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☆「何も望んじゃいけないの」そして、すべきことは
0

    斎藤一人さんの講演メッセージのちょっとした気づきについて、昨日、書こうとしていたら、
    別の気づきを得たために、昨日のブログは、(☆何にも変えてはいけない  2012/08/14)を書かせていただいた。
    本日は、昨日、書こうとして予定していたものを、そのちょっとした気づきの方を書かせていただこうと思う。
    私が一人さんの講演メッセージの中で感じるは、願望実現の具体的な手法についてのお話が、
    比較的少ないように思っていたことだ。
    斎藤一人さんの講演をすべて聴いた訳ではないので(=はっきり言えば、まだまだほんの一部程度だ。)だから一概にそう言い切ることはしないが、というより、案外多いのかもしれない。
    ただ私が、聴いた手元にあるものには、そう感じるものが比較的に少ないということだ。
    日々ついてる。幸せだ。と思うことの大切さなどの精神的な有用な話が多いのかな…と。
    また、それがすべての基本だからだろう。では、
    願望実現の具体的な手法についてお話をしていないのかというと、
    実はそんなことはない。あるのだ。

    私たちは、それを聴けるだけでも、とても、ついてるのだ。

    その話が、「斎藤一人 千年たってもいい話」(斎藤一人[著] マキノ出版)の音声CDの中にある。昨日、私は、いろんな意味を含めてそれを確かめたかった。

    昨日も引用した箇所を、再び、講演CDの中の”幸せのなり方”から引用させていただく。

      「あのね。幸せになりたかったらね。何も望んじゃいけないの。何にも変えようと
       しちゃいけないの。わかる?何にも、望んじゃいけないの。例えば、この指、もうちょっと
       細かったらな…とかさ。自分の足、もうちょっと長かったらな…とかね。えー…。
       ウチの…姑がさ、もうちょっと小言が少なかったらなあとか。一切、望んじゃあ、
       いけないの。」
         (「斎藤一人 千年たってもいい話」斎藤一人[著] マキノ出版:音声CDより)

    昨日は、「何も変えちゃいけないの」という話を取り上げた。本日は、その手前の、
    「何も望んじゃいけないの」を取り上げさせていただく。

    もう一度くり返すが。願望実現のためには、

       「何も望んじゃいけないの」

    なのだ。私は、このCDを聴いた数年前の当時、とても困惑した。
    願望は、望んでナンボなのではないのか…と、ふつうに不満に思ったのだ。
    やや消化仕切れなかった。
    しかし、一人さんは、偉大なる成功法則の達人なのだ。一人さんは、十分説明はしないが。
    この言葉で、成功法則の本質と側面をすべて言い及んでいたのだ。
    私は、数多ある成功法則の学びの中で、斎藤一人さんの正しさを理解した。

    なぜ、「何も望んではいけないの」か。

    望む限りにおいて、いまそれを手にしていない状態を、自ら認め、そこに思いを寄せてしまうことで、引き寄せの法則を働かせてしまうからだ。
    望んでいるものを手にするのではなく。その思いと矛盾して、いま望んでいるものが手元にない状態を、そこにフォーカスしてしまい、結果、何も実現しないし。むしろ再び悪い結果を招き寄せてしまうのだ。

    だから、「何も望んではいけないの」だ。

    では、どうするのか。

    望んでいるモノや状態や状況を、すでに手に入れたかの如くに、そこで満喫している自分の姿を、ただビジョンとして思い描くことだけが大切なのだ。

    まだ手にしていないということや、かなうだろうかと、あるいは、かなわないのではと不安になったりせずに、そうしたネガティブな思いに振り回されずに、想念として、手にしたいものの姿を思い描くということに尽きる。

    そして、

    斎藤一人さんの願望実現の手法が、前述CDの中にも、紹介されている。ただし、台本なしのやり直しの利かないライブの講演でもある。ちょっとした言い回し、表現の仕方は、言葉がやや足りないということは、往々にして、誰にでもあるものだ。前後関係で、意味が不明になったりすることもあるだろう。だが、率直に、受け入れることが成功法則の学びの中では、重要だ。大筋を理解し、わかりにくい点は、他の書籍などで、理解していくことも大切だ。

       「えー…。ウチの会社ね。すごく変わっているの。おそらく、会社の社長で、
        こんなこと言ってんの、オレだけだと思うよ。だって、ウチって銀座まるかん
        って言うんだけど。正式名は、銀座日本漢方研究所っつうの。
        何が、変わっているんですかって言うと、誰も、研究していないの。(会場:大笑い)
        だって、研究員いないんだもの。で、オレも研究していないの。(会場:大笑い)」
         (「斎藤一人 千年たってもいい話」斎藤一人[著] マキノ出版:音声CDより)

    という、願望実現の方法がどのようにして行われるかの前段の話がある。会場内は、斎藤一人さんの意外な話で、大笑いの渦だ。私は、この箇所を何度、聞いても笑ってしまう。
    でも、「じゃあ、なんで…。どうなっているの?」と普通に思う。

    そして、いよいよ一人さんの具体的な手法が述べられる。

       「で、どうやってやるんですか?っつうとね。頭ん中で、例えば、膝に良くて、
        腰に良くて、で、こういうのほしいな…って願うの。と、一ヶ月後か、二ヶ月後か、
        三ヶ月後、ポンッと(アイデアが)出てくるの。だいたい一ヶ月ぐらいで出てくるの。
        それがポンッ!と出てくるの。そうすると、その処方を書いて、これで作って!って
        言うとできるの。で、そんなんで、出来るんですかって言うから。できるの。
        ただその間に、楽しくしていないとダメなの。その間ね、少しでも、悩んだり、
        苦しんだりするとだめなの。」
         (「斎藤一人 千年たってもいい話」斎藤一人[著] マキノ出版:音声CDより)

    この後の詳細は、著作のCDで確認をしていただきたい。
    このように、一人さんのアイデアを生み出す手法が、詳細に紹介されている。
    これは、イメージ法を語ったものだ。イメージの力を一人さんが、推奨している貴重な講演メッセージの一つだと言える。

    前段の方で、「何も望んじゃいけないの」といい。このくだりで、
    「例えば、膝に良くて、腰に良くて、で、こういうのほしいな…って願うの。」という言い方は、
    望むと願うとは、どこが違うのかと疑問を持つかもしれない。
    だが、これは、すでに触れたように、台本なしのやり直しの利かないライブ講演の話だ。
    ある程度の言い回しや表現に、気配りが足りない。できないということは、
    多勢の聴衆の前の緊張した中では、十分にあり得ることだ。差し引いてみたほうがいい。
    その意味で、

    「例えば、膝に良くて、腰に良くて、で、こういうのほしいな…って願うの。」
         (「斎藤一人 千年たってもいい話」斎藤一人[著] マキノ出版:音声CDより)

    は、
    次のように、解釈すべきだと、言っておきたい。

    「例えば、膝に良くて、腰に良くて、で、いまは、それが、どんなものかわからないけれど、
    こういうものを考えてみる、思ってみる。(=あるいは、イメージするの)。」

    という具合にだ。
    斎藤一人さんの貴重なメッセージに、心より深く感謝したい。

     

    posted by: fukugakuru358 | 016/斎藤一人さん | 12:54 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
    ☆何にも変えてはいけない
    0

      斎藤一人さんのメッセージで、ちょっとした気づきがあり、その確認のため「斎藤一人 千年たってもいい話」(斎藤一人[著] マキノ出版)の音声CDを聞いた。この本には、音声CDが3枚ついている。超お得版だ。
      その中の斎藤一人さんの講演メッセージの中で、幸せのなり方という件を聞いていたとき、改めて驚いた。このCDを聞こうと思ったのは、
      冒頭にあるように別の示唆の気づきの確認だった。
      それは、明日または後日、書きたいと思う。
      このCDについては、以前、何度も、何度も、聞かせていただいた。
      そのため、一人さんの声の調子が頭の中で再現され、ちょっと聴いただけで、
      次にどの言葉から始まるなどが。ほぼ復唱できるようなほど聴いている。

      というように、何ども聴いていたが
      いままた聴いて、「え?!」と思った。
      とにかく、今日のブログのテーマは、「これだ!これにしよう!」と思った。
      私の学びが日々進化しつつあることを知った。以前は、何気なく聴いていたことのなかに、
      驚きのメッセージが含まれていることに、斎藤一人さんのただならぬ凄さを感じたからである。

        「あのね。幸せになりたかったらね。何も望んじゃいけないの。何にも変えようと
         しちゃいけないの。わかる?何にも、望んじゃいけないの。例えば、この指、もうちょっと
         細かったらな…とかさ。自分の足、もうちょっと長かったらな…とかね。えー…。
         ウチの…姑がさ、もうちょっと小言が少なかったらなあとか。一切、望んじゃあ、
         いけないの。」
           (「斎藤一人 千年たってもいい話」斎藤一人[著] マキノ出版:音声CDより)

      このメッセージの中には、いろんな要素が入っているが、私が、今回、凄さを感じたのは、

        「何にも変えようとしちゃいけないの。」
           (「斎藤一人 千年たってもいい話」:音声CDより)

      のメッセージだ。

      そして、一人さんは、このあと、生まれ持った肉体や環境、状況、状態について、不平・愚痴を述べるなと言っている。別言すれば、受け入れなさいと。ありのままを感謝をしなさいと主張しておられる。

      私は、斎藤一人さんを含め、多くの成功法則らの著者ら、特にトランサーフィンのヴァジム・ゼランド氏からの学びを大いに受け入れている者として、一人さんの

        「何にも変えようとしちゃいけないの。」
           (「斎藤一人 千年たってもいい話」:音声CDより)

      のメッセージに、ビビッと響いたのだ。

      斎藤一人さんが、トランサーフィンのシリーズを読まれたかどうかは、知らないが。
      悟りを得た人は、必ず共通のことを述べるようになるのだなと思う。
      前述の言葉で、一致を見ている。

        「何にも変えようとしちゃいけないの。」
           (「斎藤一人 千年たってもいい話」:音声CDより)

      とあるのは、
      それを概念的に伝えているのは、まさしくトランサーフィン流の考え方の基本でもある。

      トランサーフィンの第1巻(「[振り子の法則] リアリティ・トランサーフィン」ヴァジム・ゼランド[著] ほおじろえいいち[監修] 須貝 正浩[訳] 徳間書店)の中に、

      次の記述がある。

         「今いる人生ライン上で何かを変更することは不可能である。」                                                          (リアリティ・トランサーフィン」:より)

      と述べ
      私たちが、良くも悪くもいま居続ける人生ライン上に、どんな不平・不満があっても、自らの力で、人生をコントロールして、人生ラインを変えようとしては、絶対にいけないという。
      なぜなら、
      無数にある人生ラインそのものは、変えられないからだ。
      その代わり、
      私たちには、別の人生ラインが無限に用意されているからだ。

      ゼランド氏は、いま居る人生ライン上で、そのシナリオを変更することは、
      人生のシナリオと、ただ闘い消耗するだけで、止めろと言っている。ただし、変更はできると。つまりいま居続ける人生ラインから別の人生ラインを選択し移動(シフト)することは、できると述べている。

      私は、斎藤一人さんの自らの成功体験の中から、前述のさり気ない言葉を「スーっと」吐き出し、大なり小なり、人生ラインというものを汲み取っておられるのだなと感じられた。

       



      posted by: fukugakuru358 | 016/斎藤一人さん | 12:04 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
      ☆波動を変える
      0

        斎藤一人さんの言葉は、常に、理に適っている。
        私は、そう思っている。成功法則で原則で語られていることの、
        すべてではないかもしれないが。
        概ね、スバッ!と的を射ているのだ。
        そこがすごい!
        「すべてではないかもしれないが、概ね」と記述したが、
        それでも斎藤一人さんは、自他ともに認める大金持ちだ。誰にも、文句は言えない。
        言わせないスタイルが。
        改めて、さらに、すごい!
        そして、斎藤一人さんの直のお弟子さんとして認められている複数の人たちが、
        みな事業で成功し、著作まで、書いている。
        言うまでもなく、斎藤一人さんの語る成功法則が、正しいということの証明にすらなっている。

        斎藤一人さんは、理論よりも実際のやり方を重んじている。
        それが、一般的に理論化されている成功法則の原則に通じているなら、
        難しいことに頭を悩ますより、無条件に一人さんの言うことを受け入れて実践するのも一法だ。

        昨日、紹介した「変な人の書いた成功法則」(斎藤 一人[著] 総合法令)の続きになるが、
        一人さんのメッセージに、≪万物の霊長は波動を変える力がある≫。の項目がある。
        そこに注目してみた。この項目は、波動を変える方法について、教えてくれているのだ。

                「金と銀の違い」
                      は、
                「出ている波動の違いです。」

        と述べ、

              「ガラスはガラスの波動が出ているからガラスです。」 (前出)

        つまり一人さんは、
        原子核と、そのまわりにある負の電荷を持つ電子などの在りようやその状態で、
        物質の性質が変わると述べている。ちょっとしたそれは微差であるが、
        微小な原子の世界では、きっと大きな微差なのだろうが。

        それはエネルギー(ここでは、波動)として、そのものの在りようを主張しているものだと思う。
        物質がそうであるように、人間の質にも同様のことが言えるという部分で、

          「豊かな人は豊かな波動が出ていますし、貧しい人は貧しさという波動が出ている。」
                   (前出)

        と、一人さんは言う。
        それが、成功法則では、引き寄せの法則に繋がる。

        その波動は、不変のものでなく、
        万物の霊長と言われる人間には、自ら変えられるとするのが、一人さんのメッセージだ。

        その波動を意識的に変えられるかどうかが、成功者となるか。失敗者となるかの境界であるとも述べている。

          「私が今あなたに話しているのは、あなたの波動をいかにして豊かな波動に
           変えるかということです。」
        (前出)

        と、述べ。次のようにするといいと教えてくれている。

          「波動を変えるには、まず『困ったことは起こらない』と思ってください。
           そうしたら、次は、会う人、会う人に、
           『この人にすべての良きことがなだれのごとく起きます』と念ずるのです。」
                 
        (前出)

        と述べている。

        この「困ったことは起こらない」については、昨日のブログ(☆”困った”は思考の境界)でも、書かせていただいた。
        いま目の前に起きた問題について、私たちが取り組む姿勢を述べている。
        つい私たちは、感情的に、厄介なことや忌々しい出来事に、
        思わず舌打ちをしたり、表現として「困った」を連発してしまう。

        一人さんは、「困った」と言う代わりに、「困ったことは起こらない」と思うようにしようと述べている。あるいは、口に出すべきだと述べている。つい問題に目が奪われ、
        「困った」や「困った事」に集中していると、それだけで、「困った」状態に、むしろフォーカスすることになる。それが、まずいと。

        昨日は、私見で、「困ったことは起こらない」と思いながら、「いい事が山ほど来る」という
        同じ斎藤一人さんの言葉を引用させていただいた。

        一人さんは、
        「いい事が山ほど来る」と言う代わりに、

           「『この人にすべての良きことがなだれのごとく起きます』と念ずるのです。」
                                                        (前出)

        と、教えている。
        それは、私は、「いい事が山ほど来る」という思い方、言い方と原則、同じだと思っている。
        しかし、一人さんは、現実に大成功者だ。
        どちらかと言えば、
        率直に一人さんの言葉を受け入れた方が、効果的かも知れない。

        蛇足になるが、

           「『この人にすべての良きことがなだれのごとく起きます』と念ずるのです。」
                                                        (前出)

        とは、本来、他人にその願いが伝わるというものではない。
        そう念じているのは、それが誰なのかと言うことになる。
        念じる私たち自身の方なのだ。
        私たちの心の内側で、良きことがなだれのように起きることを、良きことにフォーカスし、
        招き念じていることになる。見返りは、自分にあることと、同義だ。

        ただ、やはり、人のために念じると言う行為は、私たちの本質を豊かなものする。

        与えたものが、自分の受け取るものの精神を貫いているのだと思う。
        どちらにせよ。素晴らしいメッセージだ。

        posted by: fukugakuru358 | 016/斎藤一人さん | 12:46 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        ☆上気元の魔法
        0

          寝不足の日がつづいていたので、
          昨日は、意図してよく寝た。7時間程度。
          夜があけて、白んできたら、
          それ以上はどうにも寝られないので起きた。
          以前、科学番組か何かで、睡眠のとり方として、区切りのよいタイミングというのがあるらしい。と、知った。
          ほぼ1時間30分ごとが、一区切りの単位で、そのタイミングを守っていれば、少々の寝不足は、乗り切れるというような
          つまり、1時間30分、3時間、4時間30分、6時間+++というように、1時間30分ごとの間隙をぬって目覚めると良いらしいのだ。たとえば、仮に4時間30分のほど寝た場合、睡眠のリズムに沿っているので、さほど、寝不足感で苦を感じることはないという内容だった。正確ではないとしておく。「幸せだな」という口癖も出なかった。
          私がとった睡眠は、そのタイミングとややズレるため、起きてから、どことなく気分が乗らない感じがしていた。誰でもそんな日の一日や二日はあるだろう。
          だが、この気分が乗らないというのは、心の姿勢として、"ダメ"だなと思うような一日になった
          詳細は避けるが、散発的に続く、細かく不快に思うような出来事が起きた。決して偶然とは、思っていない。そして当然だが、こちらも散発的に、それなりのバランスをもって良い事もあった。

          YouTubeの動画で斎藤一人さんの上気元の魔法を聴いた。
          斎藤一人 上気元の魔法
          http://www.youtube.com/watch?v=GIcAtGUjaIQ&feature=related

          自身を心のあり方を振り返る際の大変、良い話だ。
          いつでも、どんなときでも上気元でいることの大切さを説いている。
          今日は、気元が良いとか、不気元だとかで、その日の気元の波で、人に気を使わせてはならないと、きわめてもっともなお話だ。

          その中で、斎藤一人さんが、「上気元でいるようする修行」だと思うようにしているあたりはさすがだ。

          特に冒頭の話が、秀逸だ。

             「ひとりさんって、気元いいですよねって。
              オレ、気元がいいです。そいでね…、いつも幸せなんです。」

          とまず言い切り、少し間をとって、

             「不幸とは、感情なんです。不幸とは、湧き上がるもんなんです。
              自分は、不幸のことばかり考えちゃうって言うけど、考えてないから、
              不幸になるんです。人間とは、不幸なことを考えるようにできているんです。」

          状況に流されていたら、不幸なことを考えるようにでいているので、
          意識して、幸せになるように考えないといけないという。つまり、

             「で、幸せとは、意思なの。わかるかな…、幸せというのは、
              どうしても幸せの方にもってくの。」

          つまり、幸せになるよう、明確な意思でもって、幸せになるよう、気持ちを引き上げるように、
          すべきだという。そのように、考えようとしないから、

             「不幸になるんです。」

          という。その流れの中で、斎藤一人さんは、

             「いつも幸せなんです。」

          といえるように、一人さんは、上気元の修行をしているという。

          昨日のトランサーフィン的な考え方で言えば、
          第1巻(「[振り子の法則] リアリティ・トランサーフィン」
          (ヴァジム・ゼランド[著] ほおじろえいいち[監修] 須貝 正浩[訳] 徳間書店))の

             「人間は選んだものを受け取るのだ。好むと好まざるとにかかわらず、
              これが現実なのだ。」
           (前出:P54)

          に相当する。幸せだという思いを選択すればいいということだ。
          「思考放射のパラメーター」を「幸せの思い」に同調させることだ。

          斎藤ひとりさんは、その「選択」を、修行に振り替えて述べているということになるだろう。

          表現は、多少異なるが、ポジティブな思いにフォーカスすることの大切さに。
          変わりはない。

           



          posted by: fukugakuru358 | 016/斎藤一人さん | 13:59 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
          ☆華として生きる
          0

            私は、科学的なものの見方を尊重している。基本的には重きを置いている。
            そのことは、以下の話とは別に、誤解のないように、事前に申し上げておく。
            といって、非科学的な世界をすべて否定しようとも思わない。
            それは、母が他界したときから、私の心情が決定的に変わり始めたと言っていい。
            すぐに、亡くなった母のために、まるで子ども神輿のような小さな仏壇を買って、
            母の位牌を据えた。
            自分自身の変わりようが、一体、どうなったのかと思うように戸惑いもありながら、
            自身の矛盾と同居させ、母のために手を合わせた。
            それは、17年たった今も続いている。
            手を合わせ続けることは、当然といえば、当然だろう…。
            しかし、誰でもない。
            私だけが、生涯を通じて、幸の薄かった母にしてあげられるせめてもの供養だと思うからだ。
            そして、現在も含めて、およそ霊感など感じることのない私が、
            唯一、母が他界したその日の早朝、私は不思議な現象を目にした。
            「なに、これ?」と、独りそう思った。
            素晴らしく神々しい光の風景をいま目の前に見ているからだ。
            それは、大井町駅の沿線にある東芝病院の5階の窓から東の方角に、
            数100メートル先の向こうに見えた。
            どこかの屋根に、二つの光が反射していたのだ。

            たったそれだけのことだ。仰々しいと言われれば、
            返す言葉すらない。
            しかしその日の私にとっては、重大で、不思議だった。

            なぜなら、昇る陽はひとつなのに、屋根に二つの巨大な光の反射が見えているからだ。
            私は、その現象を見つつ、ほんの1−2時間ほど前に、亡くなった母のことで、
            緊張感がすっかり切れていた。
            何かについて、充分、考えることはできなかった。
            ただ、「終わったのだな…」と、ぼんやりとして、
            その光の意味を見つめているだけだった。

            私は、その光の反射について、そのとき、母と私の関係の象徴だと、
            なぜか思った。おそらく、科学的には、何か説明のつく他愛のない現象だったかもしれないが。
            その時の私が、そう思ったところで、
            誰を傷つけることもあるまいし、どうかお許し願いたい。

            こうして今、その時のことをあえて記述しているごとく、その現象は、
            私にとって、私なりに意味が深いし。鮮明に残っている。

            私は、私なりにスピリチュアルな現象を受け入れる素地をそのとき創ったのかもしれない。

            少なくとも、当時、やっていたTV番組の「オーラの泉」などは、比較的、その頃から、
            見るようにもなっていた。

            私は、霊については、よく分からない。

            だが完全否定はしない。

            私たちが、スピリチュアルな存在だということは、誰が、科学的見地から否定しようと試みても、必ず矛盾するだろうと直感的に思っている。

            私なり理由と、後年、培われた素地があるので、

            私は、斎藤一人さん流のスピリチュアル的な世界観を、否定するための見地からでなく、
            学びとさせていただいている。

            「普通はつらいよ」(斎藤一人[著] マキノ出版)のおまけCDに、
            「ハスの花の話」というのがある。

            大変、教訓めいた非常に良い話だと思う。ポジティブで私の好き話のひとつだ。

            特に、以下の箇所は、とても意味が深い。

            天国言葉を受け入れているある女性が、一人さんに相談を持ちかけ次のように言う。

               「『会社へ行くと、もう…、周りが否定的な地獄言葉ばかりしゃべってて、
                嫌になっちゃうんです。』って言う人がいるんですけど。
                人間って、魂のステージが上がってくると、あなたに与えられる修行があるんだよ。
                その修行があなたに与えられた修行が、『ハスの花の修行』なんだ。
                で、『ハスの花ってなんですか?』て言うと、
                泥だらけの中から出てきて、泥がついてないんです。
                それで見事にきれいに咲きますよね。
                で、その泥から、みんなが汚いという泥から、栄養を取っているんです。
                それで見事に咲いているんです。」

            と、極めて人生における象徴的な素晴らしい話を斎藤一人さんがなさってくれている。
            「泥だらけの中」とは、文字通り、ネガティブで現実的な世界の話だ。

            一人さんは、たとえ周りがどうあれ、私たちは、『ハスの花の修行』をしているのだから、
            天国言葉を使い続けなさいという。

            天国言葉とは、

              「ついてる。
               うれしい、たのしい。
               感謝しています。
               しあわせありがとう
               許します。」

            のことを指している。この話の真髄は、仮に、やや宗教的な色彩を帯びようと、
            ポジティブ・シンキングのために有益な話だと思っている。

            私は、私なりに、率直に、一人さんの言葉を受け入れて学びとさせていただいている。

             

            posted by: fukugakuru358 | 016/斎藤一人さん | 07:56 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
            ☆貧乏波動(ネガティブ波動)
            0

              かなり前の話になる。私が、大学受験の浪人をしていたか、入学した頃のことだ。19か20才頃。
              私は、家庭的にも、とても塾や予備校へ行く余裕がなかったので、学費を捻出するためにも、
              当時の担任の紹介で、高校卒業と同時に、自身の高校で、職員室に常駐し、先生方のお世話をさせていただくアルバイトをしていた。お世話といっても、先生方の父兄にあてた文書や中間・期末テストなどの印刷の代行、電話の取次ぎ、昼食の発注などが主だった。
              その頃を振り返ると、率直に認めるが、赤面しても足りないほど、
              当時の私の態度は、酷かった。最悪だったとしかいいようがない。
              いまお世話になった先生方に深くお詫びする気持ちと
              良くも悪くも甘やかせていただいた先生方に感謝の気持ちでいっぱいだ。

              とにかくあまりに世間知らずで、愚かで、

              当時の紹介してくださった担任の先生も、
              陰では、相当に心を痛めていただろうといま思う。私個人のあまりにお粗末な話は、
              ここで言う話でもなく、私自身で大いに反省させていただくことにして。
              その時代の話で、際だった特に印象に残っていることのひとつを紹介したい。
              ありがたいことに、受験という意味では、一年目で私は、なんとか希望の大学に入学はできた。
              その頃の前後のことだ。

              職員室は、授業中、とても静かなものだ。先生方はほとんど出払っているので、
              ガランとしている。ローテーションで、授業のない先生方が、数人がいるのみで。
              ただ黙々と机に向かっている姿が見える。ゴミ箱に両足を乗せて、椅子の上で、仮眠している先生もいる。かなりお疲れのようだ。

              時折、事務室から取次ぎの電話が、私の背の向こうで鳴る。それを、私が取り次ぐか、
              授業で、いま不在の先生方の変わりに応対するという手順だ。メモ書きをしたり。
              ふと、窓を見れば、校庭で、生徒たちが体育の授業でボールを蹴ったり、
              走っている姿が見える。少し前まで、私がその風景の一人だったのだ。
              陽にかざされて、体操着がまぶしい。

              そんな何気ない日常を、だた繰り返す日々。
              で、どうということはないのだが。先生方にも、いろんなタイプの先生がいる。
              ある英語の若い先生だ。比較的、年齢も近いということもあり、
              お茶を汲みに来たついでに、本を読んでいる私に話しかける。
              そういうことも、よくある日常のひとつだった。
              手には、いま入れたばかりの大きな湯呑みをもっている。
              私の隣の空席に座って、大きなため息をつく。かなり長髪気味の顔は、
              全体に脂ぎっていて、特に、鼻や口回りがやけに赤く、どう見ても赤ら顔だ。
              決して2枚目ではない。
              目は、ドヨーンとしている。その顔には当然、覇気がない。

              決まって、私に言うセリフがある。

                「なんかおもしろいことない。」

              だ。

              当時の私に、おもしろいことを求めてくるのだ。
              それなりに親しくしていたので、邪険にすることはないが。
              そのやる気のない態度には、正直、迷惑だった。

              まだ成功法則など、学びもなければ、微塵も考えていない私にとって、
              当時は、処世術のひとつとして、その先生の話相手になっていたが。

              いま思うのは、つくづく人としての在り方、在りようというものについて思わされてしまう。
              その先生に対して、批判するつもりはないので、それ以上の言及は避けるが。

              やはり、その先生にはその先生の事情で、
              自身で抱えたネガティブな思い込みから抜け出せなかったのだろうと思う。

              斎藤一人さんの
              「斎藤一人の絶対成功する千回の法則」(斎藤 一人[著] 講談社)
              に貧乏波動という言葉が何度か出てくる。その項目のひとつ、≪貧乏波動を追い出すかんたんな方法≫に私の心が向いた。

              貧乏波動と言うが、お金に関してといだけでなく、全体的な意味で、ネガティブな思いの波動そのものをさしている。

              一人さんの本によれば、

                「貧乏神は『ため息』『愚痴』『悪口』を食べて生きています。逆に、
                 『幸せ』『感謝』が大嫌いです。」
              (前出)

              という。
              前述した先生は、どう見ても、その貧乏波動に取りつかれていたのだなと。
              当時、斎藤一人さんのことは、知らなくても、その先生が

              印象からそういうネガティブな状態にあるなとは感じていた。そのネガティブな波動は、確かに、印象としての不快を招く。
              私は、その先生に、どうこう言う立場にないし、ただ傍にこられるのが「嫌だな…」と、思っていた。

              そういう姿を、人に見せるべきではないと、今は、強く思う。
              人に弱みを見せるとか、見せないとかを言う以前に、
              そんな、どこかうつろで、退廃的な姿を人に見せても、何のメリットもないことは、
              言うまでもない。

              一人さんは言う。
                「貧乏神を追い出す方法は、『幸せだなあ』『ありがたいなあ』『豊かだなあ』と
                 声に出すことです。
                 何も考えないで、ただ声に出しているだけで、貧乏神は勝手に誤解して出ていって
                 くれます。」
              (前出)

              誰がなんと言おうと、やはり人生に対し肯定的な言葉を口にしているほうが、
              さわやかだ。
              たとえ強がりでも、
              「幸せだなあ」「ありがたいなあ」「豊かだなあ」という言葉を、口にしたり、
              耳にすれば、元気は出てきても、不快になることはない。

              それだけでも、ありがたいことだ。


              posted by: fukugakuru358 | 016/斎藤一人さん | 12:31 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
              ☆自己イメージを高める実践のひとつ
              0

                充分な間をとり、非常に、ゆっくりとした口調で、斎藤一人さんが言う。
                「『ありがとうは、ある日通じなくなる。』という話をします。」
                数年前に行われた浜松講演のCDの中の話で、
                斎藤一人さん著作の「普通はつらいよ」(マキノ出版)に付いてくる講演CDだ。

                この話の部分は、5分ちょっとの短く聞きやすい講話だ。

                これまでの一人さんのメッセージからは、どこか逆転発想的なニュアンスのために、
                会場からは、数人の笑い声と、拍手が鳴り響く。

                だが、そのメッセージには、やはり実に見事な成功法則が語られる。
                私は、この話のその冒頭部分を聴いて、一瞬「えっ?」と思った。

                あまりにも意外な話の切り出し方で。
                思わず聞き入ってしまう。

                そして、
                改めて斎藤一人さんの考え方には、深く、感銘させられる。

                話はじめて、およそ1分30秒ほどのところで、
                次のように言う

                   「いいですか。ありがとうというのは、当たり前なんです。人に良いことされたり、
                    お水もってきてもらっても、『ありがとう。』って言うのは、
                    当たり前なんです。『ありがとう。』って言うのが、マラソンで言えば、
                    スタートライン立ったようなものなんです。」
                         (「普通はつらいよ」斎藤一人著作:付録: 浜松講演のCDの中の話)

                と、語る。 

                「ありがとう」は、斎藤一人さんが推奨してきた肯定的な言葉、つまり天国言葉。

                  「ついてる
                   うれしい、たのしい
                   感謝します
                   しあわせ
                   ありがとう
                   許します」

                の中のひとつで、私も、「ありがとう」「ついてる」「しあわせ」などの言葉は、
                これまで言い続けてきている。

                だけに、

                「ありがとうは、ある日通じなくなる。」とは、どういうことなのだろうと、
                関心を向けたのは当然で。

                そして、

                   「『ありがとう。』って言うのが、マラソンで言えば、
                    スタートライン立ったようなものなんです。」
                       (「普通はつらいよ」斎藤一人著作:付録: 浜松講演のCDの中の話)

                というメッセージと、そのすぐ後に続く言葉に、「なるほど…」と唸った。

                   「これからだよね。これから『ありがとう』って言われる人生になるんだよね。
                    それがゴールじゃない。」
                       (「普通はつらいよ」斎藤一人著作:付録: 浜松講演のCDの中の話)

                さらに、究極として、

                   「人生とは、『ありがとう』っと言われる生き方をすることなんだよ。」
                        (「普通はつらいよ」斎藤一人著作:付録: 浜松講演のCDの中の話)

                と纏める。文句のつけようがない。

                人に感謝される生き方をしていて、それを成功と謂わずして何と言えよう。
                それこそが、人生の完成型であることに相違ない。

                私は、一人さんの言葉を率直に受け止めている。
                人に感謝される生き方というのは、考えれば、それなりにかなり難しい。

                人生哲学的な実践として、
                まず、先に。
                「人に与えたものが、受け取るもの」とする原則に立つ事を意味しているのだろうと思う。
                そもそも人に感謝される生き方を目指すということは、
                自己イメージの向上がなくては、
                できない話でもある。つまり、この生き方をめざすことにこそ、

                自己イメージ向上の「鍵」がある。

                この講話の中の後半にあるように、

                  「幸せじゃない人って、ずーっと、なぜ、幸せじゃないかをずっと言っています。」
                     (「普通はつらいよ」斎藤一人著作:付録: 浜松講演のCDの中の話)

                という生き方だけはしないことだけは、確かだ。

                さらに、
                自己イメージ向上を計る喩えのように斎藤一人さんは、
                心という映写機に肯定的なフィルムを入れるよう勧めている。
                そのフィルムの光を通してを、物理的現実に投影するように言う。

                  「その『ありがとう』って言われる生き方をしよって、思いながら、生きれば、それだけで
                   旨くいくんです。『ありがとう』って謂われる人生を送るんだという『カチャッ』って
                   (心に)フィルムを入れるんです。」
                       (「普通はつらいよ」斎藤一人著作:付録: 浜松講演のCDの中の話)


                posted by: fukugakuru358 | 016/斎藤一人さん | 12:09 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                ☆困ったことは起こらない
                0

                  ここ連日、ブログのテーマが理屈っぽいテーマになってしまったので、
                  分かりやすい内容にしたいと思う。
                  斎藤一人さんの「困ったことは起こらない」をテーマにさせていただく。

                  この「困ったことは起こらない」は、
                  斎藤一人さんの著書「変な人が書いた成功法則」(斎藤一人[訳] 総合法令)の主要なテーマに
                  なっている。
                  斎藤一人さんの話は、理屈をまったく排して、決して理念的ではないが、
                  語られていることは、ほとんどすべてと言って良いくらい成功法則の理に適っており、
                  真髄そのものなのだ。
                  成功法則の理屈が抜けて、肩の力が抜けたらこうなりました。
                  というほど、
                  見事なほど成功法則そのものだということが、
                  誰もが学びの中で実感できるはずだと思う。

                  ついては、
                  斎藤一人さんの「困ったことは起こらない」の話に戻りたい。
                  私自身ちょっとしたトラブルが起きると、つい「困ったな…」と、口にしてしまう。
                  口癖になっている部分もある。
                  それは、言わないようにしているつもりだが、つい、うっかり言ってしまっている。
                  思ってしまっていることがある。

                  「困ったな…」といえば、何が起きるか。「困った」という「思い」や「言葉」を原因にして、
                  その原因に見合う困った状態を単に引き寄せるのだ。

                  なぜか。私は、その理由を説明したい。

                  「困った」という思いが、思考の種になるからだ。
                  もちろん、現実化まで、多少のタイムラグがあるので、すぐに打ち消せば問題ないと思うが。

                  昨日書いたブログ”☆「思考の法則」をどう活かすか”に同類の内容がある。

                    「原因と結果」については、
                       アレン氏は、次のように

                      「あらゆる物質の現象には、一定の条件で、必ず成立する『原因』と『結果』が
                       あります。それは、自然界にも、人間の心の領域でも、『確実なしくみ』として
                       働いています。」

                  が、相当する部分だ。
                  心と現実の間で、「思考の法則」が作用し、思い描いたことに対する現実化がなされるのだ。

                  このことを元に、
                  もっと、分かりやすいことを言おう。
                  「思考の種」と上述したが、

                  思考の種は、心(潜在意識)という土壌の中で、思考の種が発芽するしくみを持っている。
                  それは、肥沃な土壌に植物の種を蒔けば、条件が整えば、自然に発芽するのと同じように発芽する。
                  心という土壌は、宇宙的な規模の無限の力を内に秘めており、そのバックグランドを背景に、
                  思考の種を発芽せざるを得ない衝動を持っているようだ。

                  だから、「困った」と思えば、思考の種は、”なぜ、どう困るかのかは、考えもせずに”
                  ただひたすら、「困った」という世界を引き寄せてしまう。

                  「困ったことは、起こらない」と口に出せば、困ったことは、起こらないという時限で、
                  困ったことが、「起こらない」ことにフォーカスすることになり、
                  「困った」だけで終わる口癖の逆で、
                  本当に、困ったことが「起こらない。」ようになる。
                  しかも、思いがけない良いことも、起こりやすくなる。
                  すべては、思い方ひとつの問題だ。

                  一見、「困ったこと」が起きた場合は、「困ったことは起きない」と口にすることで、
                  あるいは思うことは、「困った」で言い切ってしまうより、断然、有効だ。



                  posted by: fukugakuru358 | 016/斎藤一人さん | 12:17 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                  ☆あえて逆発想してみる
                  0

                    斎藤一人さんの本に「人生が全部うまくいく話」(斎藤一人[著] 知的生きかた文庫)というのがあるが。
                    その中に「明るい顔しているだけで、こんなに報われるんです!」という項目がある。
                    冒頭より、斎藤一人さんの真骨頂が語られる。

                      「景気のいいときに、『景気のいい話』をするのは当たり前。そうじゃなくて、
                       景気の悪い時に、『景気のいい話』をするのが大事なの。」
                    (前出)

                    と述べられているが。この発想がもの凄い発想だと気づく方は、
                    そう多くないと思う。
                    私も、この本を読んだ数年前には、

                      「ふーん。まあそういうことかな。」ぐらいの理解しかなかった。

                    特に、これといった気づきもなかったし、要は、なんとも思わなかったのだ。
                    この言葉の意味の奥の深さを知ったのは、ほんの最近のことだ。

                    基本的に、一人さんは何がどうしてこうしてという説明はしないので、
                    どれほど意味のあることなのかを私なりに重きを置いている理解を述べたいたいと思う。

                    天国言葉――つまり、

                    ついてる
                    うれしい、たのしい
                    感謝しています
                    しあわせ
                    ありがとう
                    許します

                    という言葉を、一人さんはお弟子さん等とともに、
                    天国言葉として使う事を推奨しているが。……。
                    そのことで、
                    正確に覚えていないが。確か。
                    それを言い続けたところで、嫌なことが、全く無くなるわけではない。
                    というような
                    そんな意味のことを一人さんが、何かの講演CDなどで言っていたように思う。

                    それはともかく、正しいことなのだ。

                    なぜ、冒頭にあるような言葉や天国言葉を言うのが、大事なのか。

                    それを説明したい。

                    私たちが生きていれば、必ず、嫌なことや不愉快なこと。
                    追い詰められたり、困難さや逆境に見舞われたりする。

                    その時、人は、どう反応するだろうか。
                    いろんな表現や言い回しがあるだろうが。
                    多くの場合、

                    「困った!」「ついていない!」「なんで自分がこんな目に!」などと愚痴ったり、
                    不満に思うことだろう。

                    これは、客観的にみると、
                    困った状況や思いがけない出来事などに、
                    きわめて当たり前のように、

                    ネガティブな出来事に対して、文字通り、ネガティブに反応しているだけなのだ。

                    もう一度、言う。
                    きわめて当たり前のように、
                    ネガティブな出来事に対して、ネガティブに反応しているだけ。

                    それは、どういうことか、お分かりだろうか。

                    思考が現実化するという概念を受け入れている方なら、
                    ネガティブに反応するというのは、その時点では、反応だが、
                    と同時に、新たな原因を作り出していることにもなるのだという点に注意が必要だ。
                    つまり、
                    自らネガティブな思いを抱いだいてしまうこと、それが、今度は、原因の種になるのだ。
                    原因があれば、結果を招くのは、作用、反作用 = 永遠の宇宙の法則に従う。

                    再三、引き合いに出すが、

                    ネガティブな出来事に対して、ネガティブに反応すれば、
                    ネガティブなことを、また引き寄せるという悪循環を創り出してしまうことになる。

                    天国言葉が、なぜ、「良い」と斎藤一人さんが言うのかと言えば、
                    ネガティブな出来事に対して、
                    天国言葉で、つまりポジティブな言葉で、返すという意味があるのだ。

                    もうお分かりだろう。

                    ネガティブな出来事に対して、どんな出来事が起きても、
                    「感謝します」
                    というような言葉を口にすることが、ホントは望ましいのだ。
                    それは、状況次第では、とても難しいことだろう。
                    それでもポジティブな言葉や思いを抱くようにしないと、
                    もっと困った状況を引き寄せてしまう。

                    マイナス +(たす) マイナスは、もっとマイナスだから。

                    それを断ち切る意味でも、状況をプラスに転じる意味でも、

                    ネガティブな出来事に対して、
                    「うれしい」「しあわせだな」「ありがとう」とあえて言うように
                    するのだ。
                    これは、実は、理に適っているのだ。

                    確かに、とても言う気になれない状況もある。
                    バカバカしいという気にすらなるだろう。
                    ある厳しい状況も含めて第三者がそれを見ていたら、馬鹿じゃないのと思われるかもしれない。
                    だが、そう思いたければ、そう思わせておけばいい。

                    しかし、そんなときだからこそ、
                    ポジティブな言葉や思いを返すことによって、
                    悪い流れの連鎖を断ち切ることができる。

                    しかも、
                    今度は、思考の放射が、ポジティブな波動を発する事になる。

                    ポジティブな流れを創り出す事ができるようになるのだ。

                    斎藤一人さんは、
                    ご自身の著書「変な人の書いた成功法則」(総合法令)では、
                    こんなふうにも述べている。

                      「出てくる問題に対して、
                       『これは困ったことではない』と考えるのです。
                       『簡単に乗り越えられる』
                       そう思ったら、知恵が出てきます。
                       大変だと思った人には、大変なことしか起こらない。」 
                    (前出)

                    と。

                    ふりかかる困難や難題に対して、逆発想で、その状況に感謝することができれば、
                    それは、ポジティブな思考の放射をすることであり、意図的に、人生ラインを選択することに繋がるのだ。

                     



                    posted by: fukugakuru358 | 016/斎藤一人さん | 12:39 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                    ☆思わずクスッとしてしまう話
                    0

                      日頃、当ブログではいつもやや堅めの理屈っぽい記述ばかりしているので、
                      今日の配信は、少し砕けたいと思う。

                      斎藤一人さんの講演の話をさせていただきたい。
                      思わず笑ってしまう話があるので。紹介したい。

                      私は、クスッとというより、大笑いしてしまった。
                      多くの方は、ご存知かもしれないが、
                      ひとりさんは、話術が実にうまい。飽きさせない。間の取り方が絶妙だ。
                      冗談のこなし方も優れている。

                      ついつい、独特の調子に呑み込まれてしまう。
                      といって、
                      ひとりさんの口からついて語られる成功法則を軽く見てはいけない。
                      実に、道理に適っているのだから。ひとりさんの笑わせながら、楽しませる、
                      その講演のスタイルこそ成功法則の哲学そのものが貫かれていると思っている。

                      以下に紹介するのは、ほんの一節だが、笑ってそのまま聞き流さないでいただきたい。
                      私は、大まじめにこの話の意義を感じている。

                      私が大笑いさせていただいたその一節とは、

                      絶好調(斎藤一人[著] KKロングセラーズ [CD2枚付き])の本に付いている
                      CD-ROMの中の次のくだりだ。

                      nicozonの動画にもそのアップがあるの視聴してみるといいだろう。
                      斎藤一人 絶好調
                      http://www.nicozon.net/watch/sm10373423

                      話としては、
                      健康になる話から、幸せのなり方についての話の乗り換えの頃合だ。
                      健康でいるためには、日々「絶好調」と口にすることが良いと勧めている。

                        「だから、絶好調だって言いな。
                         それだけでぜんぜん違ってくるよ。
                         …それから幸せになりたかったらね。
                         幸せだっていいなって。先にだよ。幸せになってから言うんじゃないんですか?
                         違うよっ…!幸せになりたかったら、いま幸せだって言いなよ。
                         …
                         蕎麦屋へ行って、天ぷらうどんだって、おまえ…。
                         出てくる前に天ぷらうどんって言うだろ?!って。ハハハッ(会場:笑い)。
                         出てきてから言いますったって。ずっと出てこねえぞぉ…。ォホホッ。(会場:大笑い)」
                                  (「絶好調」 斎藤一人さんの講演CDより:前出)

                      絶好調だって言って人がいれば、ヤレ、身体のどこそこが痛いだの。腰が痛いだの。
                      足が痛いだの。だるいだの何だって、身体の不調を訴えられ、それを聞かされるより、
                      はるかに周りは気持ちがいい。
                      不満を嘆きたい、不調も事実であろう。だが言う方も、聞かされる方も、
                      決して、気分はよくならないというものだ。
                      絶好調だって本気で、
                      信じるに足るまで言えるようになれば、必ずそのあたりから、身体に効果がある。
                      健康を引き寄せてくるはずだ。
                      この話に、不都合があるだろうか。道理であることに、異論はあるだろうか。
                      とするなら、そもそも「引き寄せの法則」など信じることはできないはずだ。
                      なぜなら、目に見えないからということになる。だが、なぜ「言霊」という言葉があり、
                      そして「祈り」や「迷信」などの概念が昔からあるのだろう…ということにも行き着く。
                      そこに、今日はこれ以上、立ち入らないが、非科学的ではあっても、それが一定の力を何らかの機会に持つことを本能的に私たちは知っているからだと思う。

                      話は戻るが、
                      一人さんのこの話に私が、もっとも注目をするのは、
                      次の文言だ。

                          「…それから幸せになりたかったらね。
                           幸せだって言いなって。先にだよ。」
                      (「絶好調」 斎藤一人さんの講演CDより:前出)

                      特に、”先にだよ。”というところが、「原因」と「結果」の法則そのものであり、
                      「引き寄せの法則」に原理・原則に合致しているのだ。

                      ”先に”幸せだと口にし、幸せだというイメージを抱くようになれば、
                      すでに幸せを所有しているように念じられるようになれば、
                      私たちの潜在意識が、幸せなことを探して出して与えてくれるというものだ。

                      この幸せのなり方について共通するマスターたちは、大勢いる。
                      すでに、
                      当ブログでは、近い例で言えば、5月10日アップした
                      ”ただ幸せ” http://succes-fou.jugem.jp/?eid=249
                      でも扱わせていただいている。

                      その中の
                      「潜在意識が答えを知っている!」(マクスウェル・マルツ[著]/ダン・S・ケネディ[編] 田中孝顕[訳] きこ書房)の中である。

                        「『何々だから』幸せというのではなく、理由など持ち出さず、
                         ただ幸せでなければならない。」
                      (「潜在意識が答えを知っている!」: 前出)

                      「『私はできる!』黄金の法則」(B.スイートランド[著] 桑名一央[訳] 知的生きかた文庫)で、≪幸せになりたいなら、いつも幸せな状況を考える≫の項目の中にある。

                        「あなたが意識の中にもつ考えは、潜在意識に指示として受け取られ、
                         潜在意識はその指示にしたがって行動する。」
                      (B.スイートランド[著]:前出)

                      などの例も挙げさせていただいているほどだ。
                      探せばいくらでも、出てくる。

                      つまり、

                      ひとりさんの

                          「…それから幸せになりたかったらね。
                           幸せだって言いなって。先にだよ。」
                      (「絶好調」 斎藤一人さんの講演CDより:前出)

                      は、冗談めいた話の中に、重要な示唆が含まれているのだ。
                      そして、ひとりさんは、講演などよく

                          「信じても、信じなくてもいい話ですよ。信じられる人にだけ言うからね。」

                      と、口癖のように言う。

                          「信じられない人は、それはごく普通の人だからね。」 と。




                      posted by: fukugakuru358 | 016/斎藤一人さん | 12:55 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |