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☆見ろよ、青い空
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    14日(土)は、素敵な朝だった。
    人生でそう多くない、晴れやかでクリアな朝だった。

    その日、例によって、高層階の踊り場で、いつも見るその方角を見た。
    私は、自分の立ち位置から見るそこは西方面だとばかり思っていたが、後に知ることになるが、
    そこから見る景色は、地図上は、少なくとも30度ほどやや南の方角だったのだ。この話は、以前、このブログでも、数回、その場所について取り上げさせていただいた。

    そして今から、2−3ヶ月ほど前に、その場所が思いがけないところだということがわかった。
    このブログでは、やや美的表現で、上弦の月の上半分を象(かたど)ったようなデザインの超高層の建物として表記したことがある。いま、訂正して言っておこう。
    その時点では、イメージの中で、やや誇張しすぎた面があった。その後、yahooの素材写真などで、実物を確認したところ、
    そんなにロマンティックなデザインではなかった。その場所から見た私にとっては、
    ただ面白い超高層の建物だと思ったのだ。なぜか、私の興味を惹いたのだ。

    kousou.jpg

    そこがどこか分からないときは、謎めいて、
    「その場所は、どこなのだろう…」と、
    何度も、思い込みの方角から割り出そうとしたが、前述したように、
    私の位置が、全方位に対して、正対しておらず、実際より反時計の方向であったため、
    それに気づくまでに、かなり時間を要してしまった。


    そして…。4月頃、漸く、その場所が特定できたのだ。


    いつまでも引っ張らずにその場所の地名を言おう。
    それは、武蔵小杉の超高層群の立ち並ぶ新開発の地域だったのだ。
    そのマンションの一つに興味を持ったのだ。


    場所が特定できてからは、
    何度も、そこへ行ってみたいと思った。
    というより、その場所は、実は、私にとって、懐かしい場所の一つでもあったからだ。


    白状すれば、そこは、
    5年くらい前まで、私と友人が飲んだ後、必ずと言っていいほど、酒の勢いで、
    夜な夜な遊び歩いた場所の近くだったからだ。
    しかし、今は、飲む機会を失って、久しい。
    不仲になったわけではない。
    お互いに「阿吽(あうん」)の呼吸のようなもので、
    金の切れ目が縁の切れ目。私の懐は、火の車。
    もはや馬鹿をやっていられなくなっていたし、お互いに頃合いを悟ったというあたりだ。


    当時、その場所は、ほぼ深夜に出向いていたので、私たちが見ていたのは、
    星空と無機的に輝くネオンの灯りに限られていた。
    私たちの関心と言えば、話声もほとんど聞こえないほどの、
    ディスコサウンドがざわめき、客が酔いしれて歌うカラオケタイムの音、
    華やかに着飾った南国のカタコトで話す花のような女たち、甘い独特の香水、
    白い歯を見せて笑う声だった。
    それらのすべてが、三流以下の安モンの退廃文学で、独特の世界だった。


    その店に入る前に、
    ふと少し目線を上にあげていれば、その超高層の建物のシルエットに気付いたかもしれない。
    しかし、
    まったく目に入っていなかった。彼も、きっとそうだったろうと思う。
    あるいは、その建物ができたのが、その後だったのかもしれない。
    文字通り、私たちは夢見をそのままに酔いしれていたのだ。


    その時を懐かしさで引きずっているため、どうしてもその場所に、行ってみたいと思ったのだ。


    14日の朝、空を見上げると、あまりにも天空が輝いて青く澄んでいた。
    私の気持ちを後押ししてくれた。それに、今日は、梅雨のひと休みのこの機会を逃すと、
    また次のタイミングを捻出するのも、億劫になると思った。
    とにかく、勢いで電車に乗った。


    30分ほどで、着いた。

    marukoekiyori.jpg

    私は、
    武蔵小杉駅の一つ手前の新丸子で降りた。
    前述した、夜な夜な遊び歩いた店があった地域だ。


    この町は、昼は昼で、決して大規模ではないが、とても情緒のある商店街の一群が、
    駅周辺に密集している。心を癒すような、不思議な魅力がある。
    それは、それで、私のお気に入りの町の風情を感じていた。



    ここに降りた理由は、
    冒頭書いた、超高層の建物が、ここから見るのが、見やすいと判断していたからだ。
    Google Mapでも確認済みだった。
    私は、携帯のカメラで、数カット撮った。それが、添付の写真だ。


    このブログで勿体をつけて言うほどの超高層の建物ではないだろう。
    だが、私には満足だ。来てよかったと、まず思った。

    shinmaruko.jpg


    私と友人が夜な夜な罰あたりに眺めた大鳥居も、懐かしい。


    ここから、超高層の建物が並ぶ地域に、武蔵小杉まで、ひと駅分を歩いた。


    途中、ファミリーマートで買ったファミコロがやけに旨い。
    天気もよく、からだは汗ばんでいる。「あー、これで好いんだ。」
    今は、謎めいていた超高層の姿、建物を前に、心が躍った。


    ついに、その超高層群の地域へ辿り着いた。

    首が痛くなるほど、見上げた空は高い。建物の麓の周辺には、天を隠すように、
    歩道は樹木の葉で覆われている。なんて美しいんだ。

    musashikosugi.jpg

    私は、なぜここへ来たか、分かったような気がした。
    それは伏せさせていただくが、大満足だった。


    ふと、空を見上げながら、
    青い空…、

    そして容赦なく照りつけるお天道さまに感謝だ。

    何とかなる…という言葉があるが、

    真底、気楽な気分で居られれば、
    この言葉は、案外、深い力があるようだと悟る。


    誰しも、振り返ってみればいい。
    そのときは、確かにもう駄目だと思いたくなるような、
    大きな困難に見えた状況だが、
    気づけば、どんな苦境も乗り越えていたりするからだ。
    そんなとき、意識の深いところで「何とかなる」が、大きな力を発揮するようだ。

    もっとも、また新たな困難はやってくるものだが。
    それは、今を生きている最高の証なのだ。

    posted by: fukugakuru358 | 009/ネガ・ポジ | 21:07 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
    ☆"ついてる"って、なぜ言った方がいいのか。
    0

      信じていない者からは、大いに失笑されるだけかもしれないが、
      それでもあえてカミングアウトしよう。
      1年ほど前まで、”ついてる”って言葉で発する習慣を実践していた。
      そして、およそ200万回ほど”ついてる”って言い切って、
      達成したあたりで、私自身の状況が変わったので、そこで辞めた。

      なぜ、その習慣をはじめたかといえば、斎藤一人さんの影響を大いに受けたからだ。
      基本的には、何より一人さんのメッセージを素直に受け止めることができた点にある。

      その上で、とはいっても、
      半信半疑ながらの揺れる心も有りながら、また一方で、その結果を試したいという、
      好奇心からの気持ちもあった。
      しかし、どうあれ、まず、いま自分自身の置かれている不都合な状況を”何とかしたい”と、
      すがる思いがあったのも確かだ。当時、一定の時間があったので。
      それを苦行のように行うことのできる時間を持てたのは幸いした。
      もちろん呟いた言葉は、”ついてる”だけの一語だけではない。
      途中で、”ありがとうございます”も追加したし、”幸せだなあ”などのポジティブな言葉も、
      別立てで声に出して、およそ365日1日も欠かさず2年半以上から3年前後をかけて、
      言い切ることができた。

      EXCELの表に、”ついてる”って言う「言葉ぐせ」のセットの束を作り、
      それを日々記帳した。1日2000回程度を呟くことをノルマにしていたはずだ。
      いつも予定通りに消化できた日ばかりではない。未達の日もあるが、
      大方は、予定通りこなした。

      午前中と、午後、それぞれ2時間前後程度。
      もちろん、バイト先でも、人に気づかれないようブツブツと、
      小声で”ついてる”を呟きつづけた。
      ”ついてる”の言葉が予定数を終われば、次は、「ありがとうございます。」
      「感謝しています。」ほかも、同じ程度の言葉を数セットづつをこなした。

      当然、バイトの行き帰りの途中の30分ほどの道のりは、
      人気のない運河沿いの道を歩いていたので、呟くタイミングとして絶好の場でチャンスだった。
      一定の数をこなせていた。数がわからなくなるので、
      両手の指を駆使し、セット数を指を折って、握りしめるようにカウントした。

      上述したように、”ついてる”だけを口癖にしていた訳ではないので、
      ただし、メインは、”ついてる、ついてる、ついてる。”だったが、同じように、
      ”ありがとうございます。”や”感謝しています。”などの他の言葉を合算すると、
      おそらく1日、5000回程度は、何らかの言葉を発していたことになると思う。

      なぜ200万回、”ついてる”の言葉を実践しようとしたかといえば、
      当初は、私自身、100万回を一つの区切りにしようと思っていた。
      だが途中で、もう少し続けたいと思ったのだ。そして、200万回を超えたあたりで、
      一旦、その習慣については止めることにした。私をとりまく環境が変わったことも、
      原因になっている。

      結果をまず言おう。

      現時点で、私は、斎藤一人さんのように、大金持ちになった訳ではない。
      それどころか、ずっと以前に作ってしまった個人的な債務の残債もまだあるし、
      生活状況も決して良いとは言えない。はっきり言えば、苦しい状態はまだ続いている。


      それでも、あえて言いたい。
      たとえどんな状況であってでも、”ついてる”っていう言葉を言った方が
      良いというのが、私の結論だ。


      仮に、いまの私が、まだ大金持ちではなく、それどころか、着たきりスズメの
      襟やそで口がほつれたみすぼらしい服を着ていても、
      カップ麺やチーズを乗せただけの食パン、ワンパターンなおかず1品の食事が続いていても。
      そして、いまなお債務に苦しんでいたとしても。
      それでも、はっきり断言したい。

      もう一度、言おう。
      たとえどんな状況でも、”ついてる”っていう言葉を言った方が良いというのが、
      私の結論だ。


      最近、また”ついてる”などの言葉や、他のポジティブな言葉を、呟くようになった。
      以前のように、ノルマのようにやるのではなく。数は劇的に、圧倒的に少なくなったが、
      実質、数十回程度だが。実は、数は、あまり問題ではないのだ。
      ともかく、復活した。その言葉が大事だとつくづく分かったからだ。

      ある日、”ついてる”などの言葉を積極的に呟いていた。
      その効果の意味を特に意識することはなくだ。

      気分は何となく軽かった。

      次の日、何となく、ややネガティブな問題が、頭を掠めそのことに意識が向いていた。
      それは堂々巡りを繰り返すばかりの不毛な内容であって、
      どこかで流れに対し、ただ開き直って受け止めるしかないと思い、
      気分が落ち込み気味だった。そしてふと気づいた。

      いま”ついてる”っていう言葉を口にする気になれなかったが。
      その前日との心の対比で、”ついてる”などの言葉が、案外、気分を明るくするのだと悟った。

      その重い気分の中だったが、あえて口にしてみた。

      ”ついてる ついてる ついてる”

      数度、言ってみた。

      すると、ちょっと前のやや重い気分を乗り越えて、
      ポジティブな方へ、気分を転換してくれているという気づきがあった。

      その後も、続けて、
      ”ついてる ついてる ついてる”
      ”ついてる ついてる ついてる”
      ”ついてる ついてる ついてる”

      と連呼した。

      少し前の言い難い気分は、すっかり、いま、なりを潜めて、
      ”ついてる”と口ずさんでも抵抗がなくなっていた。

      さらに気づいた。

      ”ついてる”等のポジティブな言葉を積極的に呟くことは、
      いま心を支配しているネガティブな思いの状態を、うまく逸らしてくれる働きがあること。
      ”いまここ”の状態を、無にし、上向きにする効果があるのだと理解した。

      ”ついてる”って言う言葉は、単に記号による音声に過ぎないだろう。
      その意味から言えば、言葉自体が、物理的現実に何か奇跡をもたらすわけではないが。

      それでも、
      ”ついてる”って自分に言い聞かせることが、実は、意識のかなり深いところでは、
      過去のちょっとした”ついてる”イメージ体験の、
      何らかのうすぼんやりした記憶や感覚を呼び覚まし、
      それを付随させて、そのときに体感した気分を喚起させてくれるのだろうと思う。
      それが、いま重い気分をすっかり書き換えつつ、やや上向きな気分へ導いてくれるようだ。

      ”ついてる”って言うことで、
      いま私の内側に起こりつつあるより少しマシな気分は、
      そうでなかった少し前の気分よりはずっとマシなはずだ。

      なぜなら、
      心の内側で起こりつつあるよりポジティブな気分は、結果、遅かれ早かれ、
      その心を反映した外側の物理的現実を創り出してくれるはずだから。




      posted by: fukugakuru358 | 009/ネガ・ポジ | 16:13 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
      ☆あえて知らなくていい「きょうの出来事」
      0

        数日前に、最も信頼している友人から電話をいただいた。
        しばらくぶりだったので、相互に近況のやり取りがちょっとあって、
        「最近、どんなことに関心があのる」かと問われた。
        俗に言う、一般的なニュースに絡んでの会話だった。それに対して、
        私は、ほぼ即座に「ほとんど関心がないんだ。」と答えた。
        なぜかというと、
        「スピリチュアルなことに関心を持ち始めてから、ほとんどテレビも見ないので」と、
        答えた。だからと言って、いわゆる世間の出来事に、文字通りの無関心、
        無感動ということなのではない。断じて、違う。

        あえて、ニュースに関心を持たなくなったというほうが正しい。
        しかも、自然になのだ。


        「なぜ、そうなのか。」そのあたりを、
        私は友人との電話で充分に説明できなかったという思いがある。
        また一方で、友人は、
        このブログに関心を寄せてくれており、何度も訪問してくれているというので。
        ならば、友人の目に触れるだろうということもある。
        とは言うものの、
        このところブログの更新がすっかり途絶えている折、心苦しい。

        ついては、

        せっかくだから、
        電話で伝えきれなかった点を、あえて書いてみたいと思った。

        ちょっと話は変わるが、
        気づけば、いつからだろう…か。
        ”きょうの出来事”というニュース番組があったはずだが…。
        日本TVで、毎夜、やっていたように思う。
        見聞きしなくなったなと思っていたところ、ウィキペディアで調べてみると、
        2006年9月22日に終了したそうだ。
        52年も続いて、放送されていた長寿の最終版のニュース番組だった。

        http://ja.wikipedia.org/wiki/NNN%E3%81%8D%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%AE%E5%87%BA%E6%9D%A5%E4%BA%8B

        ”きょうの出来事”の番組タイトルバックは、
        どこか硬派な感じのするリアルな映像のコラージュで、リズミカルに構成されて
        いたように思う。
        その映像の手法で、たしかに世の中には、なぜか、訝りたくなるような深刻なことが起こっているのだなと印象付けられた。当然、ニュースのテイスト、ソースも、映像効果で信頼できそうな印象も与えていた。

        このことも踏まえて、私は、ちょっとした思いをもっている。
        それは、
        今日の出来事(前述のニュース番組のことではない)、つまり、
        見ようとせずにいても、何らかの方法で、漏れ伝わってくるさまざまなニュースについて、
        あえて関心を持つ必要がないということを伝えたい。

        まずある角度から述べるが。

        私が、関心を持ってきたほとんどの成功者たちや著作など、またスピリチュアルな世界に
        生きる人々の多くは、
        同様のことを、この件について伝えている。

        言葉や表現の仕方に違いがあるが、
        「ニュースに強い関心を持つことは、決して勧めていない」ということだ。
        むしろ忌避すべきものだとしている。

        ついでながら言っておくと、そうした指摘があるから、
        私も、ニュースに関心を持たなくなったのではない。

        むしろ、必然的に、成功法則やスピリチュアルな世界へ、
        特に”oneness”についての理解の度合いを深めていくうちに、
        自ずから、ニュースに関心を持たなくなったというほうが正しい。

        ニュースについて記述している例を
        あげてみれば、

        まず、ヴァジム・ゼランド氏の著書の
        第1巻「[振り子の法則] リアリティ・トランサーフィン」
        (ヴァジム・ゼランド[著] ほおじろえいいち[監修] 須貝 正浩[訳] 徳間書店)がある。

        次の表記だ。

          「情報番組で良いニュースを耳にすることは滅多にない。なにがしかの
           ネガティブな事実が取り上げられ(p248)」

        と言い。

        さらに、一連の別項目のなかで、

          「ネガティブな情報に関心を寄せる人は、いつもそうしたものを過剰に
           受け取ることになる。最初は傍観者という当たり障りのない立場(p252)」


        だったはずなのだがと述べる。

        この件の著者の表記は、やや長いので、
        簡単に要約させていただくと、こうだ。

        ネガティブな情報の傍観者を、いわばサッカーの観戦に例えて。
        そして、その観戦者だったはずの者が、気がつくと熱心なファンになり、
        さらに、それでは収まらなくなり、フィールドに立って、ボールを追い回すようにさえなると。
        「そうして傍観者がプレイヤー(p252)」になる。

        結果、ニュースの
        「惨事の犠牲者へと変わっていく(p252)」とまで記述している。
        これは、
        サッカーの試合観戦を例にしたあくまでも喩の話だが、
        ネガティブな情報の受け取りの危険性を伝えている内容だ。

        「ザ・シークレット」(ロンダ・バンーン著 山川紘矢+亜希子・佐野美代子[訳] 角川書店)
        にも、p233で、著者のロンダ・バーン自身が次のように言う。

          「『秘密』を発見して以来、私はもはやニュースや新聞を見ないと決心しました。
           それを見て、気持ちが良くなるなことはないからです。」

        と述べている。

        もう一例をあげておこう。
        ジョー・ヴィターレ(ヴィタリー)博士の著書(「宇宙スィッチ」ジョー・ヴィタレー[著] 住友 進[訳]  サンマーク出版)p55から、

          「おそらく意識的にではなくとも、君はニュースを見るだろう?」
          「そりゃあ見るけど。」
          「暗いニュースばかりだと、口にしてはいないか?自動車事故、殺人、
           未曽有の国家危機なんて」 

        ヴィターレ博士の友人との会話の一部だが。ニュースのネガティブな側面にフォーカスしたことで、望まないことが、意識下で潜在的に植え付けられることを示唆している。
        ここでは、自身に思わぬ災いが降りかかるネガティブな出来事への布石になっているかもしれない可能性について言及しているのだ。


        だとしても、念のために以下のことを伝えておきたい。
        先のロンダ・バーン氏のメッセージだ。

          「悪いニュースを放送しているといって、
           新聞や通信社を非難するつもりはありません。(p233)」

        私も、このことに同意したい。

        ただ原則的に、私の場合は、選択的に、あえてニュースは見ないこととしている。
        例外も、もちろんある。

        以上のことを前提にしつつ、友人に伝えたかったのは、

        私は、
        自分が見ようとしたもの(原因)を、(結果的に)見るという法則があるということを
        確信していること。そして、
        悲惨な事件や事故などの情報としてのニュースは、私たちに驚きと強い関心を一時的に寄せるが、
        宇宙の法則として、望む、望まないに関わらず、情報としてのニュースがもたらすもののその意味は、決して、軽くない。それは侮れないものがあるということ。

        つまり、そこにフォーカスしたことは、自分の世界に、それを招き入れたことを意味し、
        それなりに、意識する度合いに応じて、もしかすると、あとで何らかの代償を支払う必要が出てくる可能性があると理解しているのだ。

        そのことについては、皆さんの多くが、
        信じようと、信じなくても結構だ。ただ私は、そう確信し、理解している。

        そして、何より心強いのは、
        成功者の多くは、みな同様にそのことを述べ、指摘しているという点にある。

        もう一つ、付け加えで言っておきたいのは、
        仮に、悲惨な事件や事故が、ニュースで報じられていても、その時点では、
        それは、私たちの、とりわけ私の世界の中で、私が直接、被害をこうむる形で、
        それが起きているのではないということだ。
        冷たい言い方に聞こえるだろうが、
        私自身のフィールドで、それが起きているわけではないということ。
        そもそも、無関係だということ。
        ただし、それにフォーカスし、感情を交えて思い、関心を抱き、
        受け入れる度合いを深めたときは、自分のフィールドにそれを招き入れるリスクがあり、
        それに繋がるだろうと個人的な見識でそう思っているのだ。

         




        posted by: fukugakuru358 | 009/ネガ・ポジ | 17:33 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        ☆帳尻合わせ
        0
          「ザ・シークレット」(ロンダ・バンーン著 山川紘矢+亜希子・佐野美代子[訳] 角川書店)
          の本を何気なく開いた時に、頻繁に開かれるページがある。意図的にでなく、無作為に開いた場合という意味でだ。
          そのページが、p191だ。

          赤いラインを沢山引いている中で、このページに唯一、一箇所だけしかない。
          その目立つラインの箇所には、次のメッセージがある。

             「自分が望むものを引き寄せるは、自分自身の責任です。」
                 (「ザ・シークレット」: p191)

          と。
          この言葉を見るたびに、「そうだな…。」と思うこともあれば、
          不快になることもある。そんなときは、思いがけず、想定もしていないところからの請求書に、
          「なんでだよ…。」と思うときだったりする。この請求書も、実は、自分の思いが引き寄せているのだ。自分が無意識のうちに、どこかで、支払いについての不安があって、そのフォーカスしたことが、結果として現れている。
          いま、ふと地元の区役所から想定外の請求書がきて、胸の芯が熱くなった。

          「なんでまた、こんな支払いが必要なのか…」と、イラッとした。

          だが、ふと考えた。これは、税務署に自分が届け出た時に、
          あるチェックマークを付けなかったために、来たものだということが、
          ぼんやり判断された。自分のケアレスミスだった。
          支払いには、様々な方法があり、これまでしていた方法を、チェックするだけのことを、
          うっかり忘れたものだ。
          この場でも、少々割高の支払いをしても、結果、精算されて、後で戻るものだが。
          いまは、個人的に、この支払いについて、正直、考えたくなかった。

          恐らく、役所で、話がつくだろう…。近いうち、役所に相談に行こう…。と思った。

          こんなことが起きるのも、偶然ではなく、やはりどこかで、私自身、請求書について、
          いろいろと、不安に思っている部分が、現象化したに過ぎない。
          不安に思っている思考に対して、あざ笑うように起きているのだな…と思った。

          もっとも、冷静に、なぜ、こんなものが来たかを分析すれば、
          案外、ちょっとした自分の落ち度だったりする。それでも、拍子抜けするように、
          こうしたものが来ること自体、意識的には、全く想定していなかったことだし、
          今年の明けに、どこか支払いについて不安に思っていたことが、

          いまその機が熟して、ここぞというタイミングで、相応に招いたのだな…と思った瞬間だ。

          私のこのような場合も含めて、

          「ザ・シークレット」は、次のようなメッセージを、私たちに指し示している。

             「あなたの人生はあなた次第なのです。あなたがどこにいようと、
              今までの人生がどのようなものであったとしても、自分の考え方を
              意識して選べば、自分の人生を変えることができるのです。」

                 (「ザ・シークレット」: p41)

          私たちは、意図して、可能な限り、意図して思考の流れをチェックしていないと、
          すぐにネガティブな思いに偏りがちだ。

          無意識に、ネガティブに考えたことは、ちゃんと、後で、打ち消すように、相殺されるように、
          ポジティブな考えで打ち消しておかないと、思いがけないときに、
          たまたまネガティブなチャンネルにあるとき、ふと、帳尻を合わせのように、
          不快な事が起きやすいようだ。


          posted by: fukugakuru358 | 009/ネガ・ポジ | 18:31 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
          ☆考えているのは、今
          0

            今日は、天気が良いのに、風が強い。風の力も強い。ときどき煽られるほどだ。
            天気予報士の説明する立場からは、低気圧と高気圧の軋轢とそのせめぎ合いの関連で、
            起きているというような説明がなされるだろう。だが、そんなことは聞いていても、
            「ふん、そうか。」と思うだけで、何も、学びがなく面白くない。

            非科学的な私は、天候の現象から、私なりに面白く考えたいと思う。
            地球規模の私を取り巻く環境の範囲内を、一つの心の中の象徴のように、
            見立ててみたりするのだ。そして、
            なぜ、こんなにもよく晴れながら、大気は荒れているのだろうかと思う。
            天気全体を擬人化してみるなら、今日は、どこか、何かがお気に召さないようで、
            かなり荒れているらしい。
            それは、全体として、うまくいっているようでありながら、
            今ひとつ、自分の思い通りばかりとはなっていない癇癪のようなものか。

            この天気ひとつさえも、実は、私の心の中の無意識な何らかを具現化したものなのかもしれないとふと思う。
            総じて、元気だし、前向きだし、明るくやっているが、それでも心の隅で少しも埋まらない何かを感じて、焦燥感を抱いたり、やや不安に思って、手探りでその何かを探してみようとバタバタしている感じのようなものの象徴なのか。

            そう思えば、この荒れた天気にも、ほんの少し馴染みを覚える。

            改めて、「あぁ…、そうか…。」という記述を見出した。

            「引き寄せの法則 エイブラハムとの対話」
            (エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス 吉田利子[訳] SoftBankCreative)
            の中の示唆だ。

              「今、起こっていることを考えていても、過去に起こったことを考えていても、
               あるいは将来起こればいいなと思うことを考えていても、
               考えているのは今、現在だ。」
                  (「引き寄せの法則 エイブラハムとの対話」:p170)

            そう、今、現在なのだ。

            考えている、
            その「起こっていること」「起こったこと」「起こればいいな」あるいは
            「起こって欲しくないこと」などの選択の傾向によれば、

            つまり、
            ネガティブか、ポジティブかの色合いによれば、

            その多くの場合は、よりネガティブなことへの思いの方が多いと思うが…。

            すでに起きてしまって、
            過ぎて去ってしまった過去にそれが再び起きるわけでもなく、
            まだ来てもいない未来にそれが起きるのでもなく、

            考えている今、現在。

            それに類するものを引き寄せていることになるということだ。

            続けて、前出書は、次のように示唆している。

               「現在、思考の波動を送り出し、『引き寄せの法則』は常に今の思考に
                作用する」
                  (「引き寄せの法則 エイブラハムとの対話」:p170)

            と述べている。
            いま、この瞬間を楽しくしなければならないのは、それがためだ。

            さらに、前出書は、次のようにも述べている。

               「また、感情は(過去、現在、未来のどれについての思考であっても)現在の
                思考に反応して起こることも知っておいたほうがいい。感情が強くなれば
                なるほど思考も力強くなり、思考のエッセンスと一致したことが
                人生経験に引き寄せられるスピードも速くなる。」
                  (「引き寄せの法則 エイブラハムとの対話」:p170−p171)

            ネガティブな傾向の場合、
            過去の不愉快なことを考えれば、その影響は、「今、この瞬間」に、その影響が及ぼされる
            ということだ。


             

            posted by: fukugakuru358 | 009/ネガ・ポジ | 17:37 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
            ☆シークレット・シフター
            0

              個人的な事情で、今後、更新時間が遅くなります。夕方以降、夜になる場合もあるかもしれません。それでも、これまでどおり、アクセスいただけますよう。よろしくお願いします。
                  ☆   ☆   ☆
              4月1日。
              この日を、特別な日と感じたことはないが。今日ばかりは、個人的には、その感慨を深くしている。世間では、社会人一年生だろうか。黒いリクルートスーツ姿のいかにも若い女性の群れが、昼食を取りに行く姿と出会った。手に大きめの財布を肩口付近までリフトアップしてかざし、初々しいおしゃべりに夢中だ。海外で、あんな緊張感のない財布の持ち方をしていたら、早速、狙われてしまうだろう。大きなお世話だが。

              私は、少し自分の気分に滅入った。どうして私たちは、先の未来について、ちょっとした入りと出の胸算用をして、自分の限界に見切りを付け、落ち込まないといけないのだろう…。
              人生、何があるかわからないのに。まだ、体験もしていない人生に、あらかじめ未来をこの程度と定義してしまうことがある。分かってはいるが、ふと、私もそんな計算をして、ふと、出口のない状態に胸が焦げるように、苦い感じが感情を伴って心を浸した。
              もちろん、そんな自分を良しとできるはずがない。私は、自分の気分扱いについて考えみた。

              「ザ・シークレット」(ロンダ・バンーン著 山川紘矢+亜希子・佐野美代子[訳] 角川書店)
              を開くと、この本は、すごいと思った。
              今日まで、全く気付かなかった記述があったのだ。p68にある。
              シークレット・シフター(気分転換)についてだ。

              本の記述によると

                 「シークレット・シフター(気分転換)とは自分の気持ちをすぐに切り替えられる
                  方法をいいます。」

              と述べ、
              その実践の仕方は、引き続き次のように記述がある。

                 「このシークレット・シフトのリストを作成し、いつでもそれを実行できる
                  ように用意しておきましょう。それは美しい思い出、将来の夢、笑えた瞬間、
                  自然、愛する人、お気に入りの局かもしれません。もしあなたが、
                  怒り、欲求不満、不機嫌を感じていたら、このシークレット・シフターの
                  リストを意識してそのどれか一つに集中してください。」
                      (「ザ・シークレット」:p68より)

              と述べられている。

              なぜ、この気分転換が必要かは、あえて言うまでもないが、
              ジョー・ビタリー博士は、

                 「明るい気持ちでいることが重要なのです。というのも、この爽快な気分が
                  宇宙に放射されると、もっと良い気分があなたに引き寄せられるからです。」
                      (「ザ・シークレット」:p68より)

              と。

              そして、このシークレット・シフト(気分転換)は、イメージングの効果を活用したものだが、
              その下準備として、自身の気分をチェックする意味で、自分の気分に注目する必要あるという。
              少し前のページになるが、それについて、

                 「あなたは今、どんな気分ですか?今どんな気持ちか、しばらく考えてみて
                  ください。さほど良い気分でなければ、内なる感情をしっかり感じて、意識的に
                  気分を高揚させてください。」
                         (「ザ・シークレット」:p66より)

              といい。

              気分を高揚させるための方法も述べられている。

                 「(気が散らないように)黙想して、内面の感情に意識を集中し、
                  一分間ほど微笑むのです。どうぞ試してください。」
                  気分を高揚させてください。」
                         (「ザ・シークレット」:p66より)

              これは、「今、ここ」の状態を作り出し、その「今、ここ」の状態に対して、
              微笑むということだと思う。

              「今、ここ」の状態に微笑むことを続けているうちに、私たちは、微笑むというポジティブな状態に焦点をあてることになり、そのことで、その周波数に見合った世界に同調することになるだろう。

              自分の気分を「今、ここ」で微笑みで調整し、その後、シークレット・シフト(気分転換)で、
              より良い気分にさせるイメージングを行えば、より効果があがるだろう。

              この「ザ・シークレット」には、よくよく注意してみると、引き寄せの法則のインパクトで、見落としちがちだが、結構、地味になところに、しっかりと重要なことが述べられている。

               

              posted by: fukugakuru358 | 009/ネガ・ポジ | 19:12 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
              ☆自滅的なプログラム
              0

                私たちの思いをすべからくPCプログラムのように、
                置き換え、見立ててしまうことには、それなりに問題があるかもしれない。
                なぜなら、
                人間にはPCにはない側面の感情もあり、スピリチュアル性もあり、様々なことが、
                思いの判断の中に、複雑に入り混じり絡むからだ。
                すべてが文字通り、全てが何らかのカタチで影響し合ってもいると思えるからだ。
                だが、一方で、
                思考の仕方の論理の仕方の側面として、一定程度のPCプログラムのような、

                「こうだから、こうなる」的な類似性は、あるように思えてならない。

                といって厳密性が求められるようなことを、
                私はこれ以上にあえて論じるつもりはないので、ご了承願いたい。
                その意味で、与太話レベルと受け止めてもらっても、全く差し支えない。

                ただ少なからず私は、
                思考や思いの手順というものにちょっとしたPCプログラムのような類似性があることを
                感じており、その程度のレベルで以下を述べている。
                茶を濁す程度のことだ。
                そんな見方もあるかなというあたりで述べている。

                「マジック・ストーリー」(フレデリック・ヴァン・レンスラー・ダイ[著] 野津智子[訳] ソフトバンクパブリッシング株式会社)の本の中に、
                私は、依然から興味を持っていた箇所がある。

                今日は、それを取り上げたい。
                この本は、物語仕立てで、成功法則についての教訓が書かれている。
                成功のための6つの教訓が述べられているが、
                その第5番目が、本日のブログテーマに関連している。

                その教訓とは、

                   「自分で自分の心に植えつけた
                    有害で自滅的な考えや思い込みは捨てること」

                というものだ。
                これは、前述した見方からすれば、
                心の働きをネガティブに貶める、自滅PCアプリ的な概念というふうに
                捉えられないだろうか。

                私の例で申し訳ないが、小学校高学年(5−6年ぐらい)の頃のこと。
                事情があって、私は母の年齢の比較的高い時に生まれた子どもだった。
                実の兄とも、かなりの年齢差があった。

                当時、私の家は貧乏の末、やっと2部屋あるアパートに引越しができることになったが、
                私は、学校が変わるのが嫌で、それを押し通した。

                私としては、結果、それなりの距離を越境通学することになった。
                といっても1時間ほどだったが。私なりに楽しんでもいた。
                しかし、精神的に脆かった母は違っていた。
                私の通学を必要以上に案じて、鬱の軽いノイローゼ状態になってしまったことがある。
                私自身は、越境通学に何ら問題は感じていなかったが、
                母は、ひたすら私への心配と不安の中にいた。

                ともかく私のことが、心配で心配でならなかった。
                と同時に、
                臨海工場地帯のその地域性にも、母を鬱にする要素があって、
                この町が雰囲気が下町育ちの母には、まったく馴染めなかったというの大きかった。

                結局、一ヶ月ほどで、私は、もと住んでいた地域の小学校の傍に、
                引越して戻ってきた。今度は、小学校が目と鼻の先だ。およそ200mもない近接した
                場所に戻った。六畳一間の安アパートだ。結婚を控えていた兄は、嫁さんへの実家への見栄もあり、外見だけでも取り繕いたかった兄からすれば、みすぼらしい私たちが安アパート住まいをしていることに我慢がならなかった。あからさまに怒っていたようだ。一時期、わがままな私を憎く思っていたかもしれない。実際、私は、兄弟という感情を持ったことがなかった。
                まるで一人っ子のようで。

                それでも、
                母の病状は、その後すっかり良くなった。鬱状態の時は、顔に表情がなかった。
                私は、母を苦しめてしまい気の毒なことをしたと思っている。
                その母は、晩年、観音様のような表情に変わっていたのをいま思い出している。

                当時の母のことを思うとき、やはり母は、自ら自滅的な思考を、
                毎日、繰り返していたのだろうと推測される。
                ネガティブな思いを、私に対する心配という形で、
                そして、住まい地域の灰色一色のようなさみしい環境、
                工場地帯というような要素とともに、思いを糊塗していたのだろう。

                全てが、母の思考の中では、決して建設的ではない、前向きではない思考の要素をだけを
                生み出し続け、一直線に現状否定的な要素ばかりを再生産していたに違いない。
                ただひたすら不安にさいなまれ、苦しんでいたに違いない。当然、私たち家族全体も暗くなった。
                母の思いや、その母と共にしていた私たちも、皆、ネガティブな要素ばかりを変数値の対象として作用するプログラムの毒に犯されていたのだと、かつてを振り返っている。

                ここに、私が「自滅的なプログラム」と言いたい意味が、何となくでも、ご理解いただけるだろうと思う。

                ネガティブな考えや思いは、下にどんどん拡がる”らせん階段的”な進化をする。
                注意が必要だ。
                それは、他方で、ポジティブな考えや思いは、上に伸びる”らせん階段的”な進化をするということでもある。
                私たちは、こちらにこそ注力すべきだ。

                先にあげた「マジック・ストーリー」の第5番目の教訓には、
                「有害で自滅的な考えや思い込みは捨てること」=「自滅的なプログラム」を、
                自らの裡に創出しないことだとして戒めている。
                成功法則の6つの教訓の中のひとつとして入れていることに、
                とても意味性が深いのだなと思わされる。
                私たちが陥りやすい落とし穴として示唆しているのだ。

                さらに、この本には、6つの教訓とともに、
                心に留めておくべきだとするちょっとした箇条書きもある。
                その中のひとつに、

                「有害で自滅的な考えや思い込みは捨てること」の対処の仕方を、教えてくれている。

                引用しておこう。

                   「昼も夜も、”プラスの私”と親しくなること。その助言に耳を傾けていれば、
                    うまくいかなくなることはない。」
                        (「マジック・ストーリー」:p91)

                とある。

                 

                posted by: fukugakuru358 | 009/ネガ・ポジ | 14:34 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                ☆定義と確定
                0

                  私は、これまで、ささやかなビジネスをしてきた。今までのところの話だが。

                  平たく職種を言えば、教育教材の販売だ。私は、このビジネスをしていたおかげで、
                  あまりにたくさんの学びの成果を得ることができた。

                  私にとっての成果 = 最大問題は、ビジネスとしての難しさだ。

                  私の販売している商材は、
                  学校の終わる春から、入学式を経て新製品の出る夏前までの2−3ヶ月が、
                  販売の売上げが惨めなくらい厳しくなる。

                  敢えて言うが、
                  その時期は、基本的には学校も生徒も、まだスタート気分で、
                  現実レベルでは、あまり勉強しないということが主因としてあるのだろう。
                  生徒は生徒で、特に自発的に勉強する子は、固より少ない。

                  そんなことは、学生時代だった当時の私自身を振り返っても、時を経ても、
                  やはり同じ傾向を踏襲しているのだろう。

                  そもそも、学校の勉強は、外的な要素で、よほど強制されないとなかなかできないものだ。
                  しかも、今の時代は他力本願的に、塾でも勉強しているんだから、
                  それでいいと思っているに違いない。何とも恵まれた環境下にあるのだろう。

                  そして、その気分に支配されていているのは、決して生徒だけではないのだろう。
                  それは同時に、教育する側にも、立場を違えてところに、
                  ちょっとしてあるような気分なのだろうとも思う。

                  これらの表面上の分析は私が、私が勝手に、充分な根拠もなく、
                  お粗末な制限付きの理性で推し量ったもので。

                  外側から教育の世界を眺め考えた結果だ。ほんとうに、それは上っ面な分析だと認めておこう。

                  で、仮にそうだとして、
                  そこには、実は、私のビジネスにとっての大きな問題が潜んでいるのだ。

                  本日、このあとの以下に記述したい内容に大いに関わることだが、
                  どうしても、伏線として述べておかなければ伝わらないと思ったので、
                  あえて私事を、少々具体的に述べさせていただいた。

                  と言って、私は教育問題を語りたいのではない。そんな気など毛頭ないし、一切ない。

                  さらにもう少し、必要があって語るが…。

                  私のビジネスで、私について回ってきたもの言えば、
                  いつも困難さばかりという現実(自虐的に、皮肉で言っているのではない。
                  文字通り感謝の気持ちでだ。)だった。

                  そのあまりにも美味(おい)しくない私のビジネスモデルは、
                  デザートとして、私をショボイ借金づけにした。

                  しかも、そこにもデザートなりの成果があった。
                  その借金付けは、私の周辺の方々に迷惑を掛けつつ、一方で、
                  図々しく生き延びさせていただけるようなささやかな逞しさと知恵と度量を培って
                  いただいたのだ。その意味で、非常に有難いし、とても感謝している。

                  そして、私の抱えている私のための困難さを通して、
                  何よりも成功法則への学びへと導いてもらったという最大のおまけがある。

                  それは、この現実の、この状況を、

                  どうにか何とかしたいという切なる願いが、成功法則との出会いとなったのだ。

                  ふと気づくと、
                  私は、トランサーフィンやパラレルシフトの形而上学的な概念世界の入口にまで来ていた。

                  私が、本日テーマとしたいのは、「定義と確定」だ。
                  難しい言い方だが…。

                  私流に言い返させていただくと、

                  「…何々だから、きっと、そうだ」という強い思い込みのことだと思っていただいて結構だ。

                  つまり、冒頭から前半のとるに足らない私事と記述させていただいたが。
                  「定義と確定」という観点で見たときに、もし自ら創り出した「定義と確定」が、
                  ネガティブな傾向を帯びていれば、
                  まさにそうだと思えるような現実と出会うことになるのだということに気づいた。

                  前半部で、私は、以下にように記述した。

                    「私の販売している商材は、
                     学校の終わる春から、入学式を経て夏前までの2−3ヶ月が、販売上の売上が
                     厳しくなる。敢えて言うが、その時期は、基本的には学校も生徒も、
                     まだスタート気分で、あまり勉強しないということもあるのだろう。
                     生徒は生徒で、特に自発的に勉強する子は、少ないと思う。」

                  と書いた。
                  これは、私の現状の分析と気分を書いたものだが。
                  ここに、実は、あまりに尤もらしいネガティブな「定義と確定」が潜んでいるのだ。

                  私は、恥ずかし気もなく、それを明らかにしよう。

                  私は、この思いを抱いているために、極めて常識的なある結果ばかりを、
                  物理的現実の中で体験している。それを繰り返している。


                  分かりやすく言えば、

                      「商材が売れない。」という困った状態を体験している。

                  まさに、それだ。

                  私が、私の状況において、最もらしくその時期を捉え思い込むことで。
                  つまり、そう定義し、そういうものだと結論づける =「定義と確定」だ。

                  そうなったとき、
                  私の現実に何が起きるのか。

                      「商材が売れない。」という事実を体験し、

                  その事実を、さらに確定的に、繰り返し、
                  その定義をグリグリ握りしめていることになる。

                  結果、それにふさわしい状況を創り出してしまう。
                  引き寄せてしまうのだ。確かに、この時期の現実の状況は、決して簡単ではない。

                  どうにかならないのだろうか…?

                  パラレルな現実の存在を認める私にとっては、それは、「否である」という結論になった。

                  本来、私の創り出した観念だから、私はその観念から、
                  自由になれることができるはずなのだ。

                  それが分かりつつも、現実には、私は常識に囚われしまっている。

                     「その時期は、売れなくて当たり前だ」

                  という尤もらしい事実を、自ら、何度も上塗りして強固にしたものを、
                  これでもかと、自分自身に渋々受け入れさせているのだ。

                  しかし、今わかるのは、それは制限付きの理性が犯す大きな間違いなのだ。
                  そして、その常識の観念こそ、
                  打ち破らなければならないものだと思っている。


                  …ひとつの考え方だが。ある結論を導くことができた。

                  たとえ、事実は、数字的には、さほど売れていなくても。
                  「あー、売れたのだな…。」と、満足を得ること。満足しきる体験をすること。

                  どうしようもない現実に、ただネガティブな「定義と確定」を繰り返し行うのではなく、
                  僅かな売上しかなくても、満足感を得ることが重要なのだと気づいた。

                  なぜなら、今度は、それがポジティブな「定義と確定」になるからだ。
                  それが、ネガティブな思い込みを逆手にとって、新たな状況、ポジティブな状況を創出するからだ。

                  見方を変えれば、
                  「定義と確定」には、そんな力もあるのだ。

                   


                   

                  posted by: fukugakuru358 | 009/ネガ・ポジ | 15:26 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                  ☆春は、すぐ、そこまで
                  0

                    今朝は、プライベートな用事があったこと。また様々な状況とも合わせて、
                    本日のブログの更新を一旦、諦めるつもりでいた。内容も考えていないかったので…。
                    そんなやや出遅れた感のある気分に対して、いま、ささやかな抵抗を試みている。

                    本日は、
                    自分のために、自分を鼓舞するために…。自分のために限って…。
                    そして、
                    本をパラパラめくった。

                    手にしたのは、
                    「ザ・マスター・キー」(チャールズ・F・ハアネル[著] 菅 靖彦[訳] 河出書房)
                    だ。
                    やはり、イメージングに関わる内容に関心が向く。
                    すべては、そこにあると思うので。
                    その引用は、

                       「理想だけを心に抱き、外の状態は考えないようにしてください。
                        そして内側の世界を美しく、豊かにしてください。そうすれば、外側の世界は
                        あなたが内側に作り出した状態を表現するでしょう。」
                                 (前出:p101)

                    というものだった。

                    としても
                    なかなか現実は、思う通りに変わってくれない。
                    むしろ状況は、以前より、さらに困難になっていくような弱気な気分を、
                    嫌が上にも醸成しているようでさえある。嫌味のように。

                    そんな気がしている。

                    今朝もイメージングしたいと思いながら、それさえ邪魔される。
                    どうでもいいようなことに、

                    ともかく…煩わされる。

                    以前にも引用したが。こんな時こそ。

                    ボブ・プロクター氏の言葉が、勇気を与えてくれる。支えてくれている。

                       「さぁ今から、心のスクリーンに裕福な自分をイメージして、
                        それが現実になることを待つようにしましょう。たとえどんな事態に陥った
                        としても、裕福な自分のイメージを保ち続けることです。
                        どうにも悪いほうに向かっているとしか思えない出来事が、続けざまに
                        起こることがあるかもしれません。
                        しかし、それでもあきらめてはいけません。
                        裕福な自分のイメージをw失わず、今自分が経験している困難は、
                        その後に自分が経験する素晴らしいことの前に起こっている
                        一時的な試練だと解釈することです。」
                            (「宇宙を味方にしてお金に愛される法則」ボブ・プロクター[著]
                                                                   岩元貴久[監訳] きこ書房  p92)

                    プロクター氏のこの言葉が、私は、好きだ。

                    なんと有難い言葉だろう。とても励みなる。

                    きっと、現実は変わる。
                    怒涛のように、それは、変わる。きっと。

                    私は、そう確信している。絶対に、諦めない。

                    暖かい春は、そこまで。すぐ、そこまで来ているはずだ。

                     



                    posted by: fukugakuru358 | 009/ネガ・ポジ | 12:02 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                    ☆ネガティブな感情の余波…か。
                    0

                      一昨日の夜だが。個人的に、そこにフォーカスしてはいけない案件に、何度か、心の習慣によって振り向けられてしまった。
                      一言で言えば、入ってくるお金より、出て行くお金の問題に気持ちがふらついたということだ。
                      何度か、胸の芯をギュッと圧縮されるような感覚に激しく襲われた。
                      「まずい!」なと、いろんな意味でそう思った。
                      そうした感覚は誰にでもあるだろう。
                      そのあたりから、ポジティブな感情を培うイメージングへの気持ちが希薄なってしまった。
                      昨日も、朝から、1−2度、考えてはいけない昨日の思いを、またブリ返してしまった。
                      気持ちがややボロボロで、イメージングする気になれなかった。昨日のブログも、書く気なれなかった。一日が、低調なトーンで推移しているのを感じた。何となく、時間の進行にムラがある。
                      それでも、1−2度は、イメージングをやることができた。ネガティブな感情に全体として支配されるのであれば、やはりポジティブな方へ、そちらに、振るべきだからだ。
                      だが、腰が重い一日になってしまった。
                      そして、きのうは寝坊してしまったが、今朝は、比較的早起きが出来た。
                      しかし、何かリズムが悪い。
                      朝の2時間近くを、当方にしていただけるはずの入金関連で、確認の電話が来たり、
                      なんで今頃というような相手のバタバタに付き合わされて、大いにリズムが狂わされてしまった。稚拙な話で申し訳ないが、
                      それは本来、先週末には、入金されるものだったはずなのに。
                      入金がなかったので。
                      昨日、私の方からその問い合わせをしてみたのだ。
                      相手側は、ささやかな金額にも関わらず、充分な対応ができないのだ。正直、脆弱さに驚いた。
                      すでに相手企業の担当者が辞めてしまい、その後任者との引き継ぎが不十分であったということもあるだろうが、今朝もその確認に継ぐ確認で、ようやく「確認できました。」というのみで、
                      それから数時間が経っているのに、いまだ昼過ぎになっても入金がなされてない。相手が非を認めているのにだ。……。

                      そして、もう一つ、私自身の使用しているPCだ。
                      確かに使用が耐用年数を過ぎたあたりにあり、機種としても、OSも古くなってしまっている。
                      そのせいで、このところ、スムーズな起動ができない。
                      いくつか段取りとして余計な手続きを行わないとだめなのだ。
                      そうしないと、だた起動したというだけで、どのアプリも全うに機能せず、
                      そうした立ち上げに苦労する。
                      当然、儀式化した段取りをふんで、
                      いつもどおり、手順を行ったが、なぜか今日は、とんでもなく、PCが融通が利かない。
                      2時間近くを、アプリの起動を確約するために苦労してしまった。
                      ようやくいま全うに仕事ができることになった。

                      ふと、思う。

                      こうした現実世界で起きている物理的な現象として表れてくる躓きは、
                      単に、独立して、別個なものとして起きているのではないのだろうということだ。
                      すべては、私自身の一昨日の夜に、ネガティブに思わされたその余波が、いまカタチを変えて現れているのだろうと思うことだ。
                      そして、入金されていないというストレスが、我慢を強いられてたり、新たなネガティブなものを引き寄せているのだろうと思う。すべてが有機的な制限となって現れ、私が迂闊にフォーカスしたネガティブな感情を解消するために様々なことが起き、そのバランスをとっているのだろうと思う。
                      本当は、もう少し一日が無意味な停滞と感じるような他のことも起きていたが、
                      それらを逐一書く気になれない。

                      ただネガティブな余波としているが、実は、別の観点も私なりにもっている。
                      それは、望む現実化を果たすためのポジティブなイメージングを毎日行っているが、
                      その力学的な反発が、やはり一昨日の数度のネガティブな感情を引き起こした
                      張本人なのではないのか…と、実はそう思っている。やはり、一定のバランスのためだ。
                      つまり、
                      ポジティブな思いに向き合う気持ちへの対比としてだ。
                      もちろん根拠があって言っていることではないが。直感的には、なぜかそう思っており、
                      個人レベルでは、かなり確信している。

                      たとえそうだとしても、
                      それでも、ポジティブなものに、心を寄せるべきだと思う。

                      たった今、手にした本、「ザ・ストレンジスト・シークレット」(アール・ナイチンゲール[著] 林 陽[訳] 徳間書店)に次の示唆があった。

                         「恐る対象に心を寄せるのはやめましょう。
                          恐れや否定的な思いが意識にのぼってくるたびに、それをポジティブで
                          価値ある目標のイメージ置き換えましょう。」
                                         (前出:p068)

                      とある。
                      私は、一昨日、ネガティブなことにフォーカスしてしまったとき、ケアーが充分でなかったことを反省している。その感情にただ振り回せれてしまった感が、やはりある。
                      大いに反省だ。

                       

                      posted by: fukugakuru358 | 009/ネガ・ポジ | 13:37 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |