろ成功法則を学び、それを知りつつあるからだ。自分の気持ちにふと現われるネガティブな気持ちにさえ支配されないようにすれば、
              あるいはポジティブに自分の心をコントロールできるようにすれば、答えは自ずから、道は開けるのだと。そう思うと、嬉しかった。何か、それだけで、
              成功者になったような気分を抱いて、ニヤリとした気分で寝た。

              だが、気持ちは、一定ではない。
              それから1日−2日を経て、
              ふいに、制限の多い理性が、あれこれと、判断をし、推測し、理性という範囲の中で、
              思いつく限りの常識どおりのシュミレーションをする。
              すると、自分の目的が、急に届きそうになく、不安になる。
              迷惑をかける人も出てくると思うと、気持ちも焦る。

              「うーん…。、ダメかもしれない…」と、気分がやや沈む。そんなときは、
              一方で「あれれ…」と、自分でも、ネガティブな感情に左右されていることに気がつく。
              理性は、やはり願望実現の可能性について、いつも小姑のように、うるさくついてまわり「目的達成には可能性がなく、厳しい現状がある」のみだと指摘する。

              そんな時は、目的達成のビジョンを思い出すことが、良いのだろう。

              私は、このブログを記述する前に、少し、気分が塞いでいた。
              目的達成のために、自分で何とかしようとする意図が、強く働いてしまっているからだ。
              それは、トランサーフィン的には、内的意図というもの。

              そうすると、どうしても理性が打ち勝つ。
              理性の計算が、実現するのは、難しいと判断を下し、
              結果、気分が滅入るのだ。

              私は、内的意図でなく、合理的な説明の付かない、願望実現のプロセスの中で、
              特異に現われる不思議な力、つまり外的意図が作用してくれるよう選択している。
              心がけている。それは、次のことによる。

              トランサーフィンの第2巻
              (「[願望実現の法則 リアリティ・トランサーフィン2]」ヴァジム・ゼランド[著]
                    ほおじろえいいち[監修] 須貝 正浩[訳] 徳間書店)
              の冒頭には、特に重要と思われる数行ほどのメッセージが、抜き書きされている。
              その一節を引用しておきたい。

                  「トランサーフィンの本質は、内的意図を断ち、外的意図を利用するという点にある。
                   外的意図とは、”所有する”決意のことである。言い換えると、
                   自分がそれに値すると思い、選択権が自分にあることを知っていることだ。」
                           (トランサーフィン:前出)

              を念頭にしているからだ。 外的意図が働くよう心掛けて、
              そのために、願望がすでに実現したかのようなビジョンを思い描いている。
              リラックスできる音楽も立ち上げて、
              これを、ここ何日も実践している。

              ビジョンを思い描いている間は、ときどき、その場の雰囲気に浸ることもある。
              それが、大事なのだろうと思う。
              喩え、
              こうしたことを実践していても、時折、気持ちが塞ぐこともあるものだ。
              一方で、
              それでいいのだと思う。自分にすべて完璧さを求めても負担になるだけだかだ。

              「夢をつかむ方法」(ジェフ・ケラー[著] 弓場 隆[訳] Discover)
              を開いた。《4 自分の感情に責任を持つ》という項目が目を引いた。

                 「まず、怒りについて。誰かがあなたを怒らせるのではありません。あなたが
                       ある状況に腹を立てることお選んだだけです。恐怖や不幸についても同じです。
                       それらの感情は、あなたがネガティブな思考を選んだ結果なのです。」 
                        (ジェフ・ケラー[著]:前出)

              このメッセージは、分かりやすい。私は、怒りがあって、恐怖があって、不幸があって、云々では、ないけれど、まだ少し先の未来について、勝手なシュミレーションをして、実現可能性についえ、自分の気持ちの世界で、不安になりネガティブな思いを引き寄せたのだと気づかせてくれた。
              思い直そうと、気持ちを立て直せていただいた。

              このブログの後も、再び、いや、何度でも、ビジョンを描いてみることにしようと思っている。

               



              posted by: fukugakuru358 | 007/選択 | 12:46 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
              ☆選択を見直す
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                昨日、右膝を痛めていたことを書いた。カカトのすり減った靴をただ足によく馴染んでいるという理由だけで、そこからくるリスクを甘くみていた「選択」の結果だった。
                靴を変えないといけないことは、かなり前から意識し分かっていた。しかし、
                新しい靴に履き替える勇気が出なかったのだ。
                理由は、簡単で。新しい靴が、足に馴染むまでに時間がかかり、
                その間、足全体や特につま先が締め付けられて痛い思いをするのが嫌だったからだ。
                私は足がデカいのだ。
                足の横幅がややデカいので、大きな靴屋でも理想的なサイズがなく、いつも悩まされる。
                その苦い体験を印象として引きずっているため、馴染んでいるというだけで、
                すり減った靴にすぐ依存してしまう。

                だが、それも限界があるのだということをつくづく知らされたのが、今回だった。

                カカトのアンバランスにすり減った靴のリスクは、腰に歪みをおこさせ、膝痛を起こしたのだ。
                朝一番に、新しい靴を履いたが、やはり、新品の靴独特の硬さで、腰、膝、に加え、足のつま先まで、痛みが増した。一週間程度は、辛抱が求められるのだなと思った。
                新しい靴にしたおかげで、腰、膝の痛みが、数十パーセント程度引いた。

                私は、あえて個人的なつまらないことで、選択の重要性を書いている。

                人生の分岐点だけに、重要な選択があるのではなく、ちょっとしたこの日常の中の些細なところにこそ、いづれ大きな分岐点を生む、また知らずに積み重ねている選択があることを言いたかった。
                昨日書いた「一瞬の変化」のタイトルで言えば、都度の選択の中に、大きな変化をもたらすものがあるのだということでもある。

                「誰でもできるけれど、ごくわずかな人しか実行していない成功法則」(ジム・ドノヴァン[著] 桜田 直美[訳] Discover)の項目《56 毎日の自分の選択を見直す》の冒頭には、次の記述がある。

                   「私たちの人生は選択の連続であり、いい選択もあれば悪い選択もある。
                    そしてそれらの選択が私たちの行く先を決める。」 
                (前出)

                と。 
                腰と右膝痛は、想像以上にひどかった。馴染んでいる靴というこの甘い誘惑の選択は、もし今少し続けていれば、もっと申告で厳しい結果になっていたかもしれない。

                ジム・ドノヴァン氏は、選択について、何か向こうを張ったような堅苦しいことは、言わない。
                例えば、

                  「昼食でレストランに行って、オーダーを聞かれたときに大して考えもせず
                   『ハンバーガーとフライドポテトとソーダー』と言ったことが、
                   何回くらいあるだろう?」 
                (前出)

                とか、

                  「本当に体にいい食べ物は何なのか、じっくり考えたことはあるだろうか?」(前出)

                や、

                  「仕事のときはどうだろう?慣れ親しんでいるという理由だけで、いつも同じ選択を
                   していないだろうか?」
                (前出)

                などなど、
                日常の些細な出来事に、フォーカスしている。選択とは、特別なものでなく、
                むしろそういうものだと思う。

                だが、確実に言えるのは、その選択は、人生ラインを選択しているということだ。
                ジム・ドノヴァン氏は、人生ラインというトランサーフィン的な概念を言っているわけではない。
                  「選択が私たちの行く先を決める。」 と述べているように、

                選択の向こうの私たちの将来を見据えつつ意識して語っていることだけは確かだ。

                それをキチンと、
                人生は無限数のシナリオを持つ人生ラインで構成されていると、
                言うのは

                ヴァジム・ゼランド氏だ。

                   「人生ラインにおける一つひとつの出来事は、良いほうと悪いほうへの二つに
                    分岐している。何らかの出来事に遭遇する都度、あなたはそれにどう対応すべきかを
                    選択する。もし出来事をポジティブなものと考えると、人生ラインの好ましいほうへと
                    進むことになる。しかし、ネガティブに考える傾向を持っていると、
                    不満を表してしまい、好ましくないほうを選ばざるを得なくなる。」
                   (「[振り子の法則 トランサーフィン] 超スピリチュアルな夢実現/幸福獲得法」
                      ヴァジム・ゼランド[著] ほおじろえいいち[監修] 須貝 正浩[訳] 徳間書店)

                ゼランド氏は、人生ラインという特異な言い方をしているが、ジム・ドノヴァン氏の冒頭の発言と基本的には同義だ。概念の捉え方に違いがあるだけで、人生の一側面は、「選択」という観点で、見ることの大切さを強調している。

                ドノヴァン氏の上述した項目の示唆の中で、私のお気に入りのメッセージがあるので、
                これを本日のブログの話の中のキーワードとしたい。
                ドノヴァン氏は、講演家のジグ・ジグラー氏の言っているようにという言い方で、
                次のように述べている。

                   「昨日も行ったからという理由だけで仕事に行くのなら、
                    自分の選択について考え直したほうがいい」  
                (ジム・ドノヴァン[著]:前出)

                と。

                私は、この言葉を受けて、右膝痛を単に馴染んだ靴をチェンジすれば解決するというだけにとどまることなく、根本の部分で。
                これは、文字通り痛みを伴った、私にとってのサインだったと理解している。
                今日も、朝から、とるに足らない些細な沢山の選択があったが、同時に、今の人生ラインにとどまることなく、違う在り方を目指せるように、何らかの足がかりを探しつつある。



                posted by: fukugakuru358 | 007/選択 | 12:08 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                ☆選択と向き合う
                0

                  今朝、改めて「選択」について考えてみた。
                  トランサーフィン・シリーズのヴァジム・ゼランド氏は言う。
                  私たちは、いま居る人生ライン上のどんなシナリオにも変更を求めたりできない。したがって、
                  いま居る人生ラインに不平や不満などの文句を言うことは決して適切でないと言う。

                  その代わり、私たちには許されてものがあって、
                  それは数多ある人生ラインから自分の望むものを選択し、移動することが唯一、
                  可能だとしている点がある。

                  別言すれば、私たちに許されているのは、選択する自由と権利が保証されているということに尽きると言っていい。
                  そして、「選択する自由と権利」が保証されているという事実を思うとき、
                  私たちはとんでもなく大きなものを手にしているのだと思わされるが。一方で、私たちは、その「選択」の行使の仕方が、案外うまくできないところにイラ立ちを覚えてしまうのだ。

                  ”人生ラインとは”については、度々、当サイトの過去ログの中で、何度も述べているので、
                  関心があれば、ブログ内検索で、調べていただきたい。都度、その説明をしていると本線が脇道を反れ、何を伝えるべきかを見失うおそれがあるので、省略させていただく。

                  本題に戻すと、
                  そのイラ立ちの多くは、物理的現実世界が、遅れて作用する鏡のようなものだということへの理解であり。また私たちが心の拠り所としているのは、制約だらけでガチガチな判断しかできない「外なる心=理性」の判断にかなりの信頼を寄せているところにあるように思う。

                  私は古い書籍のひとつ「マスターの教え」(ジョン・マクドナルド[著] 山川紘矢+亜希子[訳] 飛鳥新社)を、手にしていた。
                  常に、原点に戻り、何かを見出したいと思うときは、自然に手にしている。

                  何か、見落としがないのか。
                  私は、若干の書き込みや線だらけの本を見直してみる。

                  そして、
                  本を手にしたとき、何気なくパッと開いたページに重きを置いている。
                  その何気ない見開きにこそ、意味があることを常に直感しているからだ。
                  私の今の思いに対する答えか、
                  もしくは答えに近いもののヒントなりに導いてくれると信じているからだ。
                  さらに言えば、「マスターの教え」を手にしたのも、
                  決して偶然なのではないと思っている。
                  内なる要請なのだと。

                  そしてたった今、
                  ほんとに成り行き任せに開いたページは、ページの途中などでなく、
                  《第13章 貧乏はこの世で最大の罪悪です。》の項目の文字通り最初のページを開いていた。
                  私の神経は、いまこの瞬間かなりピリピリと研ぎ澄まされていたので、
                  このページを開いた直後、期待どおりにすぐに私の求めているものが、
                  関連づけられるようにビビッと来た。

                  《貧乏はこの世で最大の罪悪です。》のこの言葉には、重要なニュアンスが含まれていると
                  感じとった。
                  まさに、貧乏は、私たちの誤った選択の結果だからなのだと思ったことだ。
                  早まって受け取らないでほしい。スピリチュアルな角度からあえて言わせてもらえば、私たちは、私たちの都合と事情で、どのような状態、境遇、環境を事前に予定調和の下で、選択して生まれてきている。だから、生まれながらに大金持ちだったり、あるいは真逆に極貧に喘えぐ家族のもとで生まれるべくして生まれてきている。
                  そのことを直接さしていっているのではない。生まれながらの
                  その差がなぜ必要なのか。
                  いろんな解釈も捉え方も言い方もできるが、それを尊重しつつ、私は、独自のある角度から、
                  あえて言おうと思う。
                  ついては、このブログの冒頭、

                     「『選択する自由と権利』が保証されているという事実を思うとき、
                      私たちはとんでもなく大きなものを手にしているのだと思わされる」

                  と書かせていただいた。
                  この事実がある以上、
                  私たちは、どのような状況、状態にあっても、その原則を真に活用することができれば、本来であれば簡単に自分の置かれている状況・状態を変えることができるからだ。
                  その意味で、私たちがこの世に生まれでたスタートでの状況・状態などに過度な意義をもたらす必要などないと思っている。むしろそれに囚われれば、私たちはネガティブなスパイラルに陥る可能性があるのだ。

                  「マスターの教え」に重要な教えがある。

                     「普通の人々は人生を表層的な部分だけで生きており、自分の中に存在する
                          偉大な力に気がついていません。彼らは自分のささやかな信頼を『外なる心』に
                          よせてしまい、そこからの誤った情報に支配されてしまいます。その結果、
                          彼らは混乱し、争い、緊張の嵐の中にいます。」 
                  (「マスターの教え」:前出)

                  と記述がある。
                  この中の「自分の中に存在する偉大な力に気がついていません。」とは、表面的に理解をするなら、潜在意識のことだとすぐにわかる。だが、私は、今日、この本の中から、新たに見出したものがあり、そこに示唆による仄めかしがあるのだと気づいたのだ。

                  潜在意識を正しい「選択」によって、活かしていくことの大切さだ。

                  前述の引用は、選択そのもの誤りがもたらす結果としての混乱をもの語っている。

                  そう思えないだろうか。

                  当該著書には、ズバリ私たちの権利としての選択について次のように語られている箇所がある。

                    「欲するものすべて、しかも限りなく手に入れることは、あなたが天から受けついだ
                     運命であり、生まれつき持っている権利です。」
                  (「マスターの教え」:前出)

                  と。さらに、

                    「あなたがほしいと思うものは、あなたが用い、あなたが楽しむためにここにあります。」
                                                                        (「マスターの教え」:前出)

                  とまで、すべては選択に委ねられるもののだと詳細を追っている。
                  では、その選択は、どのような場合に活かすべきか。

                    「次のことに注意を喚起したい。あばたが腹立たしい状況に出くわし、怒りや不満など
                     ネガティブな感情で反応した時には、そうしたネガティブな気分の状況が持続したり、
                     一層悪化したり、または更なる不快な状況が新たに出現するはずである。」
                  (「[振り子の法則] リアリティ・トランサーフィン」ヴァジム・ゼランド[著] ほおじろえいいち[監修] 須貝 正浩[訳] 徳間書店)

                  とある。ここなのだ。こうした状況こそが、

                  「今、ここ」からのチャンスなのだ。人生の分かれ道なのだ。

                  あなたが、ネガティブな道を行くのか、ポジティブな道を選択するのか。その重要なポイントになっているということに気づくべきなのだ。


                   



                  posted by: fukugakuru358 | 007/選択 | 12:50 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                  ☆”困った”は思考の境界
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                    斎藤一人さんの言葉には、やはり救われる。
                    気持ちに行き詰まりを覚える時には、ふと斎藤一人さんの著作を広げてみるのがいい。
                    音声CDなどで、一人さんの講演のときの声を聴くのもいい。
                    笑っているうちに、気持ちを前向きにさせていただけるからだ。

                    朝の目覚めのときは、
                    「魂」の快・不快、あるいは「感情」の快・不快が、比較的、はっきりと感じ取ることが
                    できるものだ。

                    今朝、私は、8時45分に目覚ましのアラーム音で目覚め、
                    ちょっと寝坊したような感覚に襲われた。
                    少しでも長く寝たいという意味で、遅めの時間に携帯のアラームをセットしてあったのだが。
                    通常は、アラームには関係なく目覚めるので、

                    思わず、
                    「うーむ。こんな時間か…」と、思ってしまった。
                    どことなく気分がすっきりしない。心のなかで、2−3度、
                    ホ・オポノポノを呟いてみた。

                    朝のスタートとしてまずい感情だなと思ったからだ。
                    その後、
                    一人さんの初期の本「変な人の書いた成功法則」(斎藤 一人[著] 総合法令)
                    を手にしてみると、
                    やはり「困ったことは起こらない」という項目にまず注意が向いた。

                    私の心の不快感を呼び起こしているものについて、気づいていたからだ。

                       「目の前の困ったというのは、前段階の魂の波動が起こしたものです。
                        これを解決するには、あなたの考え方を変えて、心を豊かにして、
                        魂を向上させないと解決できないのです。」 
                    (前出:p19)

                    という示唆がある。

                       「目の前の困ったというのは、前段階の魂の波動が起こしたものです。」

                    確かにそうだと思い直した。

                    「今、ここ」で、考え方を修正すべきだというものだ。

                    つまり、
                    「目の前の困った」は、そのお知らせサービスのアラームでもあるのだ。

                    「困った」を「困ったことは起こらない」と切り替えるときですよ。
                    という警報のお知らせなのだ。

                    切り替えるというのでは、十分ではない。

                    「困ったことは起こらない」ようにするために、もっと積極的に、思い直す必要があるのだ。

                    「困った」にフォーカスするのをやめて、

                    「いい事が、山ほど来る」 (斎藤一人さんの言葉)

                    考えるにようすることを、自分のために宣言することだと思う。

                    「困った」で、思考を止めてしまい悩んでいく状態を選択し、
                    さらに困ったことになる状態を引き寄せることと、
                    あるいは、
                    「困ったことは起こらないどころか」むしろ、

                    「いい事が、山ほど来る」

                    と考えて、思考をスィッチすることには、
                    大きな違いがある。

                    私は、そこに人生ラインのシフトが生ずるのだと思っている。
                    そして、
                    「意識的」あるいは「意識する」というは、大きな差を生むと。

                       「意識的な思考というのは、潜在意識に対して『調整ダイヤル』の役目を果たしている。
                        潜在意識がネガティブで不適切な反応のパターンを生み出していたとすれば、
                        それは不合理で非現実的な意識的な思考のせいだ。」
                       (「潜在意識が答えを知っている!」マクスウエル・マルツ:ダン・S・ケネディ[編]
                          田中孝顕[訳] きこ書房)

                    と示唆がある。

                    その上で、

                       「意識的で理性的な思考をすれば、自動的な反応のパターンを適切かつ
                        ポジティブなものに変化させられるはずだ。」
                         (「潜在意識が答えを知っている!」:前出)

                    どこからともなく、不意を付くように、ネガティブな感情に支配されている時こそ、
                    意図的に、ポジティブな考えを心がける必要があるようだ。



                    posted by: fukugakuru358 | 007/選択 | 12:30 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                    ☆心配について
                    0

                      私は、心配症の性格であるために、この件に関しては関心がある。
                      心配がどれほどネガティブな心の状態であるかも、もちろん理解している。

                          「心配しても状況を改善することはできない」

                      とは、
                      ジェフ・ケラー氏の「夢をかなえる人生のガイドブック」
                       (ジェフ・ケラー[著] 弓場隆[訳] =SoftBank)
                      の≪心配事のほとんどは現実にならない≫の項目で、
                      きっぱりとこう書いている。この問題にかなり関心を持っているようで、
                      おそらくジェフ氏自身、心配症な性格を持ち合わせているのかなと余計な推測をしてしまう。
                      他の著作にも、項目が設けられ、心配についてよく触れられている。
                      たとえば、
                      ジェフ氏の「成長の法則」(ジェフ・ケラー[著] 弓場 隆[訳] Discover)では、

                         「私たちは心配するとき、将来、起こるかもしれないことについて考えている。
                          それに対し現在のことについて考えているときは心配していない。」
                          (「成長の法則」 ジェフ・ケラー[著] 弓場 隆[訳] Discover)

                      と述べている。
                      少なくも、何かしら忌まわしい事で心配することは、よりネガティブな感情を引き起こす
                      きっかけになることだけは間違いない。誰にとっても避けたい心の状態の一つだ。

                      ジェフ氏の「成長の法則」の法則の中では、私たちは、
                      確かに”将来、起こるかもしれない”ことについては心配はしているのだが、一方で、

                         「現在のことについて考えているときは心配していない。」
                          (「成長の法則」 ジェフ・ケラー[著] 弓場 隆[訳] Discover)

                      ものだと角度を変えて指摘しており、
                      心配についての対処の仕方で、

                         「できるだけ現在のことを考える習慣を身につけよう」
                          (「成長の法則」 ジェフ・ケラー[著] 弓場 隆[訳] Discover)

                      と唱えている。

                      心配するということは、
                      現実直下の制約や限界をまともに受けておきながら、社会通年的なもっともらしい論理や筋立てを自ら組み立てて得意満面な理性(意識)が、何事もうまくいかないことを前提に、
                      私たちが潜在的に持つ魂(潜在意識)の能力を拘束し過少評価する手続きに過ぎない。

                      「夢をかなえる人生のガイドブック」では、心配事の対処法として、ユニークな示唆がある。
                      8つあるうちの2つを紹介する。

                      「心配事と闘わない」 というものだ。

                         「心配事と闘えば、最後には心配事が勝つ。『抵抗すれば、それは長引く』という
                          古い格言のとおりだ。」
                         
                      (「夢をかなえる人生のガイドブック」ジェフ・ケラー[著] 弓場隆[訳] =SoftBank)

                      またもう一つの考え方、対処法は。
                      「心配は自分の選択であることに気がつく」というものだ。

                         「心配を選択と見なすとき、心配事に費やす時間を減らす重要な一歩を踏み出すこと
                          ができる」
                         
                      (「夢をかなえる人生のガイドブック」ジェフ・ケラー[著] 弓場隆[訳] =SoftBank)


                      という指摘で、心配という私たちの心の働きから、心配そのものだけにフォーカスするのではなく、私たちの人生の流れの中で、他にも選択肢があり、たまたまそのうちの心配も「選択」の一つなだけだと、置き換えてしまうことだという。「選択肢」のひとつであるから、他の選択をすればいい。
                      それが、
                      上述した「成長の法則」の示唆による

                         「できるだけ現在のことを考える習慣を身につけよう」
                          (「成長の法則」 ジェフ・ケラー[著] 弓場 隆[訳] Discover より)

                      に結びついている。

                      そのことは、ヴァジム・ゼランド氏のトランサーフィンの考え方では、
                      次のような表現で言い表されている。

                         「どんな難しい問題にも簡単な解決方法がある。それは、『軽演劇』の人生ラインで
                          見つけることができる。このラインに乗り換えるためには、まさしくそのように
                          なると思い描く意図が必要とされるだけだ。」
                         (「[願望実現の法則 リアリティ・トランサーフィン2」ヴァジム・ゼランド[著]
                             ほおじろえいいち[監修] 須貝 正浩[訳] 徳間書店)

                      私たちは、心配事で頭を悩ませているときは、深刻なドラマの渦中にいるようなものだ。
                      それを軽演劇に変えてしまえという一つの示唆だ。

                      いつどのような時でも、その時々の心配事に捕らわれることの決してない、文字通り軽演劇のような人生ラインは、目には見えないが。それでも、思考の方法の仕方で存在するのだと私は思うようになった。
                      それは思考の放射のパラメーターをネガティブからポジティブに変えたときに、その人生ラインにシフトできるというものだが。
                      なぜ、そんなことが可能なのか。私たちの存在は、物理的な現実としての肉体ではなく「意識体」だという点にある。そして、
                      「選択」という私たちの行為の中にこそ、結果として、そこには人生ラインの複数の在りかが見え隠れしている。

                      そんなことあり得るのかという疑問があるかもしれないが。
                      ならば、「選択」そのものを疑うことになる。つまり人生には、可能性はなく、
                      どうあがこうと運命論的に決まりきったものだというのと同じ論理になる。
                      私は、その立場を採らない。いつでも選択可能な無限数の人生ラインが、
                      存在していると思っている立場だ。

                      ジェフ氏の例を見ても、それが言える。
                      ジェフ氏は、人生ラインなどというパラレルな現実について、言葉として一切、語ってはいないが、それでも、
                      「夢をかなえる人生のガイドブック」の心配についての項目は、前述したように、
                       ≪心配事のほとんどは現実にならない≫と述べていることに、人生ラインのあることなどにはおよそ思い至っていないと思うが、教訓として体感しているのだと思う。 




                      posted by: fukugakuru358 | 007/選択 | 12:10 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                      ☆夢は、インデックスかも…
                      0

                        3−4日前に夢を見た。霊的な怖い夢だった。そういう夢は、まず見ないので、
                        目覚めて自身で驚いた。
                        もちろん、きちんとした筋などない。怖いといっても、私自身が夢の中で、
                        怖いと感じただけなので、この意味不明な夢を文章化し、
                        またそれを読んで、怖いとは誰も思わないだろう。
                        とりあえず夢の印象だけは書いておこう。

                        なぜか、夢の中で、私が、どこかへ向かって歩いている。急ぎ足だ。
                        と、横を見ると、やや離れたところに、あのリングの「貞子」のような霊が歩いている。
                        ほぼ私に平行するように歩いている。
                        方角的には、同じ方向だ。私は、夢の中で、貞子の進む道と同じ道に足を踏み入れたら、
                        危ないと思った。それを認識していると、
                        誰かが、そばに居て、同じような意味の注意を私に促した。
                        それで、夢が終わり目醒めた。

                        その夢を見た日より、ここ連日、夢を見たという記憶がある。
                        いまその内容を覚えていないが。
                        今朝見た夢は、まだ覚えている。
                        他界して17年になる母と、やはり数年前に他界した兄が登場した。
                        夢の中に、兄が登場してきたのは、初めてのことだ。

                        私は、兄と酒を呑んでいた。私の家の中のようだ。
                        先ほどから、台所で、賄いをしてた母の姿が見えないので、
                        兄が、私に言った。「お母さん、トイレか?」と、
                        私は、ハッとした。母の姿が見えなくなってから、かなりの時間が経っていることに気づいたからだ。「まさか、トイレで倒れていないだろうか?」「それとも、近くに買い物だろうか…」
                        そんな考えを巡らしているあたりで、夢から醒めた。

                        なぜ、夢のことを書いたか?

                        夢は、脳(あるいは潜在意識)の戯言のようなものではなく、しかも見ているものではないという指摘があるからだ。私は、この指摘に、やや衝撃を受けた。そして、ある意味納得している。

                        ヴァジム・ゼランド氏の著書「[願望実現の法則]リアリティ・トランサーフィン2」(ほおじろえいいち[監修] 須貝正浩[訳] 徳間書店)の「夢」についての解釈に強い影響を受けたのだ。
                        説明するのが、難しいが。
                        私なりの解釈が間違っているかもしれないので、
                        ぜひご自身で、本を手にして確認をお願いしたい。

                        固より簡単に言えないが、ならば大胆に言ってしまおう。

                        私たちは、この現実だけを唯一に生きているのではないということだ。

                        今を起点に、どのような可能性をも含んだパラレルな現実が無限にあるのだということが前提になっている。タイムラインでも、人生ラインでもいい。

                        私たちは、私たちの波動で、それぞれのラインが出している波動と同調するところを
                        様々に行き来している。つまり、

                        ポジティブな考えをしていれば、どんどんそのありがたい事ばかりが起きやすくなる人生ラインに滑り込んでいくし、ますます良いことが起きやすくなる。反対にネガティブな考えをし、
                        その波動に同調すれば、それに見合ったネガティブな波動の人生ラインに滑り込んでいくことになるというものだ。
                        その人生ラインなり、タイムラインは、潜在意識がコンタクトをとれる空間に存在し、現実化されていない、あるいは現実化されるかもしれない、現実化するはずだったかもという様々なパターンの人生ラインが、私たちの現実とともにすでに同時に存在しているという。

                        夢は、潜在意識レベルで、そのさまざまな人生ラインを彷徨うことだという。
                        非常に大雑把に言っている。
                        直接、前出の本で確認していただきたい。もっと高度で興味深い説明があるので。

                        ゼランド氏の記述によれば、
                        私が冒頭に書いた夢の話は、その無限にある人生ラインのひとつであるという意味になる。
                        貞子の夢は、夢として意味がよく分からないが、それでも、潜在意識の彷徨う空間の中に、
                        現実化されないであるものらしい。母と兄が登場した夢は、私自身の実体験の現実にはなかったが、仮定としては、十分、あり得た話でもあり、私個人としては頷ける。

                        伏線がないと説明できないので、前置きが長くなってしまったが、

                        なぜ夢のことを、あえて書いたか?に戻ろう。

                        私たちは、思い込みに大きく左右されているということ
                        そのためにどうすればいいのかをテーマとしたかったからだ。

                        次のメッセージに注目してもらいたい。
                        ジム・ドノヴァン氏著作
                          「誰でもできるけれど、ごくわずかな人しか実行していない成功の法則2」
                              (ジム・ドノヴァン[著] 桜田 直美[訳] Discoverより)

                           「人は人生で望む物事をすべて手に入れることができる。それを邪魔するものがあると
                            すれば、それは自分についての思い込みであり、自分の能力と自分が住む世界に                        ついての思い込みだけだ。」

                        という示唆に。

                        これについて考えたとき、深く考えれば、考えるほど、なるほどと思う実感とともに、

                        思い込みとどう向き合えばよいのかと思ったのだ。

                        その時、眠りの時に見る夢にヒントがあるのではと思ったのだ。
                        夢は、ある意味、現実化されていない多様な人生ラインの――普段、私たちが目にする
                        ことができないインデックスのようなものように思えたのだ。

                        夢こそは、可能性の宝庫が、すなわち潜在意識がコンタクトできる空間に、
                        無限に存在していることをさりげなく示しているその一端であること。

                        もちろん見る夢が、
                        すべて自分の望む理想の実現と何らかの意味で直接関連することは少ないと思うが。
                        それでも、ここに(潜在意識のコンタクトする空間に)人生ラインが無限に用意されており、
                        そのインデックスを象徴的に示唆しているのだという意味に、私は解釈をしている。

                        思い込みこそは、多くの場合、やはりネガティブな感情のひとつだと私は思う。
                        これを払拭するためには、ポジティブな感情と置き換えをしていくしかないと思う。

                        ジム・ドノヴァン氏の言うように、

                           「人は人生で望む物事をすべて手に入れることができる」

                        という。

                        ならば、その示唆を受けて、望む人生ラインに私たちの感情をシフトする。
                        そのことにより、潜在意識の受け止めが変わってくれば、
                        その波動に見合うより良い人生ラインの選択も可能になってくるはずだと。

                        そう思った。



                        posted by: fukugakuru358 | 007/選択 | 13:44 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |