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☆オブジェクト
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    ある日、
    YouTubeの動画をただ何気なく観ていた。
    特にどうということもなく。

    そのタイトルは、
    ☆Metal Gear Solid 5: The Phantom Pain - Fox Engine Demo @ TGS 2014 TRUE-HD QUALITY
    http://www.youtube.com/watch?v=qCs0xxUS5as

    だった。
    漫然と見始めたはずだったが、内容に驚いた。

    この動画は、3Dゲーム制作アプリの凄さのDEMOのようだ。
    制作裏話的なものらしい。

    この動画を見ながら私は、
    3D・CG制作アプリのパフォーマンス能力の高さに、ひたすら圧倒された。
    凄い!凄い!凄い!に尽きる。

    そして私が、この制作アプリからすぐに直感したのは、
    物理的現実世界がどのように、可変的に、多様に創造されるのかを考える上で、
    ちょっとしたヒントにもなる…と思ったことだ。

    少なくも重要な答えの一つが、この動画に織り込まれているように思った。

    それは、
    あくまでも私の独自な解釈ではある。
    これで世界が創造される仕組みをすべて解釈できるなどというつもりは全くない。
    恐らく、そのほんの一断面を少し理解できるだけだろうと思っている程度にすぎない。
    その程度において、単なる私の独善的な解釈をあえて、
    気付きとともに戯言の延長で申し述べているだけだ。なので、
    このブログをお読みいただいた方は、絶対に惑わされないでいただきたい。

    さて、この動画で、私が驚いたのは、何といっても、
    3DゲームのCGの制作現場で、背景(風景または地形の状態)やその場面に登場する
    人物たちのそれぞれの動き、動植物や環境の状態、建物、日照の程度、天候の変化、時間の推移などが、
    バックグラウンドのタイムスケージュールとプログラミングされた意図に沿って、動いていることだ。
    しかも、人や動植物等は、さらにタイムスケジュールに左右されない独自の動きも持っているようだ。
    すべてがそれぞれの意思を持っているかのように。
    動画からはそう感じたが、すべてここでの指摘が的を射ているのかどうか、何とも言えないが。

    いずれにせよ、この動画から感じたのは、
    現実的世界で一定の合理性を持って起こり得そうなあらゆるパフォーマンスが、
    組み込まれており、すべてオブジェクト化され、データ化されていることだった。
    (もっとも、自然は、もっとリアルだし、多様でもあるが。)

    それらのオブジェクト化されたパーツは、もちろん制限はあるのだろうが、
    場面の状況の必要に応じて、
    リアルに見せるための数種のパラメーターが受け取り可能なようだ。
    例えば、画面に貼り付けた木々の縮尺は自由で、量的に重ね合わせて、
    ちょっとした森にもなる。

    風が吹いているような演出として、それらの木の葉が、乱数の影響を受けながら揺れたりもする。
    さらに、わずかな雑草しか生えていない荒野に、雑草を繁茂させたり、小さな水たまりを貼り付けて、
    それが自在に単なる水たまりから池やちょっとした湖のようにも変化を加えたりできる。
    しかも湖や池の表面にさざ波を付け加えることもできるようだ。

    このようなパーツのそれぞれは、オブジェクト化される前には作業として、
    きっと地味で単調で、気の遠くなるような日々の分業作業を存分に積み重ねた結果
    なのだろうと思う。
    しかし、それらが、一旦、データベース化されてしまえば、物理的現実世界を表現するときには、
    使い勝手よく、極めて容易に行える大きなメリットもある。

    こうしたことは前述した動画を見てもらえば、
    制作する下準備の大変さとともに、合理化した後のメリットが、
    容易に想像できる3DゲームのCG制作アプリの紹介だった。

    前段が長くなって申し訳ないが、ここから後半が、本日のブログで述べたいテーマとなる。
    それを述べさせていただくと、こうだ。

    私たちが存在していると認識しているこの物質的世界は、
    3Dゲーム制作のようなものだということ。
    ある意味オブジェクト化された世界なのでないのかという気づきだ。

    つまり、
    たとえ「今ここ」にあるときも、この物理的現実の世界は、
    私たちの内面を鏡のように映し出して現れるホノグラムのような世界であり、
    すべては幻想なのだという認識だ。

    私は、よくとある比較的高層の高見から遠くを眺めて見たりする。
    特に、都市型高層群の建築物が遠く立ち並ぶ人工物の街並みを見るのがとても好きだからだ。

    そのこともあって、
    いつからか私は、風景について、
    すべての街並みや眼下に見える人々、自動車や自転車などに乗る人々の姿、
    木々や空の雲、いま吸っているこの空気、気温、空にチョークでなぞったような飛行機雲まで、
    何でもかんでも、いま私の意識状態に必要なものがオブジェクト化されており、
    それが現れてくるものなのではないかという解釈をするようになった。

    そして、今見えている数十キロ先の風景なども、実は、私がこの高見の場所から降りたとき、
    その風景は、一変する。消える。

    つまり、
    私がいま優先して考えなければならない世俗的な要素が、
    私の意識状態に合わせて、すべて置き変えられるのではないかと思っている。

    例えば、階下へ降り立ったとき、選りによって、
    挨拶も返さない、横柄で、高慢チキなクソババアと出会ったとする。
    そして、不快になるとしよう。

    理性的には、そんな意識状態を抱くことがマズイなと思いつつも、
    一時的であっても、瞬間、嫌な気分になる。
    そうなれば、まんまと状況の罠にはまってしまう。

    というのも、不覚にも、私自身が、状況にそのまま反応し、不快さを焚きつけてしまったことが、
    いま新たな原因となって、
    結果、いづれ最適なタイミングで、不快を呼び起こす本人そのものか、
    または別な人物や出来事を介して、
    不快なものを、再び体験させられることになる。
    不快が、不快を招く。よくあることだ。

    こうした場合、すべてが、
    意識世界のずっと向こうの深い部分で、
    すでに用意されていたオブジェクトなのではないのかと思っている。

    つい数年前まで動画と言えば、再生をスムーズにするために、
    デジタル・データの圧縮技術を念頭に入れなければならなかったが。
    その技術上では、動きのほとんどない共通する背景、または環境等は、
    圧縮する処理をできるだけ可能な限り省いて、負荷を軽くするというアプリ上の技術があった。

    それと同様なことが、意識世界においてもあるのではないだろうか。

    新たに世界を構成する不快なクソババアの動きだけを、
    アカシックレコード的な形而上学的世界から、
    オブジェクトとして、引張り出して、3Dのレイヤーのように貼り付け、
    私の現実世界に登場させるのではないかという解釈を思ってみたりする。

    この不快な状況についてさらに突っ込んで言えば、
    通常は、すぐに気を取り直して、
    これから為すべ作業に意識を切り替え、次の段取りをするとしよう。
    すると、ほんの少し前に見た風景のことは、
    すっかりこの時点では、私の意識からすべて消え去ってしまうことになる。

    そのとき、私なりにこんな解釈をしたくなる。
    先ほど見た素敵な風景は、私の意識の中で、すでに消え去っており、
    その残像の燃えカスすら消滅している。

    その時に何が起きているだろうか。

    物質世界において確かに存在していたように錯覚していた風景は、
    もはやそこには存在しないということだ。
    「今、ここ」の瞬間の意識にとっては、全く必要がないものなので、
    存続させておく理由がないので、
    その意味おいて、無駄なエネルギー消費をすることはないことになる。

    私たちの意識世界においては、
    存在する必然性がないものは、超瞬間的に消えるそう言うものだろうと思っている。
    また、その逆に、存在する必然性に疑問が一切なく、意識したものは、超瞬間的に、現れる。
    そんなふうに私は思っている。


    以上は、私の勝手な妄想だと思っていただいて、結構だ。

     

    posted by: fukugakuru358 | 004/物理的現実と鏡 | 19:31 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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