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ただ幸せのちから
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    2013.07.04 Thursdayのブログのほぼラストの箇所で、

    バシャールのYouTubeの動画で、

    幸せになるために バシャール   Be Happy, Bashar
    http://www.youtube.com/watch?v=ogGjqznPhMI

    から引用した言葉に、さらに拘ってみたい。
    その言葉は、

       「幸せの反映を受け取るためには、
        どんな反映を受け取るかという期待もなく
        ただ幸せでいなければなりません。」
                        (前出より: 引用)

    というものだ。
    外の世界で、何があろうと、

       「ただ幸せでいなければなりません。」
                        (前出より: 引用)

    バシャールは、述べている。  
    「ただ幸せ」ということは、どいうことか。
    これは、幸せになるための極意であり、最短のツールであり近道なのだが。

    私たちた陥りがちな、いま、何々があって、
    幸せ。何々だから、幸せというように、
    何かに満たされた時にだけ、幸せであるというのではなく、
    むしろ、
    バシャールは、ただ幸せであるためには、一切の条件をつけないということだいう。

       「みなさんは何の期待もなく、ただ幸せでいなければなりません。」
                        (前出より: 引用)

    私は、このメッセージを聞くと、

    このブログで、過去に、2−3回引き合いに出した斎藤一人さんの話をすぐに思いだす。
    それは、
    斎藤一人さんの講演会で、かつて一人さんのお弟子さんだった、
    小俣和美さんが、一人さんと数人で、小旅行のドライブにいったとき起きた話をしている。
    以前にもしているので、要約するが、斎藤一人さんに工場から、
    何か問題が起きたらしいという電話があったそうだ。
    普通なら、
    せっかくの気晴らしの旅行の最中に、悪い知らせを受けるのは、決して気分の良いものではない。
    その時、小俣さんは、ひとりさんが思いがけないことを口にしたというのだ。
    ズボンのベルトを緩め、大きな声で、「あー、幸せだなあ〜!」と、言ったというので、
    あきれるほど、驚いたというのだ。
    だが、ここに幸せになる達人の真の姿がある。
    少なくとも、斎藤一人さんは、バシャールのいうように、幸せについて条件を付けないその姿がある。
    普通なら落ち込んでしまいそうな時に、
    「何で、こんな時に、くそ!」
    とか、あえて「あー、全くツイてないな、オレは!」等とは言わずに、
    あえて間逆に
    「幸せだなあ〜!」と、ポジティブな言葉を吐き、
    現状を肯定してしまうという大胆さ、いや勇気こそ、そこに成功者としての秘訣がある。

    実際、斎藤さんは、そうした生き方をしてきた成功者なのだ。生きた成功者の見本であり、
    論より、証拠な人なのだ。

    自分にとって、不都合な状態、思いがけないアンラッキーな状態に、ネガティブに反応すれば、
    その今起きている、自分の内面が写し出された外の世界にネガティブに反応し、
    フォーカスすることが、さらに困難な状況へと、自分がシフトし続けることになる。
    こんなはずじゃない出来事ばかりが、人生のシナリオ用意された人生ラインにシフトすることになる。

    斎藤一人さんの「あー、幸せだなあ〜!」ということで、そこで、一旦、
    それ以上のネガティブな状況を打ち切ることになるのだ。

    幸せに条件を付けないとは、もし何か、ラッキーなことが起きた時だけ、そう口にするのというのであれば、
    それは、その起きた出来事と同じようなことが、再び、起きなければ、自分は、幸せだとは思わないということを、
    自ら宣言(条件付け)していることになる。
    これは、通常は、そうラッキーなことは起きないので、その意味で、私は、幸せではないという。
    パラドックスでもあるのだ。

    で、バシャールは、

       「みなさんは何の期待もなく、ただ幸せでいなければなりません。」
                              (前出より: 引用)

    と述べているのだ。

    「ただ、幸せだ」と思いこむことで、どれほど、効果があるのだろうか。
    かつて、キリストが、遠い昔にすでに、次のように述べていることを、思いだすといいだろう。
    これも数日前に引用したが、ここでもあえて引用をさせていただく。

        「もし、あなたが信じて疑わないならば、そのとおりになるであろう。
         信じて求めるものは、すべてあたえられるであろう。」

           (「ザ・シークレット」ロンダ・バンーン著 山川紘矢+亜希子・佐野美代子[訳] 
           角川書店: p92 より [マタイ伝  第21章 22節]より)

     

     

    posted by: fukugakuru358 | 003/幸せ | 16:48 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
    ☆必要なこと
    0
      私たちが幸せになるために、絶対に必要なことがある。
      それを、私は、津留晃一氏のメッセージ集(http://www1.ttcn.ne.jp/turu/6yutakasanohonsitu.htm)「豊かさの本質」から諭された。

      絶対に必要なこととは…

      幸せについて、理由を付けないことだ。
      一切の理由付けをしないで、「(今、この瞬間を)ただ、幸せだ。」と
      感じることだという。

      理由付けしないでという意味では、

      例えば、何々が実現して、幸せ。
      何々に恵まれて、幸せ。だとかという。

      「○○…して、○○…があって」幸せという、条件付けをしないということだ。
      つまり、
      「ボーナスがたくさんあって、幸せ。」「望んだ仕事や学校に行けて幸せ」「理想の人と結婚して幸せ」だとか…。

         「人は誰でもそういう外的な刺激をきっかけとして喜びを感じます。」
              (前出: 津留晃一メッセージ集: 「豊かさの本質」より)


      なぜ、それを幸せに思うことがダメなのか…。
      実は、そのこと自体を幸せに思うことは、決して悪いことではないが、
      その一方で、後ろ向きの感情も同時に働きやすいので、それがまずいのだ。

      「望んだ通りの結果でなければ…」それは、幸せではないということになる。
      それが、いつまでも実現しなければ、幸せにはなれないと思い続けることになり、しかも、
      幸せになれない状態にばかりフォーカスして、その状態を宣言していることになるからだ。

      都留氏は、このメッセージの中で、次のように言う。

         「あなたはどんな状況にあっても、自分の感じたいように感じることが
              出来るのだという事実を決して忘れないで下さい。これを疑わず、
          どの瞬間にもこの事を思い出して欲しいのです。」

              (前出: 津留晃一メッセージ集: 「豊かさの本質」より)


      確かに、不運ばかりが続く状況や不遇にあるとき、幸せに感じることは、困難を伴う。
      それは、事実だ。しかし、このメッセージは、

      次のように、都留氏の概念的背景から生まれている。

         「でも私は断言します。豊かさとはあなたの選択によるもので
               あることを・・・。あなたのまわりには豊かさと貧しさの二通りしか
               ありません。そしてあなたが豊かであるかそうでないかは、
               あなたの選択によってのみ決まるのだということを
          信じてみていただきたいのです。」

              (前出: 津留晃一メッセージ集: 「豊かさの本質」より)

      幸せに思うか、自分を不幸で惨めに思うかどうかは、結局、自分の選択なのだということなのだ。
      良くも、悪くも、残念ながら、

      私たちの思いは、思いの通りを現実化してしまう。

      私たちは、どのような状況下にあっても、
      その思いの究極の選択は、私たちにすべて任され、許されているという自覚が必要なのだ。

      仮に、
      幸せに思うとしても、
      あるいは不幸に思うとしても、
      神は、一切、私たちに条件を付けずに、無条件に手放しで私たちを受け入れる。

      そして、私たちの抱いた通りを原因として、結果を引き寄せている。

      幸せだと思うものは、ますます幸せに、幸せに思えない、不幸を呪うならば、
      より不幸を呪うような状態を、熨斗(ノシ)を付けて受け取ることになる。

         「あなたの豊かさは、あなたの望むところを通じて表現されます。
          幸せになるのに、理由を付ける必要はありません。
          幸せを感じるのに計画を立てる必要もありません。」

              (前出: 津留晃一メッセージ集: 「豊かさの本質」より)

      シンプルに、物静かに、都留氏は、このメッセージを私たちのために遺してくれている。

      都留晃一氏に、深く感謝したい。



      posted by: fukugakuru358 | 003/幸せ | 16:22 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
      ☆幸 運
      0

        誰がどう考えても、はっきりしていることがある。
        陰気臭く、しかも人を寄せ付けない強面で、肉体上の強さをあえて誇示している人がいる。
        一方で、やはり何があっても耐え、明るい顔、声、生き方を根ざしている人物もいる。
        その代表格は、誰否定することなく、斎藤一人さんだろうが。
        著作やメッセージでしか、本人を知らないが、その限りにおいて言えば、

        男前という言葉があるが、
        文字通り、ひとりさんのような方こそ、風上に立つにふさわしい男前なのだろう。

        私も斎藤一人さんのような、常に明るさを振りまく、周りを和ます冗談の言える人間になりたいと思う。そこには、北風と太陽の物語そのものがある。特に、斎藤一人さんで言えば、最高のメッセージがある。
        それは、「いま、幸せだと思うこと」という、内容だ。

        このメッセージは、成功法則を知らない人からしたら、

        「ナンダそれは!」

        というメッセージに、きっと聞こえるだろう。
        だが、この考え方は、哲学であり、真実を含んだ。
        途轍もない、強力なメッセージなのだ。

        このことを語るのは、大変に難しいが、あえて単純化して言えば、
        「幸せだ。」と仮に、いま現状がとてもそう思えなくても、そう思い続ければ、
        その波動が、宇宙から、その思いに比例した幸せがやってくる。そのように展開してくる。

        馬鹿馬鹿しいと思うのは、人それぞれ、勝手である。
        そう思うだけの方を、必要以上に説得することもないし、説得できないだろう。
        ただ、自分の思いとの関連で、そう思えた時から、
        幸せな状態に、包まれはじめるということだ。それ以上語る言葉がない。

        ところで、
        机を整理していたら、どこへ行ったろうと思っていた「マジック・ストーリー」(フレデリック・ヴァン・レンスラー・ダイ[著] 野津智子[訳] ソフトバンクパブリッシング株式会社)の本が出てきた。良かった。ラッキーだ。

        この本は、独特のムードを持っている。
        成功法則を語り継ぐ物語形式の本の一つで、
        「マスターの教え」(ジョン・マクドナルド[著] 山川紘矢+亜希子[訳] 飛鳥新社)とは、
        ちょっと違う。どこか、人生の切なさを含んだムードがある。
        「切なさか」…と、やや思うが。決して、悲しい結末の物語ではない。
        むしろ大成功を収めるためのあくまでも成功哲学を物語の教訓として、
        語る本だ。

        恐らく、主人公が、どれほど人生の荒波に揉まれて、絶望の淵にたちながら、苦しいとも言わず、じっと幸運が巡ってくることを、胸に秘めていている姿を自分の姿として投影して観ているのかもしれないなと思う。

        この本のあらましを言っておこう。

        「時代は、4−500年くらい前の話だ。生い立ちに恵まれず、すぐに家族を失う。頼るものもなく、成人して、樽職人となる。やがて、主人公は、全く思いがけない幸運に恵まれ造船所まで創り成功するが、火災で全てを失う。しかも、借金付となり、牢獄に入れられる経験をする。解放された後も、ずっとその日ぐらしのような生活をし、ホームレス状態で、日々を過した。昔、働いていた、樽置き場の倉庫を常の寝座にしていた。そんな寒い夜のある未明に、夢見なのか…。
        自分の分身と出会う。その分身こそは、かつての華々しい成功をしていた時の自分の姿だった。そして、その分身を受け入れたとき、主人公は、かつて以上の大成功を収めるという話。その自ら体験した成功から得た教訓が、短い本の中に、凝結され記されている内容だ。」

        教訓は、6つあるのだが。
        その中の2番目を、取り上げておきたい。

           「幸運というのは、まったく予想のつかないものであり、勤勉さと創意工夫と
            感謝の気持ちがなければ、持ち続けることはできない。その意味で、幸運は、
            親しい友人に似ていると言える。
            ぞんざいに扱ったり見下したりしようものなら、
            幸運は、誰かほかの人の方へ注意を向けてしまうのである。」
                 (前出:p101より)

        冒頭に、斎藤一人さんの強力なメッセージとして、
        取り上げた幸せのなり方として、

           「いま、幸せだと思うこと」

        という内容を書かせていただいたが。

        その前に、あえて言えば、私たちは、案外、幸運なのだ。
        斎藤一人さんのような成功者から、その成功の秘訣を聞くことができるからだ。

        そして、
        前述した教訓2には、ある示唆が書かれていることに気づかれただろうか。
        成功者がせっかく伝えてくれた

           「いま、幸せだと思うこと」

        の言葉の重みを、意味がいま分からなくても、
        決して、

           「ぞんざいに扱ったり見下したり」してはならないのだと。

         



        posted by: fukugakuru358 | 003/幸せ | 12:07 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        ☆幸せについて口にする大島渚監督
        0

          昨日のニュースでは、概ね大島渚監督の死去を悼む話題が報道されていた。
          現代日本の映画監督と言えば、すぐに思いつく著名で、実績のある。
          その意味でもスター監督の一人だ。晩年、17年も病で伏せていたことあり、
          大島氏の存在が、記憶に薄れていた方もいると思うが。
          改めて、大島渚監督の偉業が語られた一日だったように思う。
          私個人としては、好悪から言えば、あまり関心がなく、どうこう言える立場ではないが。

          本業の映画以外で、ワイドショーなどのコメンテーターとしても、
          あるいは評論番組などで激論を交わしていた時期があまりに鮮烈で、和服姿が多く、
          大声で怒鳴っていたようなイメージが強い。またそれを期待する部分も、
          観る側にはあったりする。いろんな意味でセンセーショナル方で、
          印象的には、沸点の低い、激昂しやすい、かなり強面のように思われている。

          私も、それを、大島監督に対して、
          そのイメージでマイナスに受け止めている。ただし、植えつけられたイメージで、
          そう思っていると、釈明しておきたい。

          事実は、知らない。

          その大島渚監督だが。昨日のニュースの振り返り報道で、
          意外な場面を観た。

          もちろん、心の準備がなく、いきなりだったので、正確に覚えていないが。

          大島渚監督が「徹子の部屋」に出た時の振り返り映像だった。
          50歳前後頃の和服姿の映像だった。
          にこやかに笑いながら、

          次のように言っていた。

             「今日一日が、自分が幸せだったか。(他)人を幸せにできたかどか…。」

          というような、メッセージを述べていたことだ。
          大声で怒鳴り散らかしているイメージの強い監督が、無邪気な顔で、
          そう言ったのが、あまりにも意外で驚いた。というより、そういうものが、
          大島監督の深い部分には、信条として根ざしていたのかと、
          大いに、関心をもってその刹那の映像を観た。ほんの1シーンだったが。
          私は、大島渚監督のメッセージの中で、これが一番、影響を受けた。

          ヌーベルバーグの筆頭に挙げられる監督の代表格のひとりであり、社会のタブーに挑戦してきた映画監督という説明が昨日のニュースでも、多く紹介されていた。私はといえば、特に、関心を持たなかった監督ではあるが、その程度のことは知っていた。映画も数本は、観ている。
          だけに、

          「徹子の部屋」に出演した大島渚監督の口から「幸せについて」語られ、その心がけを、常に持っているのだという言葉を聴くとは、あまりに意外だった。
          ありがたいメッセージを伺ったと思っている。

          「幸せを口する」「幸せだと思う」ことなどは、多くの人々は、現実の生活に打ちのめされて、よほどでない限り口にしない。まして「幸せとは、いつの日かに、なるもの」「幸せは、目指すもの」だと思っている。だが、そう思っているうちは、絶対に、幸せにはなれない。
          全くの間違いであることは、スピリチュアルリーダーたちが、口にしている。

          「今、幸せだ」と思うことなしに、幸せはありえない。なぜなら、私たちは、今、この瞬間を生きているのであって、過去でもなければ、まだ来てもいない、何かを約束されている未来に生きているわけでもないから。


           

          posted by: fukugakuru358 | 003/幸せ | 14:36 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
          ☆与えるということの意味
          0

            今日の素敵な一日のスタートに深く感謝します。

            昨日の大雪のあとで、今朝は、美しい朝を迎え日差しを与えていただいた。
            ただそれだけで、私は、心がとてもホットで、ホッカ、ホッカしているのだ。
            説明をするのが難しいが、なにしろ幸せな気分なのだ。
            窓から外を観ると雪のあとで、数日は、その影響も大変だなと思うが、
            それでも部屋に入り込んで壁に当たる日差しを眺めているうちに、
            幸せというのは、こういうことだとつくづく感じた。ただそれでいい。
            ありがたい。ありがたい。ありがたい。幸せなことなのだと。
            私は、寝る前に、今朝のテーマを考えていた。

            「ザ・マスター・キー」(チャールズ・F・ハアネル[著] 菅 靖彦[訳] 河出書房)の中に、

               「わたしたちは与えるものだけを受け取ることができます。与えずに
                受け取ろうとする者は、必ず何らかの代償を求められることに
                なるでしょう。」
                                   (「ザ・マスター・キー」 p227)

            私は、宗教者ではないので、正確には知らないが。
            この考え方は、聖書に起源があり、そこに通じる考え方としてあるのだろうと思う。

               「与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。」
                 (ルカの福音書 /6章 38節)

            ほとんどすべての優れたスピリチュアルリーダーであれば、同じことを言っていると思う。
            私は、この「与えたものを、受け取る」という概念が、好きだ。
            すべての真理だと思っている。だけに、その意味を常に考えている。

            ときに、この言葉の解釈で、翻訳される言葉に制約を受けやすいが、
            私は私なりに解釈をさせていただいている。

            「制約を受けやすい」がと書いたのは、たとえば
            あえて分かりやすい例を出させていただくと、
            「ザ・シークレット」(ロンダ・バンーン著 山川紘矢+亜希子・佐野美代子[訳] 角川書店)
            がある。p174にサブタイトルとして、

               「人にお金を与えなさい」
                (「ザ・シークレット」p174)

            にある。

            これは、狭義な意味では、間違いではないのだ。はっきりいえば、それも含めて正解なのだ。
            「ザ・シークレット」では、充分、過ぎるほどの説明がなされていないが、
            そこに、あえて注目させていただく。間違いだとしてでなく。もう一度いう。正しいのだが。

               「お金を人生にもたらすためには、お金を分け与えることが大変効果的です。」                                          (「ザ・シークレット」p174)

            とある。そして、補足が、少し足りていないように思うが、次のように説明がある。

               「お金を与えることは、『私はお金持ちだ』といっているに等しいからです。」
                                              (「ザ・シークレット」p174)

            そう思うことが大切だといっているのだ。
            逆に、

               「『私は人に分け与える程充分なお金はないと』と考えていたら」
                                                (「ザ・シークレット」p174)

            とある。
            つまり、そう考えることが、残念ながら、貧しさを引き寄せてしまい、その法則が働いてしまうということなのだ。
            そこに注意すべき点がある。

            私は、誤解を得やすい。「与える」という言い方について、私の理解は、様々な著作を読むうちに次のように変わった。
            「与えたものを、受け取る」という概念は、そのものズバリでもあるが、
            真の意味は、
            「原因」と「結果」の法則について言っているメッセージだと解釈している。
            「与える」というのは、善い(正しい)原因を作りなさいという意味だと。
            そうすれば、
            見合った「結果」が「与えられる」という意味だと。
            なぜ、「与える」という言葉なのかを、考えてみた時に、地に「種」をまくとは、
            何もない大地に、種をまくことで、地を豊かにするという意味をこめているのではと。
            結果として、その大地は、実りを得て、豊かになる。その意味で、与えるなのだ。


            私は、そのように考えている。


             

             



            posted by: fukugakuru358 | 003/幸せ | 13:45 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
            ☆どんな理由もいらない
            0

              「幸せだと感じるためには、どんな理由もいらない」と示唆をするのは津留 晃一さんだ。
              すでにご本人が他界した後も、関係者らによって運営されているホームページの中の
              コーナーにある、メッセージ集のひとつにだ。

              タイトル:「豊かさの本質」(http://www1.ttcn.ne.jp/turu/6yutakasanohonsitu.htm)で、
              そのことについて語られている。

              とても平易な内容と言葉で「豊かさの本質」について述べられている。
              その中で、私たちが犯しやすいのは、何か理由がないと、「幸せでない」とか「豊かでない」と思う心の状態に慣れすぎてしまっていることを、あらためて示唆されることだ。

                  「あなたは、幸せになるには『何か必要なものがある』と考えては
                 いらっしゃいませんか?
                 子供の寝顔を見たときとか、優しい彼に抱かれたときとか、
                 輝く夕日に接したときとか、人が幸せを感じるきっかけは実に様々
                 あるようです。人は誰でもそういう外的な刺激をきっかけとして喜びを
                 感じます。
                 しかし人が幸せを感じるのに、必ずしも外部からの刺激を
                 必要としているわけではありません。」
                          (前述:「豊かさの本質」より)

              この津留さんの言葉を読んで、すぐに思い出したのは、ビジネスの現場で、大成功している斎藤一人さんの言葉だ。
              やはり、斎藤一人さんが行う講演の中で、幸せについて語られるとき、
              ただ、「いま幸せだ。」と思うことだと言っておられる。
              「いま、幸せだ。」とそう思う大切さを言うのは、斎藤一人さんは、
              その場では、特に言ってないが、
              「今、ここ」を語っていることなのだろうと思う。
              同じように、津留さんのメッセージも、「何か必要なもの」を想定しないという時点で、
              これもやはり「今、ここ」を基点にしているということだと思う。

              津留さんは、先に挙げた「豊かさの本質」の中で、もう一つ私たちに、
              重要なことを示唆している。

                  「今、現にあなたが苦しみのさなかにあるとしたら、それは今、あなたの
                  三次元人生ゲームの渦の真中に意識が拘束されている状態にすぎない事を
                  思い出し、目をとじ、ゆったりとした深呼吸をして、あなたの、
                  深い大いなる意識の中へ降りてゆき、豊かな変わることのない観察者としての
                  自分の本質に立ち返って下さい。あなたの幸せは、外界に現れたその形で
                  決まるわけではありません。三次元世界に現れているのはただの結果に
                  すぎません。あなたが生み出した形は必ず崩れさるものです。
                  そんな幻影にあなたの夢を託してはなりません。」
                          (前述:「豊かさの本質」より)

              いつも他人事ながら、それでもワクワクするクリスマスは終わった。
              そして年の瀬も、まもなく暮れようとしている。
              あの廃品回収のやかましい放送もなく、町は静かさを取り戻している。時折、度の過ぎた我がままな声で泣き叫ぶ子どもの声が、どこか遠くから聞こえてくるが。
              私に限って言えば、いま目の前の現実は、決して明るくない。だが、何かが変わろうとしていることだけは、感じている。多分、直近では、しばらくの間の未来について思うとき、やや悲観的な様相を示しているが。
              私の心境は、そんなに悲観的ではない。むしろ、明るい。
              このブログを通じて、あるいは、読んだ本の中から、学びを得て、私は、確信を得つつあるからだ。

              きっと、そう遠くない時期に、私たちのためにある成功のツール。
              イメージを活用して、かならずその通りになるだろうと思っている。
              だから、目の前のなかなか変わらないように見える現実に騙されないように、
              ちょっとしたプラスのわずかな変化にも、評価を向けようと思う。

              昨日書いた、南海キャンディーズのしずちゃんのような、思いがけない不戦勝も、
              普通、理性がそんなことを簡単に想定できないだけで、
              しかし、現実には、しずちゃんに起きたようなことは、
              私たちにも、必ずあるものだということを示してくれている。
              少なくともそのシナリオは、私たちのすぐ横に用意はされているはずで。
              ただ、それに気づいて、うまくそのシナリオを見いだせるように、心が穏やかでなければならない。


              私は、そこに注意を払いたい。
              「豊かさ」「幸せ」であるためには、特別な理由はいらないことを思いつつ。

              きっと、すべてはうまくいく。なぜなら、私がそう決めたから。


              、 

              posted by: fukugakuru358 | 003/幸せ | 14:29 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
              ☆奇跡を起こすには
              0

                「マーフィー100の成功法則」(大島 淳一[著] 知的生きかた文庫)の文庫本が、
                ヤケに私の目に飛び込んでくるので、手にとった。

                最初に開いたページの項目が、《28 人生の”偉大なこと”の多くは単純である》だった。
                私は、左右の見開きで完結するその内容を、「さらっ」と読んだ。
                もちろん、以前にも何度か読んでいる。改めて、この箇所を読みながら、
                何かしら、心がホットになる。「救い」のある言葉を手に入れた気持ちになった。

                今朝も、TVを観ていると、悲観的な話ばかりだった。
                特に、注意を引いたのは、ある局では、いまの景気と雇用状況は、
                若者にも高齢者にも、どう見ても明るい話題を提供しないネガティブな現状についての
                取材ビデオを交えての論評だった。
                中でも、能力主義を強気に発言する若手のコメンテーターたちの
                「能力のあるものと振り分けて、無いものは切り捨てればいい。切り捨てられたものは、社会が、それなりに面倒みればいい」など、
                臆面もなくいう心ないメッセージには「いまだけ勝手に言ってろ!」と呆れた。

                番組の安定感ということだろう…、「大物」キャスターを中心に据えたところで、
                この程度の人選をする番組が、
                大上段に構えて今の世相を論じることが茶番のサンプル番組そのものだ。
                つまり番組自体が心ない連中の集まりで制作されているから、この程度なのだ。

                結局、この番組の安っぽさを自ら証明してみせた。
                建設的なアイデアの提示など一切なく、いま出口見いだせず澱んでいる水を、
                ひたすら、稚拙に掻き混ぜてみせているだけの番組にバカバカしさ感じた。
                ロクでもない連中がTVに引っ張り出されているんだなと、私は、思わず苦笑した。

                こういう否定的なメッセージを発する番組には、有害さはあっても有益なものは何一つもない。

                いま私が、手にした「マーフィー100の成功法則」は、ひたすら孤高にあって、
                澄んだ泉のごとく枯れることのない永遠の有益さを横溢させている。

                冒頭の書き出しは、あまりにシンプルだ。引用をさせていただこう。

                  「幸福とは心の状態です。聖書に『汝の仕えるこの日を選ぶべし』という
                   言葉があります。これはあなたには幸福を選ぶ自由も、不幸を選ぶ自由もある、
                   という意味です。」
                (「マーフィー100の成功法則」より)

                とある。
                私たちが気がつかなければならないのは、
                私たちの人生を決めているのは、私たち自身の心の状態だと
                言っていることなのだ。

                そして、それが私の人生のすべての真理なのだ。
                あまりにシンプルすぎて、すぐには納得できないだろう。
                だが、これが実は、真理なのだ。

                特に、上述したある局の番組のように悲観論的な立場で、社会の世相を斬る(?)番組では、ただ否定的なことに、眉根を寄せて、みんなで深刻になり暗い思いをして、生きることは難しいのだと喧伝する人々の声を聞けば、ますます私たちはその言葉を聞いてもただ不安になる。
                そんな社会不安な常識を煽り、あるいは制限だらけの理性に縛られた連中のメッセージなど、
                実は、千、聞いても、二千、聞いても、人生の真理に絶対に到達はできない。

                先のメッセージの
                「あなたには幸福を選ぶ自由も、不幸を選ぶ自由もある」
                とする言葉の背景には、
                神は、いつでも、どんなときにも私たちに、
                文字通り無条件に愛を降り注いでいるのだという根拠にもなっている、
                その深い概念がある。

                前述の本は、続けて、次のように述べる。

                   「これは、やけに単純に聞こえるかもしれませんが、本当なのです。
                    そしてまた、多くの人が幸福にいたる途中で、つまづく理由にも
                    なているのです。つまり多くの人は、
                    幸福の秘訣の単純さがわからないのです。」
                          (「マーフィー100の成功法則」より)

                と。
                さらに、もう一度強調して、著者は、述べる。

                   「人生の偉大なことは単純なのです。」
                          (「マーフィー100の成功法則」より)

                と。
                前述に、朝の番組を例に、澄みかけ始めている澱んだ水をかき混ぜて、
                もっと濁り水にしてしまう人々のいることを書いた。
                社会の不安を煽り、否定的な言葉ばかりを口にする人々の代わりに、
                例え、いままでが、その指摘のその通りであっても、いま、この瞬間からを肯定的な温かい言葉に変えていけば、澱んだ水は、ますます澄むのだ。だけでなく、その澱んだものさえキレイになる。それは誰もが知っている理屈だ。

                私たちは、あえて否定的なことを選ぶ必要はない。ならば、
                幸せを選ぶことにシンプルに努力すべきだ。その意味で、この本は、
                私たちが心がけたい態度を、さらに伝えているので、引用をさせていただく。

                  「まず、朝、ふとんの中で目が覚めたら、自分に静かにこう言い聞かせましょう。
                   『私は今日、幸福を選びます。私は今日、成功を選びます。私は今日、
                    適切な行為を選びます。私は今日、みんなに対して愛と善意を選びます。
                    私は、今日平和を選びます。』」
                          (「マーフィー100の成功法則」より)

                というアファーメーションがある。
                この前向きで、建設的な言葉を、起きがけの言葉として繰り返すことに、
                私たちに、躊躇をもたらす何か不利益や不都合があるのだろうか。

                 

                 

                posted by: fukugakuru358 | 003/幸せ | 13:24 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                ☆幸せづくし
                0

                  私は、いま幸せだと感じている。
                  意図的にそう感じるようにしたからで。
                  なぜなら、

                  自身のことで恐縮だが、
                  どう考えても、理性の捉え方では、いま目の前の状況が、当面、厳しく、
                  またそんな時にかぎって、まさか、そんなこともありだったのか…というような、
                  思いがけないことが起きて、ここ数日で連続して重なって、やりくりに困惑していた。
                  そのような気持ちを焦らせている原因がある。

                  それは常識レベルの範疇で合理的な判断に委ねれば、あれやこれやのネガティブな事情や思いばかりを雪だるま式にフォーカスしかねないので、それをかわしたい一心で、あえてそう考えてみようと思った。

                  こんな時は、今を取り巻く自分の身の流れに対して、
                  どうにも、こうにも、一旦、とりあえず開き直ってみるしかないようだ。
                  そこで、
                  気持ちがリラックスし、和むようないくつかのイメージを繰り返してみた。
                  すると、その効果は、
                  今日の一日のうちで、いつまで持続できるか分からないが、それでも今のところ、
                  緊張がほぐれた。
                  もしかしたら、このブログを書いているこの瞬間にも必要に応じて、
                  ふと書くのを一時的に止めてでも、再度、気持ちをリラックスしてみようと思っており、
                  あるいは終えてからも、もう一度、心和ませる思いを繰り返してみようと思っている。
                  何度でも。

                  開き直るしかないというのは、ある意味、その時点では、
                  カタチを変えた「祈り」に近いことなのかもしれない…と思う。

                  冒頭、”私は、いま幸せだと感じている。”とそう思えた根拠は、当面、置かれている状態に自棄になることもなく、しかも幸せになるための法則について考えられる贅沢を思えたからだ。
                  といって、
                  視点を変えたら、すぐにでも忌まわしい状況に焦り、胸が焦げそうなくらいネガティブになりそうだが。それでも、ほとんど気持ちを奪われることなく。
                  時には、そのことを考えることもあるが。胸の芯がギュッとさらに固くなるが。
                  それでも、
                  気持ちをリラックスさせ、目に見えない力を信じてみようという気持ちがまだあり、
                  多少、優勢でいられることに、私は、幸せなのだなと思えたのだ。

                  そうした心境をもたらしてくれたのは、

                  バシャールの動画
                  幸せになるために バシャール   to be Happy, Bashar
                  http://www.youtube.com/watch?v=ogGjqznPhMI&feature=related

                  によるところが大きい。

                     「歓喜と幸せの波動でいることです。
                      皆さんがこの波動でいるとき、創造の第3法則では、
                      『送り出すものが、受け取るものである』皆さんがエクスタシーの波動であれば
                      すぐに、その波動に呼応して、リアリティを返してきます。」
                        (バシャール:前出)

                  どんな時にも、

                     「歓喜と幸せの波動」で、原因(作用)を創造すべきだと言っている。

                  原因を作れば、そのバランスを図るために、結果(反作用)を生じることができる。
                  バシャールは、

                     「幸せの波動になればなるほど、その反映を得るでしょう。
                      そのリアリティを受け取るでしょう。」 
                  (バシャール:前出)

                  と述べる。
                  しかし、そのために幸せにについて、条件をつけてはならないと、
                  注意をする。「ただ幸せ」でいなければならないと。

                     「幸せの反応を受け取るためには、どんな反映を受け取るか
                      という期待も無く、ただ幸せでいなければなりません。」 
                  (バシャール:前出)

                  条件というのは、「何々だから…幸せ」というようなことでなく、
                  文字通り、

                     「皆さんは何の期待もなく、ただ幸せでいなければなりません。」 (バシャール:前出)

                  それが、幸せになるための、もっとも近道なのだという。


                   

                  posted by: fukugakuru358 | 003/幸せ | 12:04 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                  ☆その違い
                  0

                    2−3年前までは、よく私の住む近隣の区域や町を歩いたものだった。
                    さらに自転車で遠出することもあった。
                    商店街から商店街を巡って行くの好きだった。地名は知っているが、
                    漢字や文字でその名を知っているだけで、一度も通ったこともない地域を行くのは、
                    特に好きだ。いまはその楽しみが、なかなか都合でできないが。いづれまた。

                    初めて来た町の分岐点に立つときが、また楽しみの一つだ。
                    どちらへ行こうかと思う。それが三叉路だったり、それ以上だったり。
                    選択の幅が拡がるがるときは、ワクワクし楽しい。
                    こっちを行けば、どんなとこに行くだろう。何があるだろうと思わずにいられない。
                    その分岐点に立つときは、向こうに見えるところが、なるべく賑やかそうなところか。
                    何か雰囲気のありそうな町並みを選択している。
                    その選択は、私がしているつもりだが、実は、ちょっとした意味があるとも思っている。
                    私の魂(潜在意識)が、私の行くところを誘導しているのではないかとの思いだ。
                    ほとんど何も気づくことはできないが、きっと何かのサインが”ある”のだろうと思っている。
                    この町巡りは、人生の生き方の縮図を表したものだとも思えて。

                    ジェフ・ケラー氏の著作「成長の法則」(弓場 隆[訳] Discover)の本の帯に、
                    次の文言がある。

                       「一瞬のうちに人生が変わることがある」

                    と、さらに、級数を変えて小文字で、補足するように、

                       「準備ができている人には」

                    とあり、
                    暗示的な示唆を投げかけている。

                    先ほどの町巡りの角の話だが、どの道を選択したかでも、町の楽しみが変わることがよくある。
                    例えば、繁華街の町の裏道を行くと気づくことがある。
                    時折、住居と住居の間にスコーンと広い空間が抜けて、そこから表通りの華やかなはずのビル郡の裏側が見えたりする。
                    先ほどまで見ていたお馴染みのビルが、通りに面したところは、かなり見栄えを飾っているが、ビルの裏側は、かなり手を抜いているのだなと分かる。たまたま本通りではないもう一本別の道を選択をしただけで、その裏側が見えて、まったく違う側面を見ているようで、それなりに興味を惹く。

                    このことは、
                    私たちの人生の流れでも同じようなことが言えて、
                    必要に応じて、分岐点と出会う。正確に言えば、私たちは、いつもまっすぐに歩いているようだが、その気になれば、どの時点でも分岐点があるのだと気づかされる。

                    前述した本の、項目で、≪30 幸せを選ぶ≫は、わずか見開き2ページ弱の内容ながら、
                    読む者の気持ちを、きっと明るくするだろうと思う。
                    ポジティブな考えや言葉などが無駄なく配され凝縮されている。

                    冒頭より、

                       「幸せはどうすれば見つかるか、まず、幸せになるかどうかは自分の選択である
                        ことを認識しよう。」

                    という。そして、幸せになる人は、
                    自身をポジティブに律しており、

                       「幸せになることを選び、幸せを感じる習慣を身につけている」

                    と述べている。

                    そして、ここを特に記述したかったので、紹介をさせていただく。

                       「自分がもっていないものに対して不満を述べるのではなく、自分が受けている
                        多くの恩恵に感謝することを選ぶことである。そうすれば幸せになれる」

                    と。
                    私が、もっともお気に入りなのは、

                       「感謝をすることを選ぶ」という文言だ。

                    「感謝」は、私たちの人生にとって重要な「選択」なのだということが分かる。

                    ジェフ氏は、次の言葉を太字で強調しているので、押さえておきたい。

                       「幸せは、未来にあるのではない。それは、今ここにあるものなのだ。」

                    と。

                    町巡りをしていれば、いつも良い事があるとは限らない。
                    稀に、ちょっとしたトラブルを見たり体験したりすることも決してないとは言えない。
                    だが、それは、私の心の豊かさや幸せの波動の度合いで、その要素が大きく変わってくると思っている。

                     

                    posted by: fukugakuru358 | 003/幸せ | 12:07 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                    ☆幸せは、どこにあるのだろう…
                    0

                      まるでコントみたいな話なのだが。誰が言ったのか、正確に覚えていないが。
                      情景を私なりのニュアンスで以下に記述させていただこうと思う。

                      めったに家を空けることもないある主婦が、何泊かの外泊をともなう家族旅行などで、
                      自宅に戻ってこう呟く。

                        「あー、楽しかった!いい旅行させてもらったわぁ〜。でも、やっぱり家が一番ね。」

                      「何だよ!それッ!」と言いたくなる思わず笑える話だ。
                      そんな同じ光景は、つい先だってのゴールデンウィーク中も、
                      起きていたであろう。

                        「でも、やっぱり家が一番ね。」

                      混雑や渋滞は十分過ぎるほど分かりきっているのに、
                      それでもなお、マイカーなどで出掛け、自ら高速道路の渋滞を創りながら、
                      そして
                         「でも、やっぱり家が一番!」

                      と誰かが呟いたに違いない。

                      この話には、ある象徴的なニュアンスを含んでいると私は思う。

                      もう一つ。
                      あくまでも仮定の話だが。
                      地球のどこかの地点から、まっすぐ、ともかく、
                      どこまでも、まっすぐ幸せを求めてある人が旅をしたとしよう。

                        「♪〜 幸せって、何だっけ?何だっけ?」 と追い求めながら…。

                      ただ、”しょう油”があるだけでは、なぜか我慢できない。
                      納得できない人物だったとしよう。

                      その旅の終わりに、ふと気づくと、この道は、
                      いつか来た道。かつて、いた道。

                      自分のいた場所に必ず戻ってくるだろう。
                      言うまでもなく、地球は丸いから。幸せが見つからなければ、そこに戻る。

                      なぜなら、その人の幸せはどこか遠くにあるわけではない。
                      どこまでも幸せを求めて歩みを進めても、絶対に見つけることはない。
                      自ら、円周を描いて、
                      そのうち自分のいた場所に戻ってくる。起点が同時に終点でもあるということだ。

                      これも、ある象徴を含んでいる。

                      それは、幸せはどこにあるのかを象徴しているのだ。

                      自宅に帰って一言の主婦の実感は、
                      たしかに旅行に出て、それなりに楽しかっただろう。と同時に。
                      幸せは、”いまここにある”ということが象徴されていることに気づいた呟きだ。

                      幸せを求めて旅をする人も、結局、もといた場所に戻る。
                      幸せは、世界のどこかにあるわけではないという明示だ。

                      斎藤一人さんの著作本に「幸せの道」(KKロングセラーズ)がある。
                      講演のCDが2枚付いている。

                      「幸せの道」の講演(書き起こしの本)の中で、
                      次のように述べている。

                         「ところでね、『幸せの道』っていう話なんだけど、
                          『幸せの道』ってどこにあるんですか?って聞く人がいるんですけど、
                          そんなもんないんです。
                          非常に残念です。(笑)」 
                      (「幸せの道」:前出より)

                      という。 
                      さらに、続けて

                         「今日の朝、目が覚めて幸せ、ご飯が食べられて幸せ、みんなといられて幸せ。
                          幸せだ、幸せだと言いながら、歩いた人の後ろに幸せの道ができます。」
                           
                      (「幸せの道」:前出より)

                      という。
                      これに対比して、

                         「不平とか、不満とか、愚痴とか、泣き言とか言いながら、歩いた人の後ろに、
                          不幸の道ができてます。」 
                      (「幸せの道」:前出より)

                      その上で、

                         「遠くに幸せを求めないでください。遠くに幸せを求めると、ほとんどの人が
                          行き着きません。苦しくなるだけです。

                          それより、
                          今の自分の幸せに気がついてください。」 
                      (「幸せの道」:前出より)

                      という。

                      冒頭の主婦の呟きは、どこよりも

                          「今の自分の幸せに気がついた。」

                      ということではないのだろうか。
                      幸せを求めて旅する人は、起点が終点で、結局、自分の内に幸せを見出さなければ
                      ならないということを暗示しているのではないだろうか。

                      地球は、丸い。ただ丸いのではなく、地球規模において暗示的で、
                      私たちは、その一点に過ぎない。
                      我が1点は、我が一点であるが、
                      すべてがそこに含まれているという意味だと思わざるを得ない。


                      posted by: fukugakuru358 | 003/幸せ | 12:05 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |