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☆象徴(シンボル)
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    ある日。りんかい線の品川シーサイド駅を利用したときのことだ。


    現時点では、新木場からJR大崎駅までをりんかい線とする路線と言えばいいのか。
    各鉄道会社とは、延伸して移動はできるが。短い区間だ。
    しかも、電車の行き来する間隔も平均的に、6−7分と少し長い路線でもある。
    乗り継ぎが順当でない場合、駅構内で、それなりに待つことになる。

     

    その日、駅の壁画を何気なく見ていた時に、まさにこれだなと思った。
    壁画は、片側車線の壁画は、すべて一様で、同じ模様が15メートルぐらいの間隔で、
    施されている。

    品川シーサイド駅構内.jpg 

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    品川シーサイドから大井町駅方面に行く1番線と新木場方面へ行く壁画は、

    Aパターン、Bパターンというような感じで、デザインが異なっている。

    どちらも抽象画だ。

    その1番線の壁画を観ているうちに、

    これこそまさに私たちの世界の象徴だなと思った。

    品川シーサイド駅壁画.jpg

     その写真が、左図だ。

     これを観て、気づく方は、

     それなりに物理的現実が何たるかを、

     ある程度理解している方に

     違いない。
     こじつけと言われれば、

     それまでだが。私はそうは思わない。

     この写真の壁画は、
     物理的現実の成り立ちを、

     文字通り象徴していると、

     私は感じた。私の解釈は、こうだ。

     上部は、

     ハイヤーセルフの領域で、波動域で。
     下部が、波動域を具現化した、

     投影した物理的現実世界という理解だ。
     つまり、上部は、

     私の深い部分の思い

     の波動状態の意識構造と言った感じ。

     

     

    下部は、まるでビル群(都会)を現実化した、反転された世界のように見えないだろか。

    境界は、実際の世界では見えないが、この上下を別つ陰陽のラインでもある。


    この壁画を見れば見るほど、バシャールの世界。アシュタール、あるいは津留晃一さんの
    いうところの象徴のようだなと思って眺めみた。

    チャンスがあったら、一度ご覧いただきたい。

    隣接する前後の駅は、壁画が異なる。

    天王洲アイルは、紫を基調とした世界で、この駅のように、暗示的ではないし。

    お隣の大井駅も、ピンク色が基調のやはり抽象的な別の壁画だ。

    このシーサイド駅だけが、たまたまこうした象徴を表した画のようになっている。

     

    品川シーサイド駅
    http://www.twr.co.jp/route/tabid/116/Default.aspx

    のホームページ中ごろ、


    駅の紹介によれば、

     品川シーサイド駅は、
     再開発エリア「品川シーサイドフォレスト」に直結している大変便利な駅です。
     当駅のホームの駅名デザインは、グリーンを基調としており、
     再開発エリアのテーマ「杜の緑の中の街」と一体性のある意匠となっています。
     近年は、通勤、ビジネスなどでご利用されるお客さまが増えています。

              (上記:URLのWebページの引用より)

     

    と壁の壁画についての説明があるが、

     

    解釈は、人それぞれで、良い。

     

     

    posted by: fukugakuru358 | 006/願望実現とイメージ | 16:36 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
    ☆シンプルになればいい
    0

      前回に続き、またどうとでも受け取れる話から、記述したい。
      正直、驚いた。

      このブログを書いているPC。
      実は、2009年時に購入されたもので、5年ほどが経っている。
      そろそろ耐用年数を迎えようとしている。従って、PCの買い時も、
      そろそろ検討もしなければならないだろうが。

      昨年の夏の終わりごろだ。
      デスクトップの左上部から5センチほど下に、液晶内部に小さな傷ができた。
      3−4ミリ程の長さのまるで空中のホコリのような印象の傷だった。
      俗に言う、ドット落ちの始まりのようだった。
      当初、ドット落ちなどというものが分からず、この状態を何とかしたいと思い、
      人指し指の腹で、画面を擦りつけて、液晶の内部を、なじませようとした。
      しかし、それが、とんでもないことになった。その傷が、かえって数ミリ程、
      前後左右に拡がったのだ。

      思わずっ!

      「触れなければ良かった」と、いま起きている事態について後悔した。

      ネットで「ドット落ち」をキーワード検索してみると、修復できる明るい材料がまったくない。
      こうなってしまうと自前の修復は、あきらめるより仕方がないようだ。
      専門店で、新しい液晶パーツと交換するか、買い替えしかない。
      液晶部分を交換するとしても、すでに耐用年数を迎えているPCだ。ためらいがある。

      「マイッタな…」と思った。
      唯一、ネットで紹介されていた稀に治るかもしれない方法も試したが、
      やはり、何の効果もなかった。むしろ大きく、酷くなったようにさえ感じた。

      そして、
      画面の傷は、思いのほか、日々、さらに酷くなった。
      まるで、暑い日に、部屋の中に紛れ込んできたハエが、まるで画面に止まっているような、
      不快感を味わうことになったのだ。

      絶望的な気分になった。「鬱陶しいな」である。

      この状態を我慢するしかなかった。
      唯一、これ以上、傷が拡がらないことを願うばかりだった。

      それから数カ月が経ち、年も明けて、つい2−3日前まで、
      文字通り、画面には「ハエ」が止まったままだった。

      下手(しもて)方面を向いたやや注文の多いハエだ。

      救いは、本物のハエのようにならず、じっとしていて動かないでいてくれたことだった。
      しかし画面に向き合うとその場所は、作業の邪魔になり、目障りなポジションにあった。

      そして、
      半年前後が経ち、すっかりその傷については諦めていた。

      そこへ、昨日のことだった。

      ふと、画面がいつもと違うなという印象に気づいた。その印象とは、
      あの「ハエ」が、なんと窓から飛び立ったらしいのだ。

      「もう…!」元に戻ることは、まったく不可能だと思っていた矢先の画面が…、
      キレイ(修復されている)になっている。

      「いいかい!その理由は、訊くんじゃないぞ!」とばかり、
      まるで、いままで何もなかったかのように、
      キレイに、画面がなっていたのだ。ほんとに助かったという思いと、
      感謝の気持ちがいっぱいで驚いた。

      これまで、潜在的には、
      「直したい!」「直って欲しい!」という気持ちは、強くあったものの、
      方法がなく、ただひたすら、我慢で。それは、ほとんどあきらめに近かった。

      私は、この事実を単なる偶然とは、思っていない。

      実は、このPCは、借りものなのだ。私が居住する自治会のものだった。
      私が、持っていたPCはかなり以前のもので、OSも古く、機能的に、ダウンし、
      すべてがダメになっていた。ただの電源を入れられるだけの箱状態になっていた。

      たまたま、立場上、さまざまな自治会会議の報告や議事録などを作成し書く必要があった。
      で、このPCは、前述したように、
      耐用年数を迎えつつあり、中古として、いづれ買取れないかを含めて、
      その相談もしつつ、借り受けて使用していたものなのだ。

      そのタイミングというのが、絶妙だった。
      PCが欲しいが、手に入らないという時期に、昨年の4月、このPCを手に入れた。

      ただし、3-4ヶ月ほどして、急に、
      液晶画面にドット落ちができて、もはや買取りの気分が失せたとき、
      今度は、なぜか、直ったのだ。

      私が、このことを書いてみようと思ったのには、他の、何らかの不思議な力により、
      関連した多くの小技だが、ちょっとしたラッキーな出来事があったからだ。

      個人的なことで自慢できる話ではないが、あえて言えば、
      私は、ここ数年、経済的には、ずっとささやかな負債とともに、日々、汲々としていた。

      だから、個人で所有のPCが不調になりつつあるとき、
      PCを買う余裕などなかった。そんな最中、それが借り物だとしても、手に入った。

      自由に使わせてもらっている。
      もちろん、自治会関連の印刷物を優先的に作成しつつ。

      その意味で、「買取りをさせてもらえないか」、あるいは、
      「買取りをしない」かも含めてだが。今後、それは自然の流れに任せつつ、
      決まってくるであろうが。

      特筆すべきは、
      私の必要なときに、必要なものが、手に入ったということが、興味深いと思っている。

      しかし、私が驚いているのは、それだけではない。

      この寒い冬に、これも自治会からの借り物だが、ガスストーブを借りられた。
      今年の冬は、特に寒かったが、このストーブのおかげで、寒さをなんとか凌ぐことができた。
      それは、数日前に、すでに返したが。
      これも欲しくてもいますぐ買えず、手に入らないものを、必要なときに、
      使用することができた。

      そして、最近、かなり嬉しかったことがある。それは、
      他の役員の方から、オーブントースターを貰ったのだ。

      しかも、トースターとしては、結構、良いものだった。
      わずかに1-2度使用した程度のほぼ新品で。

      その役員の方は、別のある方から、同じものが二つあるので、
      もらって欲しいと頼まれたそうだ。
      私が、その役員と相談話をしているとき、そのトースターの話が出て、

      その役員は、とりあえず「貰い受けたけど、レンジがあるのでいらなくてね。」
      と私に言い。なら、「自分にくれないか」と頼んだのだ。相手は、喜んだ。
      喜んだのは、相手ばかりじゃない。何より、私だった。

      ピザやチーズパンが大好きで、以前使用していたトースターが壊れてから、
      ずっと、フライパンで、蒸して作っていた。だが、3回に1回は、黒こげになったり、
      失敗続きで、難儀していた矢先のことだ。

      そんな事情で、
      ともかく、トースターが、ほしかったのだ。

      実際に、
      何度も、近くの大手スーパーで、今度、お金が入ったら、買おうと思いながら、
      下見をしていた。しかし、
      懐具合で、それがずっと実行できないでいたのだ。

      ここでは、これ以上、書かないが、他にも、さまざまなありがたいことが起きた。

      シンプルに言えば…
      そのシンプルということが、極めて重要なのだが、

      力まずに「欲しい」と思えば、手に入るということを、実感している。

      そしてただ素直に望めば、お金がなくても、まったく思いがけない形で、
      文字通り手に入るのだなという体験を、ジンワリしている。

      ついでながら、宇宙にお願いしておこう。

      電気釜とSurface2 pro が、あったらいいな…。なんてね。

      もし、手にはっいたら、いづれ紹介しようと思う。
      きっと、なぜか、思いもよらない方法で、いづれ手に入ると思っている。

      posted by: fukugakuru358 | 006/願望実現とイメージ | 19:27 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
      ☆いにしえからのICON
      0

        一昨日のことだ。このところ積極的に目を閉じてリラックスした状態を意識的に創ろうと心掛け
        ている。
        瞑想?…と呼べるものなら良いのだが、何かと気の散りやすい私にとって、
        おそらくそんな上質なものではないだろうと思う。
        ただ目を瞑り、時折、意図してイメージングしてみるぐらいなものだ。
        その日、目を瞑った後、やはり、
        Mindのおしゃべりがざわつくのだが、あれやこれやを気にするが。
        時折落ち着くこともあった。
        なるべく考えないようにしているのだが、その間隙をぬって、仏像の意味について、
        一瞬、考え、そのことで、ちょっとした気づきがあった。それを書いてみたいと思う。

        何に気づいたかというと、それは、仏像のあり姿だ。
        仏像は、立像もあれば、坐像もある。その表現は、多種多様だが、ひとつだけ、
        すべてではないが、多くの仏像に共通する事がある。

        それは、目を閉じているか、半眼にしていることだ。
        そこにある意味を感じた。

        瞑想であり、祈りだということ。

        私が、このことにあえて注意をはらってみたのは、数日前に見たYouTubeの動画
        グレッグ・ブレーデン(Gregg Braden)
        https://www.youtube.com/watch?v=hXhRE4UzMks&list=PLp7NRj4dJ7wVQzdguv54bmL4X_hJuweCV

        の氏のメッセージが心に突き刺さっていたからだ。

        この動画では、非常に重要なメッセージが語られる。

        メッセージの一部の要旨だけを記述するなら、
        次のようになる。

        この世のすべての創造物、あるいは人間、
        それらは知的フィールド(宇宙あるいは、神と呼ばれるような力)によって、
        「人間の感情の深いところでつながりあっている」というもの。
        故に、私たちの望む願いについては、

          「すでにかなえられたかのような気持ちで願うのだ。
           この『気持ち』によって、私たちは全ての創造物の源に
           働きかけることができる」

            (「グレッグ・ブレーデン(Gregg Braden)」YouTube動画より)

        と述べている。
        その短い動画の中の締めくくりにある言葉が、
        特に私とって、興味を抱かされた。

        その言葉とは、

          「20世紀から最近までの研究によると
           実は古代人はすでにこの世の仕組みを詳しく理解していたのでは
           ないかということがわかる」

            (「グレッグ・ブレーデン(Gregg Braden)」YouTube動画より)

        というものだった。

        確かに、グレッグ氏の動画中にあり、上述し引用した

           「すでにかなえられたかのような気持ちで願うのだ。」

        という言葉は、わかりやすい例でいえば、

        いにしえの時より伝わり、決して古びることがない、聖書の中にある言葉だ。

           「なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。」
             (「マルコによる福音書」 第11章24節
                 ――「富を『引き寄せる』科学的法則」p75より)


          「なにごとも祈り求めるものは、すでにかなえられたと信じなさい。
           そうすれば、そのとおりになるだろう。」

                          (「ザ・シークレット」 p93より 「マタイ伝 第11章24」)

        とある。

        前段の仏像の話に戻るが、

        グレッグ氏の言うように、

          「実は古代人はすでにこの世の仕組みを詳しく理解していたのでは
           ないか」

            (「グレッグ・ブレーデン(Gregg Braden)」YouTube動画より)

        という部分を意識していた私は、

        仏像の象徴的な「目を閉じる」あるいは「半眼な状態」に、仏像などの表現は、
        この世の仕組みを知りえていた古代人からのメッセージの一つなのだなと思ったのだ。

        つまり、何を伝えているのかといえば、

        仏像などの聖像は、創造的な宇宙(ユニバース)の無限のパワーを私たちの願いを活かすために――現実化させるために動作させるICONなのだということ。その姿なのだということ。
        聖像に祈りをささげても良いのかもしれないが、私が感じたのは、むしろ私たちが、積極的に聖像と同様に目を瞑り、内なる自分と対話し、創造的な宇宙とつながることを促すその象徴としてのICONを示しているのだなと感じたことだ。

        いにしえの賢者たちは、分かりやすく多くの民に向けて、その具体的な方法として、
        聖像の持つ意味は、聖像が示すように「目を瞑り、内なる自分と向き合い、創造的な宇宙とつながりなさい」という思いを込めて、芸術的で神々しい姿態によってそのメッセージを示したものなのではないだろうかということだ。




        posted by: fukugakuru358 | 006/願望実現とイメージ | 18:16 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        ☆望まないことが起きるとき
        0

           自分自身の中で、ここ数日、何かが”まずいな…”と感じる瞬間があった。
          そして今日、それをぼんやりと意識することができた。
          といって、気分を害するするような具体的で決定的に主だった原因はなく、
          ただ気分が何となく、ややブルーで。
          そして大きな波風があるわけでもないのに、どことなくチグハグな感じだけが胸の奥で、
          ふつふつしている事に気付いた。

          もちろん、こう記述しながら、私は、臆面もなく嘘を書いている。
          なぜなら、
          気分をブルーにしている原因は、もちろん、有る。あまりにプライベートなことので、
          あえて書きたくないだけだが、正直に言えば、その望まないことは副産物として起きたものだと理解している。つまり、主原因に対して副次的に、さらに追加で、望まないことを引き寄せたのだなと理解していることだ。

          その主原因は、キザな言い方をすれば、私自身の今おかれている状況や
          人生上の事があるのだろうと思う。それを、抽象的ながら、多少、分かりやすく、
          もう少し率直に言えば、私自身が、心の深い部分で、
          「不足に囚われているということ」あるいは
          「豊かさをどう感じ、どう豊かさを与えるか」というようなことに起因している。
          もちろん私自身のその個人的な問題は、当ブログで、何度か書いてきたように、
          望む状態をイメージングすることによって、創り出したイメージで置き換えていきたいと、
          日々、向き合っている。
          そして、それに対比する中で、気づいたことがある。
          つまり、
          本日のブログテーマは「望まないことが起きるとき」だが、
          冒頭に書いたように、ふと、あることを意識した。そのことについて触れて書いてみようと思ったのだ。

          私自身のちょっとした(意識的な)気づきは、

          なぜ?「望まないことが起きたのか」だった。
          この望まないこととは、全体の位置づけとして、一体何を意味するかだった。

          結論を、先に書いてしまおう。

          それは、サインであり、私自身の心の中の真の投影。あるいは私自身の深い部分で思っていることの象徴なのだなということだった。

          望む自分の在り方を、確かに求める一方で、「望まないことが起きる」というのは、
          2つの側面を、持っているということだ。


          その2つの側面とは、ひとつには、

          1.望んでいる自分の在り方を、心の深い部分で、実は、
            望んでいないということの投影であること。

          2.イメージングによって望んでいる状態が、望まない状態から、望む状態への変化の
            プロセスの中で、いま一つの局面を迎えていることをも意味しているのだ。

          上記のうち、1番目の側面は、すぐに理解できるだろう。

          興味深いのは、
           2番目だ。変化を許容するかどうかのサインだということだ。

          こうした気付きを得られるのは、もちろんバシャールのおかげだ。

          YouTubeの動画で、
          「望むリアリティを創り出すマントラ 2/2  バシャール Powerful Mantra…」
          http://www.youtube.com/watch?v=CX41zOQ6nE0

          の中で、バシャールは、私たちに「創造の4原則」を導き説く宇宙的な存在だが、
          私たちに知らしめているのが、聖書でも説かれている、

          「与えるものが、受け取るもの」だが。

          バシャールは、それを創造の4原則の3番目として、
          私たちに示している。それは、別表現すれば、「原因」と「結果」の宇宙の大法則のことなのだが…。
          そして、上述した動画で、望む「原因」の種を蒔いても、すぐに私たちの物理的現実は、
          変化することがなく、むしろ粘性があり、望む状態を創り出すことができないでいることが多い。
          そのことを、バシャールはECHO(エコー=なごり)なのだという。
          ここから分かることは、「望まないことが起きる」というのは、一歩前に進み出た望む状態への対比でもあり、

             「言ってみれば、自分を試しているのです。本当に状況を変えたいのかを
              決めるチャンスを自分に与えているのです。」
                 (前述:YouTube動画より)

          ということの、
          望む状態への変化への「許容」の確認のために、サインとして現われてきたものだとも
          理解できる。それは、現状がなかなか変わらないという消極的な状態ばかりではなく、

          むしろあえてアンチとして、(宇宙は)ネガティブなものを、むしろ私たちに押し付けてきて、(=私たち自身が、自らその状況を創り出したもの。)
          「本当に状況を変えたい」のかを探る意味で、自身を試していると言っても良いのだろうと思えるようなことが起きるのだろう…。それが、望まないことが起きるもう一つの要因でもあるのだ。しかし、注意をしなければならないのは、その望まないことの、そのすぐ傍には、望むものの状態が、まるでコインの裏表のように、間近にあって出番を待ってもいるのだ。

          ふと、そんなことに気づけた。

           

          posted by: fukugakuru358 | 006/願望実現とイメージ | 22:18 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
          ☆実現の仕方
          0

            私たちの世界は、案外不思議な事が起きている。

            一般的には、
            それらが、あまりに日常的で自然に溶け込み過ぎて、それに何ら疑問を持つことが少ないが。

            例えば、
            水が氷になり、また逆に氷が水になること…、
            液体から、固体に。そして、固体から、液体に。
            つまり、形のないものから、形のあるものへというようなことだ。

            水が氷になり、また逆に氷が水になることは、
            私たちには、その現象が、あまりに当然過ぎているために気づかないが。
            さらに言えば、
            生まれた時からテレビがあることが、極めて日常的で、当たり前過ぎて、
            なぜ、テレビにモノが映るのかさえ疑問を持たないように。
            むしろ、「なぜ?」疑問を持つのかとさえ思うだろう。

            だが、よくよく考えてみれば、簡単に説明はできないし、理由もあまりよく分らない。
            そして、本当は、
            「当たり前だ」というのは、何の現象の説明でもないし、答えでもない。

            疑問を抱く以前に、目の前の物理的現象をただ受け入れて信じ込んでいるだけの話なのだ。
            そういうものだと思い込んでいるだけに過ぎない。

            特に、氷と水の例に戻るが、先月6月、総合研究大学院大(神奈川県葉山町)の
            院生望月建爾さんらが、氷が解けて水になることをコンピュータシュミレーションで
            解明したと
            (=「氷から水、きっかけ解明=結晶構造崩壊を計算−総研大など― 時事通信社」 2013/06/22-19:07)
            ネイチャー誌に発表したとあったが。

            私は、そのニュースを知って、改めて驚いた。

            と、同様に、それをきっかけに、
            「思考は現実化」するという意味において、思考は物質と同じもので、
            現象の形態が異なっているだけで、思考が意図を示したとき、
            思考が物質化するのだということを、改めてそういうものかと思った。

            思考の物質化の意味については、
            「富を『引き寄せる』科学的法則」(ウォレス・ワトルズ[著] 山川紘矢+山川亜希子[訳] 角川文庫)
            を読むと、誰しも、大いにその考えの素晴らしい教えを受けるだろう。

            さらに、もう一歩進めて、
            「思考の物質化」あるいは「思考の現実化」についての突っ込んだ理解のためには、
            意思あるいは意図に基づくが、それは、度々、このブログでもシンパシーを持って
            紹介してきたヴァジム・ゼランド氏のトランサーフィンの概念と考え方がそれを
            説明している。

            ゼランド氏の概念の基本となるバリアントの空間が、思考の現実化の意味を解いている。
            バリアントの空間は、あくまでも形而上学の概念世界における仮定に過ぎないが、
            凄まじい説得力をもって、語られている。
            極めて簡単に云うと、
            私たち(生き物を含め、物質世界のあらゆるものすべて)によって引き起こされた原因の要求に対して、
            結果がすでに用意された世界。すなわち無限のプロセスと結果が用意されている世界だ。
            つまり、私たちの選択(原因)において、その可能性において、プロセスと結果が無限数にあるという。
            ヴァジム・ゼランド氏の著書「[振り子の法則] リアリティ・トランサーフィン」
            (ヴァジム・ゼランド[著] ほおじろえいいち[監修] 須貝 正浩[訳] 徳間書店)では、
            私たちについていえば、バリアントの空間に原因に対する結果として、無限数の人生ラインが用意されているという。
            ここでいう人生ラインとは、平たく言えば、人生のシナリオそのものだ。

            本日のブログは、「☆実現の仕方」だった。
            これは、私としては、願望実現のことを指して言ったつもりだったが。

            願望実現とは、その思い(=思考)が、物質化されるということだ。物質化は、
            必ずしも、固形のものばかりを指すのではない。
            状況や状態、人間関係や、具体的な物だったり、環境などを含む。

            その願望への思いが、バリアントの空間にどう同調するか、あるいは同調可能なシナリオを得て、現実化するということだ。

            「ザ・シークレット」(ロンダ・バンーン著 山川紘矢+亜希子・佐野美代子[訳] 角川書店)ばかりではなく、
            多くの引き寄せの法則を語る本の記述の中では、
            よく、次のような事が言われる。

               
              「それがどのようにして起こるのか。どのようにして宇宙が
               それを実現してくれるのか、あなたが気にかけたり、心配することは
               ありません。それは全面的に宇宙に任せましょう。」

                            (「ザ・シークレット」前出:p89より)

            と、願望実現の方法やプロセスについては、宇宙に委ねていればよいと示唆している。
            その実現のなぜの説明がないが。だから、「それこそが[法則]」なのだからという形で、
            説明がないが。

            トランサーフィンは、バリアントの空間によって、それを見事に説明してくれている。

             



            posted by: fukugakuru358 | 006/願望実現とイメージ | 18:21 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
            確かに、望んではいるが…。
            0

               本日より、ブログを再開します。

              長期に休んで置きながら、
              また言い訳になってしまいますが、本日(26日)、明日(27日)と、
              私自身の居住区で、私が自治会の役員になっている関連で、
              その月例の会合の2つにどうしても欠席ができない事情があります。
              その意味では、ちょっとしたブログを書く上では、
              時間的には、厳しいものがあります。

              本来は、先般より、書き始めた
              竜宮の夢の続きを書きたいと思っていたのですが、
              どうしても時間がかかるので。

              書きやすいネタという意味でも、
              ここ数日、ヤケに気になっていたことを、このブログの復帰として、
              まず書かせていただきます。

                   ☆ ☆ ☆

                  「もし、あなたが信じて疑わないならば、そのとおりになるであろう。
                  信じて求めるものは、すべてあたえられるであろう。」

                     (「ザ・シークレット」ロンダ・バンーン著 山川紘矢+亜希子・佐野美代子[訳] 
                     角川書店: p92 より [マタイ伝  第21章 22節]より)

              ここ最近、私は、この言葉を何度か反芻するようになった。
              そして、本日26日のことだ。

              午後から急に、本格的に降り出した雨で、やむを得ず、地下鉄に乗った。
              自宅まで、歩くつもりだったが、ひと駅分を地下鉄で帰ることにした。

              駅のホームで、電車を待つ数分間のことだ。

              先の言葉が、
              頭の中を支配しだした。
              やがて、この言葉の凄みに、思わず唸った。

              一見、この言葉の持つ意味は、
              文字通り、夢の現実化に向けて、肯定的(ポジティブ)に捉える事が出来る。

              しかし、
              わが救世主は、そんなに単純には、言っていないのだと、気づかされた。

              否、真実のことばだからこそ、
              その言葉が秘めている意味は、実は、両刃の剣なのだ気づいた瞬間でもある。

              もう一度、この言葉を繰り返す。

                  「もし、あなたが信じて疑わないならば、そのとおりになるであろう。
                  信じて求めるものは、すべてあたえられるであろう。」

              改めて、言うまでもなく、
              私たちが、真に望む世界、望む状態、望むことが、叶えられるだろうと信じるなら、
              その通りになると、言う意味だ。

              しかし私たちの心は、神に信仰を持つ者でさえ、神の言葉を平気で裏切るのだ。ましてや、
              特別な信仰を持たない私たちは、前提として、神の言葉に対して、一般的に、
              あまり重き置いて過ごす日常はないだろう。

              だが、神は、そこをすでに見越しているいたのだ。

              何が言いたいかというと、

              私たちが、どんなにか望みを持ったとしても、それが現実化するよう念じ、信じたとしても、
              多くの失敗をするのは、
              私たちの根深いところで、そうやすやすと、望みが現実化することなどを本音の
              深い部分で信じていないからなのだ。

              「何だ、そんなことか」と、もし、あなたが思うとしたら、そこに大きな落とし穴がある。

              つまり、先の言葉には、その通りになっているのだということがちゃんと示されているからだ。

                  「もし、あなたが信じて疑わないならば、そのとおりになるであろう。
                  信じて求めるものは、すべてあたえられるであろう。」

              私たちの深い部分で、程度の差はあれ、もしその実現性を僅かばかりでも
              疑がう気持ちがあるとすれば、
              私たちの信じていることというのは、
              望んでいることに対して、望みを抱く以前に、
              すでに実現性を疑っている方の自分を信じているということが、
              露わにされることになる。

              確かに、望んではいるが…。
              「簡単には、実現されるはずがない」という思いを信じているなら、
              そのネガティブに信じたことが、
              現実化されるということがパラドックスのように示されている。

               

              posted by: fukugakuru358 | 006/願望実現とイメージ | 17:50 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
              ☆リアルスライド
              0

                スライドとは、トランサーフィンで語られるイメージングだ。
                著者のヴァジム・ゼランド氏は、イメージングとは言わずに「スライド」という言葉を使用している。
                厳密には、イメージングとは違うのかもしれないが、私の読解力不足だ。その違いを、明確にいいわけることはできない。
                概ね、同じようなもので差支えないと思っている。
                そのスライド、つまりイメージングに対して、私はリアルという言葉を足してみた。
                リアルというのは、トランサーフィンからの借用の意味はなく、単に「リアル」なという意味で、使わせていただく。
                だから、リアルスライドは、リアルイメージングと理解してもらっていい。

                私は、生活補填のために、アルバイトをしている。しないと厳しい状態の中に
                いつも居ることになるからだ。

                それが、今年の1月末にリストラされて、次のバイト先を見出すまでに、かなり苦労した。
                そんなことを長々書くつもりはないので、一部、省略したい。

                そして、4月から、マンション管理人に仕事を得た。
                前のバイト先で痛めた右膝の具合が、なかなか治らない。時々、力が抜けるように、
                ガクッと膝がなるときもある。

                とても完治とは言えず、7割弱という感じだ。

                以前は、広い空間で水平方向に働いたが。今度は、垂直方向に私の職場域がある。
                そこで、私は以前にはないほど、伸び伸びと仕事している。

                何をほざいているのかと思われるかもしれないが、そう遠くないうちに、私は、ここの数倍以上の高層マンションで、
                豪華に暮らしているだろうと思っている。正直、信じている。

                私は、そのマンション最上階の14階から13階の外階段をマンションの巡回で降りるときに、
                その中間の踊り場で、なぜか、懐かしい気分が蘇ってくる。

                スカーンと東南方向の都会の風景が開ける。

                ここをぼんやり眺めるとき、ふと、どこと言うのではないが、フィリピンのマニラ市あたりの景色を、
                浮かべてしまうのだ。実際、似てはいない。ビルの感じも違うし、マニラのように派手で巨大な広告看板も、
                ここにはない。だが、なぜだろう。思い当たるような景色ないなのだが、
                フィリピンの街で見たようなどこかの景色の類似を感じて、懐かしく思うのだ。

                私は、この踊り場から眺める風景がとても好きだ。

                フィリピンに行きたいと思いながら眺めている。いや行こうと思っている。
                しかし、いまこのバイト先の職場にいる限り、金銭的には、とても難しく、

                しかも仕事の状況や条件からしても、制約が大きく、ほとんど一週間の休みを取るのは難しい。

                はっきり言えば、普通に判断をすれば、どう考えたって、可能性は、まったくゼロだ。

                私がリアルスライドと言ったのは、そこなのだ。
                まさに、これなのだ。

                この最上階の踊り場に立つ時、私は、マニラの景色の最中に居るような気になる。
                気分も和んでいる。心地いいのだ。

                通常、私がイメージングするときは、望む状態の写真や動画を用いることが多い。
                そこで思いを巡らすのだ。
                これは、案外、続けるのが、しんどい。

                だが。それでも、続ければ、必ず意味がある。
                実際に、昨年は、フィリピン、Pasay市のEDSA通りを走る乗用車から眺める動画を、
                毎日、見続けているうちに、
                私は、あり得ないほど厳しい状況下で、
                やはり困難な状態からでも、マニラへ行くことができた。

                特に、そこの映像には、私たちが宿泊するホテルがはっきり映っており、
                私たちの知り合いのクロークの女性が、私を懐かしそうに、「ゲンキデスカ?」と、
                尋ねる顔さえ浮かんでくる程の映像だった。
                そして、
                あるとき、イメージングに成功したのだ。
                事情があって、詳しくは言えないが、もちろん、ヤマシイことは、一切ないが。
                つまり善意で、まったく思いがけない方法で、お金が手に入った。
                こんなことがあり得るのかと思うような方法で。

                しかも、
                当時の職場環境からは、3日以上(しかも通常の公休を入れても)の休暇をとることが、
                規約上、許されなかったにもかかわらず、一週間いくことができた。しかし、その後の代償なのか。
                その職場は、自由すぎる私がお気に召さないらしく、リストラ要因になったが。(~_~);
                笑うしかない。それでも、結構。
                私は、私なりに、大いに満足していたのだ。

                だがいま私見ている風景は、写真ではない。快適な空間であり、懐かしい風景を感じているのだ。
                動画映像でもない。リアルな風景なのだ。生の風景なのだ。
                私は、奇跡が起きるかもしれないと、この2−3日、思い始めている。

                行ってきま〜〜す!

                また職場を追われるかもしれないが。

                私が、また奇跡を起こしたら、かなり詳細に、顛末を、きっと書くだろう。
                おそらく、半年、先だろうが…。

                土産話は、ともかく奇跡の話だ。


                 

                posted by: fukugakuru358 | 006/願望実現とイメージ | 20:23 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                ☆偉大なる真実
                0
                  ある言葉を引用したいと思ったとき、なぜか、1980年代に上映された「シャイニング」のある1シーンが思い出されて、それが頭を離れない。ならばと、あえて、それを本日のブログの導入とさせていただこう。
                  シャイニングは、ホラー映画のジャンルで、スティーブン・キング原作同名小説の映画化されたものだ。「2001年宇宙の旅」で世界的に著名になったスタンリー・キューブリック監督の作品だったので、当然、当時の私は観た。ホラー映画といっても、怖くない。どこか笑ってしまう映画で。
                  その理由は、多分、ジャック・ニコルソンの過剰なキャラクターのせいだと個人的にはそう思っている。ある意味、失敗していると思っているが、不思議にこの映画は、ジャック・ニコルソンで、かえって有名になったのだと思っている。明らかに矛盾した感想を、個人的には抱いている。
                  率直に、言って彼が演じたことで成功し、失敗してもいるというのが、私の卑屈な意見だ。
                  私の評価などは、気にしなくていい。ただ、彼が演じたことで、私は、なぜかこの映画を評価はしないが、印象に深く残っている。忘れられない名画のひとつなのだ。こんな言い方も、やはり矛盾している。
                  で、この映画は、一言で言えば、
                  コロラド州のロッキー山上にあるホテルで、小説家志望のジャック・ニコルソン演じるジャック・トランスが、妻と子どもとともに、ひと冬を管理人として過ごすという映画だ。
                  以前、このホテルでは、管理人が、精神を犯され、自身の家族を惨殺したという曰く付きのホテルだった。それをものともせず、
                  この呪われたホテルでひと冬過ごすことになる。そして、ジャック・トランス自身もなぜか、
                  猟奇的な殺人者に変貌してしまうという設定だ。
                  この映画の中では、ジャック・トランスは、広いロビーでタイピングしながら、小説を書いているというふうだったが。
                  少なくとも、妻のウェンディーは、そう信じ込んでいたが。
                  彼がキー・タイピングで打ち続けていたものは、小説ではなく、ある同じ文言だったのだ。

                     All Work and No play Makes Jack A Dull Boy・・・・・・
                         (仕事ばかりでは人は駄目になる)
                      (「シャイニング」と題するサイト
                       http://homepage2.nifty.com/e-tedukuri/SHINING.htm より引用)

                  という文言だった。

                  もう一度、念のため、フォローする意味で言っておこう、この映画は、
                  ジャック・ニコルソンでなければ、成立しない映画だった。決して、ミスキャストでは、ない。
                  どころか、彼こそなのだ。正解なのだ。
                  だから、世界的に有名にもなった。
                  しかし、なぜか、私は、彼の演技にどこか、過剰さの違和感を感じてならない。
                  矛盾するが、でも、必要な演技だった。

                  と述べておいて、

                  この映画のジャック・トランスのように、
                  私たちは、一つの成功法則の言葉を一心不乱に、打ち込んで自己暗示できたら、幸せだ。

                  この自己暗示のために、「シャイニング」の映画をなぜか、私は思い出していたのだ。

                  そのポジティブに、私たちたちが自己暗示すべき言葉は、次の言葉だ。

                     「絶対的に信じきること、それが唯一のほんとうの成功法則だ。」
                        (「人生の扉をひらく『万能の鍵』」ラルフ・ウオルドー・トライン[著]
                             吉田利子[訳] サンマーク出版)

                  偉大なる真実の言葉を、
                  ジャックトランスのように、一心不乱になりたいものだ。







                  posted by: fukugakuru358 | 006/願望実現とイメージ | 16:20 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                  ☆スピリチュアル・パワー
                  0

                    本日のブログタイトルは、スピリチュアル・パワーと題した。
                    といって、当ブログは、オカルト的な方面の内容を問題にすることは一切ない。
                    その分野は、当ブログの関心事ではないからだ。
                    あくまでも成功法則を主眼に。

                    それを、いかに取得し、活用し、やがては、
                    巨万の富を得るかだけが、目標であり、その知恵を分かち合うことだ。そのために、
                    試行錯誤的な試練として道に迷うことはあるかもしれないが。

                    スピリチュアル・パワーと書いたのは、
                    「思考する物質」「思考の現実化」を拠り所に、私たちが在るということは、
                    私たちが避けて通れないからだ。

                    「ザ・マスター・キー」(チャールズ・F・ハアネル[著] 菅 靖彦[訳] 河出書房)には、スピリチュアル・パワーについて、次の記述がある。

                       「思考の霊妙な力がわたしたちの日常の風景の中に結晶化し、
                        人生を作っていくのです。」
                                (前出:p209より)

                    この引用の「思考の霊妙な力」とは、文字通り、スピリチュアル・パワーのことだ。
                    そして、そのあとに続くメッセージは、「思考する物質」「思考の現実化」と本質的にイコールであることが分かる表現になっている。

                    このことの意味が受け入れ可能であれば、次のメッセージは、
                    容易に同意できるであろう。

                       「思考は可塑的な物質なので、わたしたちはそれを使ってさまざまな
                        人生の構造を作り上げることができます。使うことが存在させる
                        ことになるのです。」
                                (前出:p209より)

                    こう伝えて、ハーネル氏は、「思考する物質」「思考の現実化」を踏まえて、

                       「もしなんらかの願望を達成したかったら、自分が成功するイメージを
                        心の中に思い浮かべてください。そうすれば、あなたは自分に
                        成功を強い、科学的な方法によって願望を実現することになるでしょう。」
                                (前出:p214より)

                    と述べる。

                    私は、「科学的な方法」の言葉にひっかかり、その前後の記述を読見返してみた。
                    その結果、次の記述を見出した。

                       「科学的に真実である心象だけを構築しなげればなりません。」
                                (前出:p215より)

                    という記述だ。つまり「心象」=「科学的に真実」という関係を意味するようだ。

                    私たちが、真に願望を達成したいと願い、自分が成功するイメージを行うときは、
                    「思考の持つ霊妙な力」――スピリチュアルなパワーが自動的に働き、
                    思考は、やがて現象化するのだと述べている。

                    私たちの生命が、スピリチュアルなパワーを拠り所にして在るように、その延長線上にある願望達成のためにも、スピリチュアル・パワーが必要であり、その恩恵を受けるということを意味している。

                     

                    posted by: fukugakuru358 | 006/願望実現とイメージ | 20:34 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                    ☆人生のマスターになるために
                    0

                      「マスターの教え」(ジョン・マクドナルド[著] 山川紘矢+亜希子[訳] 飛鳥新社)などを読むと、私も、このストーリー中の人生の達人(マスター)のようになりたいと思う。
                      読みながら、いつも大いに触発される。
                      本の中では、その富裕な人物が、あまりにも魅力的な世界観を持つ人物として
                      描かれているからだ。

                      特に、

                         「幸福を追求することは、人間の正しい本性である。」
                                         (「マスターの教え:  p31より)

                      ことを知って、
                      文字通り、「宇宙の法則」に同調し、それを自在に操り、
                      望むことを実現するために、すべての状況をコントロールしながら、
                      「宇宙の法則」を使っているところが、
                      まるで魔法使いのようで、そのことが、何より魅力的に映る。

                      そして、マスターの魅力たる所以のひとつである卓越した「力」こそは、
                      ストーリーの話の中にとどまらず、
                      私たちの裡にもある「力」だということを知らしめてくれていることが大きい。

                      少し話を変えて、改めて言うが、
                      本は読む度に、新しい発見があるものだな…と思わされる。

                      なぜそうなのか。理由は、簡単だ!

                      自身が、様々な本を読みながら考え、知らずに成長してきている証だからだ。
                      当初、読んだ時と、まるで自身の世界観が大きく変わっているからだ。

                      その得るものがあまりに大きいと感じた1冊が、
                      「富を『引き寄せる』科学的法則」(ウォレス・ワトルズ[著] 山川紘矢+山川亜希子[訳] 角川文庫)だ。

                      かつて私が読んだときと今とでは、
                      「引き寄せの法則」についての知識が、あまりに無知だったと気づかされた。
                      今は、様々な観点と視点をもっている。

                      いま恵まれた状態で、前出書に触れて読むと、まるで違った思いと理解が
                      できてくるのでとても驚く。

                      こんなにも学びの多い、素晴らしい本だったのかと…。
                      思わず背筋が、ピンと伸びる感じがした。

                      この本に改めて触れるきっかけになったのは、ちょっとした流れの中で、
                      「思考する物質」という概念に、突き当たったからだ。

                      「思考する物質…か」と、興味を抱きつつ、
                      それをWeb上で、誰かの書いたブログなどで検索しみると、
                      拾い読みの中から、ウォレス・ワトルズ氏の前出書の紹介に出会ったからだ。

                      「なるほど…!」そんなに、ワトルズ氏の本が良いのかと納得させられた。

                      ならばと、前に読んだことのあるこの本を、
                      改めて、乱雑に積んだ状態の本の中からタイトルを探してみた。

                      そして手に取ると、
                      この本には、随所にフリーハンドのラインが、かなり引いてあった。
                      もちろん、以前、私が引いたものだ。

                      その時の理解は、あまりにも浅かったようだ。
                      ラインを引いたほどの印象をまったく保持していなかった。

                      いま、部分、部分で読み返すと、そのひとつ、一つに、
                      ゾクゾクするようなメッセージにワクワクさせられる。

                      「思考する物質」については、いづれ当ブログで、何か気づいた点を書いてみたい。

                      今日は、この本の中で、特に痺れた箇所を引用してみたい。
                      人生の達人(マスター)になるためには、「力」が必要だと説いている箇所に注目してみた。

                      それは、どのような力なのか…。

                      望む現実を獲得したいと思うならば、「覚悟」が必要であるということだ。
                      「覚悟」の言い方を別言すれば、「代償」に相当するだろう。

                         「継続して考え続ける活動ほど、ほとんどの人が避けたがっている
                          作業はありません。これこそ世の中で一番大変な仕事です。」
                                         (「富を『引き寄せる』科学的法則」:  p39より)

                      と述べられている。

                      その継続して考え続けるということが、私たちの払うべき「代償」で、
                      今日の当ブログのテーマである「人生の達人(マスター)になるために」
                      必要な「力」のなのだという。

                      加えてワトルズ氏は、次のようにも言う。

                         「病気の時に健康のことを考えたり、貧乏のまっただ中で豊かさを考えるには、
                          力が必要です。しかし、この力を獲得すれば、人生の達人(マスター)に
                          なれます。」
                                         (「富を『引き寄せる』科学的法則」:  p40より)

                      と述べる。
                      つまり人生の達人(マスター)になるために必要な「力」とは、
                      いま自分の置かれているどんな外部の状況に惑わされることなく、
                      望む自分の姿を描き、思い続けることのできる逞しい「力」のことをさして言うようだ。

                       



                      posted by: fukugakuru358 | 006/願望実現とイメージ | 20:48 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |